2009年12月09日

日の丸常時掲揚素晴らしい

大阪市の全市立学校で日の丸掲揚 休日以外の常時(共同)

 大阪市教育委員会は8日、早ければ2010年4月から、市立の小、中、高校と特別支援校で、学校行事や式典のない平日も日の丸を常時掲揚するよう求める方針を明らかにした。「強制はできないので各学校に要請する。管理できる人がいない休日は対象外」としている。

 市教委によると、市立校では入学式と卒業式での掲揚は100%だが、そのほかの日に掲揚する学校は少数。今後は、屋外用の日の丸を全460校に配布する計画で、約60カ所の市立幼稚園も学校に準じるとしている。

 担当者は「市立のほかの施設では掲揚が進んでおり、学校だけ省く理由はない」と説明している。

 8日の市議会決算特別委員会で、市立施設での掲揚について問われた平松邦夫市長は「市民の気持ちの表れとして、あらゆる場面で国旗を掲揚し国歌が斉唱されるべきだ」と答弁した。





 素晴らしいお話ですね。大阪市の決定を全面的に支持します。

 まあ、本来ならばこんな決定をするまでもなく、公立学校には常に国旗が掲揚されていてしかるべきではあるんですけどね。でも、戦後の教育機関が国旗・国歌嫌いのサヨク教師に乗っ取られてきたことを考えると、画期的なことだろうと思います。

 確かに担当者の言うとおり、他の公立施設がみんな掲揚しているのだから、学校だけ除外されてきたのがおかしな話ですね。大阪市は卒業式・入学式での国旗掲揚率が100%ということですが、教師の反発がすごくで掲揚率が低い自治体も大阪市に続くべきだと思います。反発する教師たちには是非、自分が公務員であることを思い出してもらいたいですね。





暴行:テレンス・リーさん被害 顔を骨折−−神奈川・相模原(毎日)

 9日午前0時10分ごろ、神奈川県相模原市相模原4のJR相模原駅付近の歩道で、近くに住む危機管理コンサルタントでタレントのテレンス・リーさん(45)=本名・加藤善照=が自転車で帰宅中、すれ違った男と接触して口論となり、殴るけるの暴行を受けた。加藤さんは顔の骨を折る重傷。通行人が駅前の交番に通報し、県警相模原署員が男を傷害容疑で現行犯逮捕した。

 逮捕されたのは、同市相模原5、アルバイト、稲葉暁容疑者(42)。同署によると、稲葉容疑者は酒を飲んでいた。【山衛守剛】





 えーー、危機管理どうしちゃったのよ。これはもしかしたら、彼の護身術が役に立たないことの証左ではなかろうか。まあもともと「サンデー・ジャポン」くらいでしか見たことがない胡散臭い人だったけど、商売上がったりになったりして。

 この人はある意味プロだから、素人に対して無抵抗を貫いたとも取れます。だけどその場合でも、防御ぐらいはできますよね。なのに顔面を骨折するくらいのパンチをまともに食らうようでは、もうダメなのではないでしょうか。相手は酔っ払いだそうですが、酔拳を使っているジャッキー・チェンばりに強かったのでしょうか。

 まあでも気の毒ではありますね。ゆっくり療養して下さい。


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2009年11月06日

12日は心の祝日です

10年前には妨害も 天皇陛下ご即位20年祝賀、公立学校で国旗掲揚へ(産経)

 5日の衆院予算委員会では国旗国歌の取り扱いをはじめ民主党の教育政策の方針が取り上げられた。天皇陛下ご即位20年の祝賀の日となる今月12日には全国の公立学校で国旗を掲げる閣議決定がすでにされ、鳩山由紀夫首相もこの方針を変えないことを明言した。4日に発売された「学校の先生が国を滅ぼす」(産経新聞出版)には今から10年前、天皇陛下ご即位10年の際の国旗掲揚をめぐり、組合教師らが執拗(しつよう)に妨害を繰り返す大阪府内のある学校の実態が克明に記されている。

 《天皇皇后両陛下御在位十年の祝賀の日である十一月十二日(金)、私は国旗を粛々と掲げるために午前五時に出勤しました。午前六時三十分、誰も出勤してこない時刻に私と教頭は国旗を持って上がり、掲揚台にいつでも上げられるように国旗を取り付け、教頭をその場に残して私は校長室に戻りました》

