2007年11月04日

冷静な反戦論のほうが心を打つ

 昨日(3日付)の東京新聞に、こんな投書が載っていました。私の考えとかなり合致する良い意見なので、ここで皆さんに紹介したいと思います。




戦争の本当の姿伝えて(3日付東京新聞掲載)
埼玉県小川町 無職 S・Sさん 84歳 女性

 昭和二十年二月、私は学徒勤労動員で工場に行きました。半年後の終戦の詔勅の日、学校に引き揚げることになった時、工場の班長が、「米軍が上陸してきたら、男は殺され女は陵辱を受けるだろう。その時が来たらこれで自決しなさい」と言って、製品に使っていた青酸カリを小瓶に入れてくれました。その時の班長の目はうるみ、優しささえあったと今でも記憶しております。

 思えば、直接戦場と化した沖縄において、軍人から万一の時には自決せよと手りゅう弾を手渡されたことは事実でしょう。しかし、その自決を「強制」という言葉だけ強調するのも真実ではないのでは、とも思います。軍人も、このまま生きていればどんなことになるか、と思って、心で泣いて手りゅう弾を手渡したのではないでしょうか。

 それを使って早まって自決した方々は、本当に不幸でした。軍人として沖縄戦を経験された方と、沖縄の戦争体験者の方々と隅ずみまで話を聞き、これが戦争だという本当の姿を素直に伝えれば、これこそが反戦教育でありましょう。

 私は終戦の年の三月、東京最初の下町の大空襲で工場に来なくなった級友の安否を調べるために、翌日その地を訪ねました。見渡す限りの焼け野原に累々と横たわる死体。ふと立ち寄った警察署に頼まれて、その日から一週間死体処理の手伝いをしました。

 また、その二カ月後、今度はわが身が雨のように降り来る焼夷弾の中を逃げ惑い、目の前で直撃を受けた人を助けることができず、踏み越えて逃れたこともあります。

 「ああ、戦争って、死ぬのは軍人さんだけではないのだ」と身にしみて怖気をふるいました。どうか、本当の戦争の姿を伝える強い国民になりましょう。





 投書主の方は、実に冷静に、戦争を振り返ってらっしゃると思います。感情的に被害を強調する沖縄の人たちよりも、こういう冷静な文のほうが私の心を打ちますね。こないだは東京新聞をたっぷり批判しましたけど、この投書を掲載したことは素直に評価します。あとは、この投書に対する感情的な反論が載らないことを祈るだけですね。

 集団自決を「強制だ強制だ」と騒いで、挙句「強制集団死」という新たな言い換えを進めているような人たちは、あまりに戦争を一面的に捉え過ぎています。やはりあの時代は、敵に捕まったり殺されたりするくらいなら潔く自決するという感覚が色濃く残ってましたし、通州事件などの影響で捕虜になったらどんな酷い仕打ちを受けるか分からない状況でした。

 沖縄の人たちも、家族が散り散りになって米軍に殺されるくらいなら、みんな一緒に死のうと思ったのだと思います。自決のために手榴弾を求める人たちに、沖縄出身の防衛隊隊員が親切心から手渡してしまうのも無理はないと思います。そういう事情を全て無視して、集団自決の全てが強制されたものだと主張するのは、ご先祖様に対する冒涜ではないでしょうか。


 では、もうひとつ投書を紹介します。これは今日(4日)の毎日新聞に掲載されていたものです。




丸刈りの私 手投げ弾を渡された(4日付毎日新聞掲載)
奈良県大和高田市 主婦 O・Aさん 81歳 女性

 沖縄戦の集団自決のことがいろいろ言われていますが、戦前の軍隊がどんな集団であったかは、実際に経験した人でなければ分かりません。

 私は、中国で陸軍の船舶司令部で書記をしていました。一言では言い表せない強制的な軍規も知っています。内地に帰りたいと思い、涙したこともありましたが、難しい試験を通って来たのですから、覚悟はしていたことです。

 終戦時は「女がいると分かれば大変なことになる」と言われ、丸刈りにして初年兵の軍服に日よけのついた戦闘帽、思い軍靴で、内地に戻る日を待ちました。戦陣訓にある「生きて虜囚の辱めを受けず」を守る覚悟でした。いざという時のため、上官から手投げ弾を渡されました。それを使用せず、昭和20(1945)年暮れ、無事に鹿児島港に上陸できた時は、本当に生きて帰れたことが夢のようでした。

 手投げ弾は貴重な武器です。沖縄で住民が手投げ弾を持っていたことや軍隊の性質を考えれば、軍の関与、強制がなかったと言うのはおかしいと思います。





 この投書、途中まではいいのですが、どうして最後はそういう結論になるのか不思議です。

 投書主の方はいざというときに使えと手榴弾を渡されたそうですが、幸いにもそれを使う機会は訪れませんでした。ということは、自決の強制などという話では全くないと思います。強制とは、何が何でも今ここで死ねと言われることです。手榴弾を持たされるだけでは、強制とは言えません。

 また、軍の性質を考えれば強制がなかったと言うのはおかしいとのことですが、投書主さんがいた部隊の上官は、投書主さんをきちんと守っていてくれてますよね。なぜ、投書主さんを丸刈りにして男装させたかというと、言うまでもなく強姦されないようにです。投書主さんが中国のどの辺りにいたのかは知りませんが、満州だったら鬼畜並みのソ連兵が跋扈してそれはそれは酷い状況でした。現在81歳の投書主さんは当時は19歳のうら若き乙女でしたから、ソ連兵に見つかれば間違いなく強姦されていたでしょう。でも、上官の機転によってどうやらそれは免れたようで何よりでした。

 軍人が自分たちの身の安全しか考えないのであれば、そんなことに気を回してくれはしないと思います。手榴弾を渡したのもその延長上でしょう。手榴弾は自決に使うためだけではなく、犯されそうになったときには身を守る武器にもなると思います。今から犯そうとしている娘が、手に手榴弾を持って今にもピンを抜こうとしていれば、いくらソ連兵でも一瞬怯むでしょう。「いざというとき」にはそういうケースもあり得るのではないでしょうか。


 沖縄の人たちは、今はちょっと頭に血が上りすぎているのかもしれません。その根底には、教科書から「強制」という言葉が消えることで、いずれは「集団自決」という事実まで否定されていくのではないかという不安があるのではと八木秀次さんが言ってました。でも、その心配はいりません。集団自決はなかったと言っている人は、誰もいませんから。問題は、軍による強制があったかなかったかなのです。

 教科書が不正確な記述に戻りつつあるのは残念ですが、沖縄の人たちには冷静さを取り戻してからもう一度歴史を見つめなおしてほしいですね。間違っても、本土のマスゴミやキチガイ反戦団体にいいように利用されないようにして下さい。


posted by atsu at 23:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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