詰め甘くても合理的な判断
東京都江戸川区の無職 E・Tさん(59歳 男性)
「証拠がないのに憶測で判断してはならない」。この言葉の妥当性には二面性がある。対権力の場合、権力者が法的、社会的、道義的な問題を起こしても、証拠をつかむのは容易ではない。たとえ明確な証拠がなくとも「合理的な判断」が「十分にできうる」場合には、冒頭の言葉は妥当性を欠く場合がある。
今回の朝日新聞のNHK「番組改変」報道では、中川、安倍、松尾氏からの反論に証拠をあげられなかった点で、朝日は取材の詰めの甘さを反省している。
だがそれを、自民党やNHKが鬼の首でも取ったかのように「虚偽報道」と攻撃し、自分たちの正当性を強調するのは筋違いだ。
一連の流れから、朝日が主張する「政治家の発言が圧力となって番組内容が変わった」点、「安倍氏らと面談したNHKの国会担当幹部が番組変更の指揮を執った」点は、事実だと判断するに足る合理性がある。
「NHK報道」委の見解にあるように、番組制作に関係のない国会担当幹部が改変個所を指示し、政治家らが指摘していた線に実質的に沿うものとなった点は「番組編集に政治家の影響力が及んだ」ことを示唆している。
それを「証拠がないからなかった」などとして朝日攻撃に終始する自民党やNHKの態度は、居直り以外の何者でもない。
時に朝日は、自らの本音を読者に代弁させることがある。今回のこの投書もその典型で、見苦しいことこの上ない。
しかし、この投書主の言うこともまたずいぶんとメチャクチャである。どっから突っ込んでいいのか分からないくらい。朝日ばっかり読んでいるとこうなるという見本のようなものだ。
前回の「拝啓 秋山耿太郎様」で、NHK報道委員会の原寿雄氏が「ジャーナリズムは、100%の確証がなくとも『疑わしきは報道する』のが原則」と言っていたことを紹介した。確かに疑惑は報道する意義があるとは思うが、しかしあくまで疑惑は疑惑であるので、断定調に報じたらウソになるだろう。
しかし問題の1月12日の記事はどうだったかというと、見出しからして「中川昭・安倍氏『内容偏り』 前日、幹部呼び指摘」と、完全に断定である。今回朝日が詰めきれなかったのはまさに「前日に幹部を呼び出して指摘したかどうか」であって、この一番重要なところの証拠も出せずに「事実だと判断するに足る合理性」などまったくない。
また、上の引用文に赤字で示した部分も意味が分からない。NHKが自主編集した末に放送された例の番組のどこが「政治家らが指摘していた線に実質的に沿うもの」なのだろうか。安倍晋三が昭和天皇を裁く番組を望むわけないだろうに。だいたい、安倍氏や中川氏は逐一「改変個所を指示」などしていない。この人、朝日の記事を読んでさらに妄想を誇大化させてしまっているようだ。朝日読者の最終形態とでも言おうか。
まあホント、朝日は自己弁護に必死のようである。自浄効果など微塵もない。もうダメだなこりゃ。
いやだなぁそれは。
それにしてもネットで声欄だけでも読みたいと私は思うので、朝日でもNetViewやってくれないかなーと思うんですが・・。
朝日の「肥」欄は、ある意味記事よりもネタの宝庫ですよ。
NetViewやってくれればそれにこしたことがないですが、一週間分まとめてでも図書館などへ行ってお読みになることをオススメします。
http://www.janjan.jp/
という実名版2ちゃんねるニュー速板みたいなのがあるのですが、そこに現れる沢田さんって人が朝日擁護なんですけど、ウオッチする対象としては電波飛ばしまくってて面白いですよ。