 なぜ午前5時に学校長が出勤するのか。国旗掲揚を妨害する組合教師たちの陰湿な攻撃を避けるためだ。閣議決定で国旗掲揚の通知にも現場は従わない。職員会議で深夜まで「つるし上げ」が続き、追い詰めていく。通知は反故(ほご)にされる。糾弾的な討議を断ると「話し合いを拒否した」と逆に騒ぎが大きくなる。

 校長はこの日、不測の事態に備え屋上に通じる予備の鍵まで用意して臨んだ。

 《午前八時二十三分、組合役員が国旗掲揚を阻止するために校長室へやって来ました。私は先日明言した通り「会いたくありません。話し合う必要はありません」と断り、校長室のドアを閉めて施錠しました》 組合役員が大声で叫び面会を求める。校長は携帯電話で屋上に残った教頭に掲揚を命じる。登り口には組合教師が座り込んでいる。教頭は屋上に立ち往生し、座り込みが解けた午前9時15分に階下に戻れた。

 《午後二時ごろ分会長が「抗議声明」を持ってきましたが、私が校長室から出ないので教頭に手交し、「日の丸は誰が掲げたのか」と抗議しました》

 糾弾はその後、むしろ大きくなった。校長室に鍵を掛けたことを組合が文書で非難してくる。反論すれば今度は反論自体が非難対象に。元校長はこうつづる。

 《祝賀の日に国旗を掲揚するというごく普通のことをするのに、これほどの大騒ぎをしなければならない学校の現実を世間の人たちはどう思われるでしょうか。実に嘆かわしいことですが。これが公立学校の実際の姿なのです》

 あれから10年。学校での陰湿な対立構図は今も全国の至る所に残ったままだ。





 件の本、「学校の先生が国を滅ぼす」は、昨日アマゾンより私の手元に届きました。さっそく5分の1ほど読みましたが、のっけから酷いものです。筆者が校長として赴任した直後の入学式で、式場には掲揚できなかったのでやむを得ず玄関に三脚で国旗を立てただけで、教師たちから非難と抗議の雨あられ。校長を上司とも思わない彼らの態度は、まさに学校が日教組によって無法地帯と化していることを表していました。

 筆者は抗議を受けるたびに、文書を作成して論理立てて反論します。しかし彼らはその論理を一切受け付けず、ヒステリックにシュプレヒコールをあげて反対反対と叫ぶだけ。「話し合いをしろ」と要求したのはそっちなのに、話し合うつもりがありません。論理破綻していても自分の要求だけを通そうとする彼らは、まさに駄々をこねる幼児のようでした。

 ここ数年、国が国旗・国歌の指導に力を入れたことで、だいぶ教育現場は正常化してきたと思います。しかし、日教組とべったりの民主党が政権の座についている以上、これがいつ逆戻りするか分かったものではありません。狂っぽーは今のところ、国旗・国歌についての指導も従来のものを踏襲すると言っていますが、いつ方針転換してもおかしくはないと思います。油断はなりません。

 国旗・国歌に対する個々人の思いは様々なものがあるとは思いますが、教育現場における異常なまでの拒否反応は常軌を逸しています。常識的な感覚の持ち主なら、同書を読んで教師たちに共感する人間などいないことでしょう。どうして彼らはそれほどまでに国旗・国歌を忌み嫌うのか、私には全く分かりません。わずか5分の1を読んだだけでも、彼らの気持ちが分からなくて首を傾げるばかりです。

 私は日本人として日本国を愛しておりますので、日の丸もまた愛おしい存在として認識しております。来たる12日には、きちんと国旗を掲げてから出勤するつもりです。本当は祝日になることを祈っておりましたが、こればかりは仕方ない。奉祝式典などにも参加できませんが、幸いにも皇居からそれほど離れていないところに職場がありますので、仕事をしながら心の中でお祝い申し上げる次第です。

 なお、「学校の先生が国を滅ぼす」をご購入希望の方は、左側にあるアマゾンのアフィリエイトからポチッとお買い上げ頂けますと幸いでございます。


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2009年08月28日

早く読みたい!

