「訂正するつもりはない」と大江氏〜沖縄集団自決訴訟(産経)
先の大戦末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする本の記述は誤りとして、当時の守備隊長らが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店に損害賠償や書物の出版・販売差し止めなどを求めた訴訟は9日、大阪地裁(深見敏正裁判長)で引き続き口頭弁論が行われ、大江氏が出廷した。
本人尋問で大江氏は「参考資料を読み、執筆者に会って話を聞き、集団自決は軍隊の命令という結論に至った」と述べ、軍命令説の正当性を主張した。
今回の訴訟で大江氏が証言するのは初めて。訴訟は、来年度の高校日本史の教科書検定で、集団自決を「軍の強制」とした記述を修正した根拠にもなったが、その後、教科書会社が削除された記述を復活させる訂正申請を出している。
大江氏は座間味、渡嘉敷両島の元守備隊長2人が直接自決を命じたかどうかについては「書いていない」としながらも住民に手榴(しゅりゅう)弾が配布されたケースがあると指摘。「当時は『官軍民共生共死』の考え方があり、住民が自決を考えないはずがない」と軍の強制があったと述べた。また、自著『沖縄ノート』について「日本軍の責任を明確にしたかった。強制において(集団自決が)なされたことを訂正するつもりはない」と語った。
大江健三郎の証言の詳細はコチラ
【沖縄集団自決訴訟の詳報(4)】大江氏「隊長が命令と書いていない。日本軍の命令だ」
【沖縄集団自決訴訟の詳報(5)完】大江氏「責任をとるとはどういうことなのか」
注目の裁判は佳境を迎えました。私はこないだから、大江が出てきていったい何を喋るのか、果たして「物書きとしての責任(by ウソを百万遍言って真実にしちゃった鎌田先生)」をまっとうできるのか、とても期待していました。でも、やはり期待通りにはなりませんでしたね。大江には、こちらが反論できなくなるほどの「軍命令の根拠」を示してほしかったんですけど、私の心に響くようなものは何もありませんでした。
結局のところ、彼の著書「沖縄ノート」は、「鉄の暴風」の引用本に過ぎないことが本人の口から証明されたようです。せめて、渡嘉敷か座間味を訪れて島民から話を聞けば少しはマシだったと思いますが、彼はジャーナリズムの基本である取材活動を激しく怠っています。「軍命令があった」と書いてある本を読み、その本の著者から話を聞いただけで、軍命令を確信してしまうのだから始末が悪いですよね。プロなら普通は裏を取って、それが真実なのか確かめるものですよ。
しかも、大江の証言を読むと、時代の空気がそうさせたんだみたいなことを言っているんですよね。例えば、このあたり。以下引用。
被「陳述書では、軍隊から隊長まで縦の構造があり、命令が出されたとしているが」
大江氏「はい。なぜ、700人を超える集団自決をあったかを考えた。まず軍の強制があった。当時、『官軍民共生共死』という考え方があり、そのもとで守備隊は行動していたからだ」
被「戦陣訓の『生きて虜囚の辱めを受けず』という教えも、同じように浸透していたのか」
大江氏「私くらいの年の人間は、子供でもそう教えられた。男は戦車にひき殺されて、女は乱暴されて殺されると」
被「沖縄でも、そういうことを聞いたか」
大江氏「参考資料の執筆者の仲間のほか、泊まったホテルの従業員らからも聞いた」
被…被告側代理人
引用ここまで。
青字の辺り、軍命否定派が言っていることと同じです。軍の命令がなくても、敵が迫ってくれば自決に走る土壌が当時の日本人にはできてしまっていたわけです。私だってそれがいいことだとは思いませんけど、そういう意識を植えつけた皇民化教育からこじつけて「軍の命令」にもっていくのはかなり乱暴です。途中までは我々と同じ考えなのに、どうして結論が180度変わってしまうのか。
さらに大江が卑怯だと思うのは、今になって赤松・梅沢両氏の実名は書いていないことを強調している点です。でも、他の資料には両氏の実名が出ていたわけだし、大江の著書には書いてないからといって責任逃れはできないでしょう。
大江が頑なに信じる「軍の命令」とやらは、結局はそうであってほしいという願望の現われでしかないようです。だいたい、軍の命令がなければ自決はあり得ないとするならば、サイパンのバンザイクリフや樺太の真岡郵便局の説明がつきません。どうして沖縄においてだけ、軍の命令が必要だったのかの根拠を私は知りたかったです。