廃止路線乗車&未乗車一覧表(修正版).pdf
注:岐阜市内線の全区間を乗車キロに計上してしまっていたため、修正しました。実際には岐阜駅前〜新岐阜駅前間0.3キロに乗車していませんでした。
ルールは以下の通りです。
・貨物路線等、昭和56年8月25日時点で旅客営業を行っていない路線は含めない。
・現在は貨物路線でも、昭和56年8月25日時点で旅客営業を行っていた路線は含める。
・昭和56年8月25日時点で旅客営業を休止していた路線の正式廃止は含めない。
・A駅とB駅の駅間が変わらないルート変更は含めない。駅間が変わるルート変更は含める。
・他の鉄道事業者に転換した路線は含めない。
・駅名は廃止時点のもので記載。
・当初より期間限定の路線(博覧会に伴う貨物線旅客営業など)は含めない。
乗車キロ(412.6キロ)と未乗キロ(2715.2キロ)の合計キロは3127.8キロ。私は、私が生まれてからこれまでに廃止された路線に、たった13.2%しか乗れていないことが判明しました。思っていたよりもだいぶ少なかったですね。やはり、年端もいかない未就学のうちに、国鉄の第1次・第2次・第3次特定地方交通線が軒並み廃止になってることが痛いです。昭和60年から平成元年にかけて、ものすごい量の路線が廃止になってますからね。
私の記憶の中で、廃止路線に初めて乗ったのは栗原電鉄です。祖母と一緒に「細倉マインパーク」へ行った時です。古いアルバムを引っ張り出してきたところ、平成3年8月18日に乗車していました。私は9歳です。祖母が石巻駅の窓口で「細倉までください」と言って、「細倉まではここじゃ買えないから石越で買って」と駅員さんに言われていたことを覚えています。26年前ですから、現在82歳の祖母が当時は56歳。今の母親より若かったわけですねぇ。
しかし、それ以外はほとんどの路線に乗車していないわけです。中学生頃までは、全国で廃止される路線を指くわえて見てるしかなかったんですね。まだ、一人で宿泊を伴う旅行ができなかったから仕方ありません。初めての一人旅は14歳の時だったと思いますが、それも千葉にある伯父伯母の家に泊まらせてもらった旅行でしたからね。本格的にあちこち行けるようになったのは、高校からです。
それでも幸い、碓氷峠や南部縦貫鉄道に乗れたことはとても良かったと思っています。私、この2箇所にはひとつの旅行でいっぺんに訪れているんですよ。平成9年の3月でした。碓氷峠には新潟から入って長野側からアクセスし、横川〜軽井沢間を2往復して八高線を南下、その日の寝台特急あけぼので青森へ飛んで、南部縦貫鉄道に行きました。七戸からは普通に戻ると石巻までその日のうちに帰れなかったので、バスターミナルまで走って十和田市行きバスに乗り、十和田観光電鉄で三沢に抜けて帰ってきました。七戸駅からバスターミナルまではちょっと離れている上に時間がタイトだったのですが、ネットもろくになかったあの頃によく調べて行ったなあとしみじみ思います。
行こうと思えば行けたはずなのに、なぜ無理してでも行かなかったのかと後悔する路線は、「南海和歌山港線の和歌山港〜水軒」「のと鉄道七尾線穴水〜輪島」「のと鉄道能登線」「北海道ちほく高原鉄道」「高千穂鉄道」あたりでしょうか。特に水軒は行きたかったです。何で行かなかったんでしょうねホント…。
それと、私が高校を卒業して上京する直前に運行を停止してしまったのが「小田急向ケ丘遊園モノレール」。当初は、そのうち復旧するだろうから復旧したら乗りに行こうと軽く構えていたのですが、結局復旧することはなくそのまま廃止となってしまいました。近年は、災害などの影響を受けて不通となり、その後廃止になる路線が散見されますから、廃止のアナウンスが正式に流れていない路線でも、乗れるものは乗れるうちに乗っておくべきと思います。後悔してからじゃ遅いですね。
というわけで、私の廃止路線乗車記録でした。皆さんも、気になったら調べてみたらいかがですか?