【産経抄】8月24日

 『学校の先生が国を潰す』。おだやかならぬ題名の本が、送られてきた。著者の一止羊大(いちとめ・よしひろ)さん(66)=ペンネーム=は、大阪府下の公立学校の元校長だ。学校での国旗、国歌の指導の実態を知ってもらいたいと、自ら印刷した。題名には、学校の先生こそ、日本人から矜持と誇りを奪った張本人ではないか、との思いを込めたという。

 ▼平成10年4月に着任した学校では、最初の職員会議からして異様だった。新任の校長を差し置いて、「議長」が冒頭にあいさつをして、審議に入った。入学式、卒業式で、国旗の掲揚、国歌の斉唱がないこともわかった。職員会議の多数決で決まった、というのだ。ここから、一止さんと教職員組合との壮絶なバトルが始まる。

 ▼会議、校長室、自宅にかかってくる電話で、議論が続く。一止さんを誹謗する文書が「ニュース」として、定期的に全教員に配布される。保護者にも、国旗、国歌に反対するよう呼びかけがある。教育委員会は、指導の徹底をとはっぱをかける。

 ▼ところが、組合との対立の激しさを報告すると、一転して混乱を避けるように、と腰が引けた対応になる。まさに、孤立無援の状態だった。広島県立高校の校長自殺のニュースが飛び込んできたのは、そんな時だ。君が代をめぐる組合との交渉に疲れていたと伝えられた。

 ▼「人ごとではないと思った」と述懐する。一止さんの兄は、海軍の予科練に入り17歳で戦死している。その話を聞いた女性教員は、「先生のお兄さんも侵略者だった」と言い放ったという。

 ▼「だから、国旗を切り刻んでもなんとも思わない人が現れても、驚きません」と、一止さんは電話で話す。「戦後60年以上たって、本当の敗戦の日を迎えてるんじゃないですか」とも。





 この本、産経抄を読んで非常に興味を持ちました。奇しくも民主党政権が誕生しつつあり、教育現場が再び日教組の天下になりかねない現在において、これほど時宜を得た出版物もありません。

 しかし、家に帰ってから検索してみても、出てくるのはこの産経抄とそれに言及したブログばかり。記事中にも「学校での国旗、国歌の指導の実態を知ってもらいたいと、自ら印刷した。」とあるように自費出版のようで、いったいどこの出版社から自費出版されているのかすら調べられませんでした。

 校長先生自身が日教組とのバトルを描いた本は今までなかったように思えるので、何でこんなよさそうな本が自費でしか出せないんだと残念でしたね。産経も、紹介するくらいなら自分とこから出せばいいじゃんと。そう思っていたところ、今日の産経抄で嬉しい続報が。




【産経抄】8月28日(一部抜粋)

 ▼先日紹介した『学校の先生が国を潰す』を読みたい、との問い合わせを多数いただいた。今秋、産経新聞出版から刊行されます。





 キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!

 さすが産経。そしてさすが産経読者。私のように、この本を読みたいと思ったマトモな人はたくさんいるんですねぇ。要望が多数くるのはある程度予想できた事態でしょうが、すぐに出版を決める迅速さもまた評価できます。必ず買いますんで早く出してください。

 民主党政権誕生がもはや不可避になった今、我々は日教組の基地外ぶりを再認識しておくべきです。より多くの人がこの本を読み、こんな団体に支持されている政党に票を投じたことを悔やむようになればいいですね。

 我が国を日教組やら自治労やらの思い通りにさせてなるものか。


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2008年03月27日

日の丸・君が代否定の全体主義

国歌斉唱 起立1人 卒業生170人 教員が指導か 門真の第三中(産経)

 大阪府門真市の市立第三中学校で今月13日に行われた卒業式で、約170人の卒業生のうち男子生徒1人を除く全員が、国歌斉唱時に起立せず、その多くが斉唱もしなかったことが26日、分かった。式に出席していた3年の担任、副担任計11人のうち9人も起立せずに斉唱もしなかったという。学校側は事前に教員が卒業生に不起立を促した可能性があるとみて担任らから事情を聴いており、事態を重くみた府教育委員会も調査に乗り出した。

