「NHKが番組改変」 200万円賠償命じる 東京高裁(朝日)
旧日本軍による性暴力をめぐるNHKの番組が放送直前に改変されたとして、取材を受けた市民団体がNHKなどに総額4000万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が29日、東京高裁であった。南敏文裁判長は「制作に携わる者の方針を離れて、国会議員などの発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度(そんたく)し、当たり障りのないよう番組を改変した」と指摘。「憲法で保障された編集の権限を乱用または逸脱した」と述べ、NHKに200万円の支払いを命じた。NHK側は同日、上告した。
(以下略)
今日は「期待権」という耳慣れない言葉をずいぶんと聞いた。取材対象が、自分の期待に沿った番組を放送してもらえるように楽しみにする権利のことらしい。そして、制作者側がそれを踏みにじると賠償金が発生するんだそうだ。今ひとつピンと来ない。
各紙とも「期待権が拡大解釈され過ぎると報道の自由が阻害される」ということを書いてはいるが、私はこんな判決が出た時点で既に拡大解釈されていると思う。確かに取材対象者には期待権とやらがあるかもしれないが、制作者が必ずしもそれに従う義務などないと思うからだ。
今回は、取材対象者が市民団体と呼ばれるサヨク団体だったが、では右翼団体が取材対象者だったらどうするか。右翼団体を礼賛する番組を作るメディアがあるはずもないが、「期待権」というものが大手を振りだすと、誰も自分たちに批判的なものには取材協力しなくなるだろう。東京新聞は今日の社説で、「あらかじめ企画内容を説明し、それを条件として全面協力を得た、このケースの場合は企画を実現する義務があり、実現しなかったときは理由などを説明する責任がある。」と言っていたが、はじめからそんな確約をして番組作りをするほうが間違っているんじゃないだろうか。
公共放送たるNHKは、バウネットとやらの広報機関じゃないのである。どうして、彼女らの意に沿った番組を作らねばならないのだろう。今日の朝日の社説曰く「政治家の意向をおしはかって番組を変えるというのでは、自立したジャーナリズムとはとても言えない。」とのことだが、市民団体の意向をおしはかって番組を作るのもまた、自立したジャーナリズムとはとても言えないと思うのだが、違う?
3月14日に豪華フランス料理とブランドバックを奢ったものの
デザートを食べ終わるやいなや席を立たれてしまい
「期待権」を侵害されたと訴える男が出そうな予感。
ま、期待するのは勝手ですけど、それは裏切られる前提で考えてもらわないと困りますよね。