2006年10月05日

国旗に背く意味が違う

発信箱:心はつかめたか=飯田和郎(毎日)

 中国は今、国慶節(10月1日)からの7連休のまっただ中にある。多くの市民が国内外の観光地へ出かけ、自分たちのゆとりを確かめる。

 この7月、鉄道が通ったチベット自治区は空前の観光ブームにわく。北京や上海と結ばれた鉄路で、大幅に拡大された空路で、旅行者が押し寄せる。チベットの枕ことば「秘境」の2文字はもう似合わない。

 最も変わった風景は区都ラサにあふれる中国国旗、五星紅旗だろう。鉄道開通後、初の建国記念日を派手に祝う赤い旗の波。ダライ・ラマの宮殿だったポタラ宮周辺も例外ではない。

 チベットには(中国政府のいう)「解放」(51年)後も独自の国旗があった。人々は中国旗を長く反感の対象とし、それは消えない。当局は神経を使い、掲揚を控えてきたが、人もモノも大量に送り込む今日、はためく中国旗がチベット統治を誇示する。

 国旗は時に民族団結の象徴となる。多民族国家・中国ではなおさらだろう。だが、締め付けや押し付けでは人の心を縛れない。縛るほど離れるのも人の心だから。

 連休中、官営メディアが伝える「ラサの五星紅旗」の映像を北京でながめながら、国旗掲揚・国歌斉唱をめぐり、東京都教委の通達・指導を違法とした東京地裁判決を思い出し、考える。

 東京で、ヒマラヤの地で続く「上」から「下」への管理は、実は自信のなさを見事に証明しているだけではないか、と。

 ただ、チベットの人たちが東京都教職員と違う点が一つある。不満や反発の声を上げることすらできない、という事実である。(中国総局)





 そうか! 日の丸・君が代に反対している教育労働者たちってのは、かつて日本に征服・蹂躙された異民族の末裔だったのだな!!

 ……って、んなわきゃーない。

 このコラム、チベットをどんどん侵食する中共の影を取り上げる姿勢はいいんだけど、それと日の丸・君が代問題を絡めるのはちょっと乱暴だと思うよ。チベット人が五星紅旗に反発する気持ちと、日本の教育労働者が日の丸に反発する気持ちはその由来からして違う。

 仮に、日本政府が一条校ですらない朝鮮学校に対して日の丸・君が代を強制し、それに在日の教師が反発しているのなら状況は同じだ。だけど、日本は朝鮮学校にまでそんな通達は出していない。日本の公立学校の、日本人教師に対してちゃんとやれと言っているだけだ。日本民族に日の丸を敬うよう促すことは、自信のなさなど証明していないだろう。

 チベット人はチベットの旗を持っている。しかし、この旗は掲揚することすら許されていない。翻って、日の丸に背を向けるような教育労働者は、日の丸の他に何か敬いたい旗を持っているのか。民族闘争と、単なる個人の思想・心情の問題を同一視するのはあまりに単純すぎる。

 それに、チベット人と東京都教職員の違う点はひとつどころではない。日本の教育労働者が、日の丸に背いたことで逮捕され、殺されたことなんて一度だってないのだから。
posted by atsu at 22:52| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今日は「美しい国を逆から読むと」とか
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20061005

なんでこう世の中まっすぐ受け取ることができない人が多いかなぁと苦笑いな一日でした。
Posted by 佐倉純@桜日和 at 2006年10月06日 01:35
>佐倉さま

その記事は笑えましたね。よくもまあ気がつくものだと。
マスゴミも、安倍さんのイメージ悪化に余念のないことですな。
Posted by atsu at 2006年10月06日 23:41
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