2005年04月16日

「複眼的歴史観」を持とう

 昨日(15日)の朝日新聞・三者三論のコーナーは「教科書検定を考える」がテーマだった。朝日のことだから、また「つくる会」の教科書への集中砲火だろうと思ったが、読んでみたら違った。コーナー名の通り三人の識者がテーマに添った意見を寄せる形の記事なのだが、そのお三方の中で東大教授の苅谷剛彦氏の意見にとても共感できた。

 苅谷氏の主張のタイトルは「複眼的歴史観こそ大切」というものである。特定の歴史観を肯定したり否定したりはせず、多彩な歴史観があってしかるべきというスタンスでまとめられていた。

 苅谷氏は学校で歴史を教える目的として

「過去に起きたことがらについての知識を与えるだけではなく、なぜ起きたかを考えることで、歴史から学んだ教訓をいまに生かすことにある」

と述べている。さらに

「その際、どういう視点に立つかによって、なぜ起きたかの説明も違ってくる。唯一絶対の正しい歴史観があるわけではないということを学ぶこと自体が重要」

と続けている。

 全面的に賛成だ。何が「正しい歴史」なのかは、タイムマシンでも発明されない限り本当のところは分かりっこない。それは非現実的だから、歴史学者たちは多くの史料や文献を研究し、歴史を少しずつ紐解いてゆくのだ。私たちは、可能ならばできるだけ多くの歴史観に触れ、できるだけ客観的に歴史を学ぶのが理想である。そうすることで、歴史を多角的に考えられる柔軟さも身に付くだろう。

 そのような「複眼的歴史観」を手っ取り早く身に付ける方法として、苅谷氏は「つくる会」の教科書と他社の教科書を授業で併用することを提案している。

 実際には難しいことかもしれないが、この方法は的確だと思う。生徒は混乱するかもしれないが、中学生くらいなら何とか付いてきてほしい。全部がきつければ「つくる会」と他社で記述が異なっているところだけピックアップしてもいい。あることがらについて「『つくる会』の教科書では○○と書かれていますが、他社の教科書では××と書かれています。このことがらの真相については今も議論がなされています」と紹介するだけでも効果はある。テストの答えはどうなるんだという問題もあるが、そもそもどれが史実か諸説あることがらを出題するほうが間違っているから、さほどの支障はないと考える。

 苅谷氏も指摘しているが、中国や韓国で行われている反日行動は、すべて国が定めた「正しい歴史」とやらの産物である。中韓では自国に都合のよい歴史しか教えないし、国定教科書に載っていない歴史はすべて排除・抹殺されている。中国の教科書など、元寇や日露戦争も載っていないのだ。そのくせ、他国の教科書には平気でイチャモンを付けるのである。日本のみならず、ベトナムに対しても「1979年の中越戦争が、中国の『侵略』だと書いている記述を消せ」と要求したりしたのだ。中韓ほど、自国の歴史を棚上げし他国の歴史を責める国もない。

 全国民が唯一無二の歴史観を持つということは、言うまでもないがたいへん危険なことなのである。日本は決してそうなってはならない。私自身、左派の人が持つ自虐的な歴史観は気に食わないが、それでも歴史について自由に論争することができることは素晴らしいと思う。中韓では、国と違う歴史観を持つ人間は徹底的に叩きのめされる(呉善花氏しかり韓昇助氏しかり)のだから。日本ではいくら反日的な言動をしても、「売国奴」となじられることはあっても生きていけなくなることはない。つくづく、中韓に生まれなくてよかったと思う。

 日本人はこれからも、凝り固まった歴史観を持たずにいってほしいと思う。できれば、それを中韓の人にも理解してもらいたいのだが、国が作り上げた一つの歴史観を「絶対視」している彼らには無理かな…。中韓の人も早く「自由にものを考えること」を手に入れることを願いたい。

posted by atsu at 21:07| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
全く同感です。

人間は神様ではないのですから、何が「正しい歴史」なのかなんて分かるわけがないわけで。

でも、日本人にも凝り固まった歴史観を持った連中もいますよ。
世界に「普遍的歴史認識」なるものがあって、日本もそれを共有すべきだと信じ込んでいるようで。
彼らには苅谷氏の爪の垢でも煎じて飲ませたいです。
Posted by まさまさ at 2005年04月17日 22:52
歴史については、いくら追究しても、絶対の正解というのは存在しがたいものですね。
自分が学生の頃に学んだことは、もう既に正解で無くなってしまっているので、歴史を学ぶことは永遠に真理を絶えず探求する、宗教家の行(ぎょう)に近いものかも知れません。

すごくCMで恐縮ですが、私は↓
http://kyoukasyo.net/
の賛同メンバーに入っていますので、よろしければ皆様のご一読お願いします。
Posted by 佐倉純 at 2005年04月18日 00:14
お二方、コメントありがとうございます。

>まさまささま

「普遍的歴史認識」とはとんだお笑い種ですね。
そんなものが通用するのなら、世界中から全ての争いなどなくなりますよ。
まったく、現実を見れない人たちは困ったものです。

>佐倉純さま

まさに修行ですね。正解なんて分かりませんから、私は歴史についてはテストのために勉強するものじゃないと思ってます。

電脳教科書補完録は、何度か見に行ったことがありますよ。
まだ熟読してませんけどね。
Posted by atsu at 2005年04月18日 23:28
 こちらで話題に挙がっている「普遍的歴史認識」とは違うのかもしれませんが、ドイツでは戦後の反省の意味も込めて戦勝国、戦敗国の隔てなく同じ建物に人が集って歴史認識を互いに共有しあう試みが行われていると聞いたことがあります。

 そこで出された見解は、その見解に携わった総ての国の教科書に採択されるようです。

 こういった試みは私たちもある意味望むところですけどね。中韓の行き過ぎた歴史捏造に一槌をなげうつことができますから。
Posted by まっすー at 2005年09月21日 23:32
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