待ちに待っていただけに失望を通り越して、あきれかえってしまった。NHKの番組が政治的圧力で改変させられた、と報じた朝日新聞がきのう見開き二ページにわたって掲載した検証記事のことだ。
▼今年一月十二日付朝刊一面に載った記事の書き出しは、こうだった。「01年1月、旧日本軍慰安婦制度の責任者を裁く民衆法廷を扱ったNHKの特集番組で、中川昭一・現経産相、安倍晋三・現自民党幹事長代理が放送前日にNHK幹部を呼んで『偏った内容だ』などと指摘していたことが分かった」。
▼このうち、(1)中川氏が放送前日、NHK幹部に会った(2)中川、安倍の両氏がNHK幹部を呼んだ−という記事の根幹部分について、社会部長が「真相がどうだったのか、十分迫り切れていません」とあっけらかんと「総括」しているのだ。
▼迫り切っていない真相はほかにもある。昭和天皇を「強姦(ごうかん)と性奴隷制」の責任で断罪した「法廷」を主催したのは、朝日新聞の元編集委員。問題の記事を書いた記者の一人はその信奉者で、以前から「法廷」に好意的な記事を書いていたという指摘がある。「癒着」はなかったのか。
▼安倍氏が提示する疑惑はもっと重要だ。北朝鮮の工作員が「法廷」に検事役として参加しており、朝日の報道も、対北強硬派の二人のイメージダウンを図ったものではないか、という点だ。鍵を握る記者は、安倍氏の公開討論の呼びかけにも、本紙の取材要請にも応じていない。
▼海の向こうでは、取材源を守るために拘置所に収監された記者がいる。かたや、取材された人たちだけが、さらし者になって、記者がたこつぼに入ったまま出てこない検証記事。「報道の自由」の危機とはこのことか。同業者として自戒しなければ。
「たこつぼに入ったまま出てこない」とは上手い表現だと思った。ここまで言われて、当の本田記者は恥ずかしくないのだろうか。悔しくないのだろうか。いや、本田記者だけではない。今回の検証記事に携わった記者も、関係ない記者も、ひいては記者職以外の全朝日新聞社社員たちもだ。恥ずかしくも悔しくもないと言うのなら、報道に関わる者としては失格もいいところだ。ま、私は毎日多くの朝日社員を間近で見るが、今日も普段と変わりなく羞恥心など微塵も感じられなかったわけだが。厚顔無恥でないと朝日社員は務まらないらしい。
社説で取り上げていたのは読売と毎日。読売は特に特筆すべき点のない大人しすぎる文章だったが、本来なら朝日の盟友であるはずの毎日は手厳しかった。何せまず手始めに
半年以上経過して掲載された記事は拍子抜けするほど新事実に乏しく、国民が知りたかった点に真正面から応えているといえない内容である。
と、あれだけ朝日が一生懸命書いた検証記事をバッサリと一蹴している。いかに同じサヨクの毎日と言えど、今回の詰めが甘い朝日の記事は甘受できないのだろう。朝日の記事は、信者以外にはまったく通用しない駄文だったことがうかがえる。
また、朝日が検証記事ですら触れていなかった、松井やよりと本田雅和の関係にも言及していたのが評価できる。「産経抄」は当然のように触れていたが、毎日もしっかりとこの点を押さえていた。朝日に記者会見を求めている点もまあよい。欲を言えば朝日が一方的に喋る記者会見でなく、当事者らを集めた討論会を開けと言ってくれれば満点だったが。
当の朝日はと言うと、今後の対応は第三者機関から「意見」や「評価」を仰いで決めるのだそうだ。しかしその第三者機関の4人の委員とは、多くのブログでも指摘されているように全員朝日の息のかかった人物である。これではどう考えても、朝日に都合のよい「意見」や「評価」しか出ないに決まっている。
朝日よ、今からでも遅くはない。その4人のメンバーは据え置いてもいいから、保守論陣から
渡部昇一と屋山太郎
を迎え入れろ。4対2なら文句はないだろう。この2人を加えて出た「意見」や「評価」なら、私は受け入れてやらないでもないよ。
朝日 VS NHK メディアには謙虚さが必要だ(毎日社説)
[NHK特番問題]「説得力に乏しい朝日の『検証』」(読売社説)
産経抄 (07/26)