 第三中や式に出席した関係者によると、式は卒業生や保護者らが起立して始まり、教頭の「開会の言葉」に続いて国歌斉唱が行われた。しかし、「国歌斉唱」とアナウンスされたとたん、それまで起立していた生徒たちは次々と座り始め、最終的に起立したまま斉唱したのは男子生徒1人だけだった。着席した生徒の大半は斉唱した様子がなかったという。

 式には、3年生を受け持つ担任5人、副担任6人も出席していたが、生徒たちと同様に相次いで着席し、起立していたのは副担任2人だけだったという。

 式の後、一部保護者から事態を問題視する声が寄せられ、学校側は市教委に報告。さらに教員らが生徒に不起立を命じたり促したりしなかったかどうか、担任らから事情を聴いている。府教委によると、学校の調査に対し一部の教員は「生徒に国歌の意義について説明し、『式で歌うかどうかは自分で判断しなさい』と指導した」と話しているという。

 瀬戸和夫校長は産経新聞の取材に対し、「事前に不起立を指導していたのであれば、生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎた指導。ただ、現在のところそうした指導があったという事実は確認されていない」と説明。教員の不起立に関しては「学習指導要領に従って起立するよう指導はしていたが、結果としてこうなってしまった」と話している。

 府教委小中学校課は教員が全卒業生に不起立を促していた可能性が高いとみており、「非常に大きな問題で、偏向教育ととられても仕方がない。教員の不起立についても経緯をくわしく調べ、厳正に対処したい」としている。





 これは異常事態といって差し支えないでしょうね。何らかの作為が絡まない限り、170人中1人を残して全員が着席するなどという事態になるはずがありません。一部の扇動者のために、多くの卒業生の思想・信条の自由が侵害された恐れがあります。

 普通に考えて、着席した生徒全員が日の丸・君が代に反感を持っているとは考えにくいです。中にはサヨク教師に洗脳されてリーダーシップを発揮してしまった生徒もいたでしょうが、多くはその場の空気を読んで着席したのでしょう。みんなが座っているのに、自分だけ立っているのは恥ずかしいし、周りから浮くと「KY」などと罵られる時代ですからね。ノンポリの生徒は、その空気に従って着席しただけだと思われます。そんな中、ただ一人立ったまま君が代を斉唱した生徒は尊敬に値します。

 いや、本来ならば当たり前のことなので、尊敬に値するものではありません。しかし、ほとんど圧力とも思えるその空気の中で、自分の信念を貫いた彼は素晴らしい。私もその場にいたなら、起立を続けられた自信があまりありません。とても勇気のある行為だと思います。

 さて、日頃「日の丸・君が代を強制するな」と叫んでいる教師たちは、このニュースをどう捉えるのでしょうか。まあ恐らく「生徒たちは自らの判断で日の丸・君が代を拒否した。これは実によいことだ」などと思うのでしょう。しかし、着席した生徒の中にも本当は日の丸・君が代に敬意を払っている生徒もいたはずです。だけど、サヨク教師たちはそんな生徒には思いを馳せることができないでしょうね。

 仮に、本当に生徒たち全員が自らの意思で着席したのなら、それはそれで恐ろしいことです。自分の頭で導き出した答えが、全員一致するはずがありません。それはサヨク教師の洗脳が上手く入っただけのことであり、生徒の自主性でも何でもないのです。まさに全体主義と言わざるを得ません。

 門真市立第三中卒業生の皆さんに、僭越ながら私から苦言を申し上げます。「みんな座ろうぜ」と煽動した生徒は、自分の思想を他人に強制しないように心がけましょう。「なんかみんな座るみたいだし、座っとくか」と空気を読んだ生徒たちは、軽々しく煽動に乗らないように心がけましょう。「本当は斉唱したかったのに、浮くのが怖くて座ってしまった」と悔やんでいる生徒たちは、その思いを世間に公表しましょう。ただ一人信念を貫いて斉唱した生徒は、偉い!!

 かくいう私も、高校生ぐらいまでは日の丸・君が代には何の敬意も抱いていませんでした(もちろん、入学式や卒業式では普通に起立して、何のトラブルもなく口ずさんでましたがね)。高校には日の丸・君が代を批判するようなことを言っていた先生もいたし、私もそういう先生をちょっとかっこいいと思ったりしていたんですよね。ま、よっぽど深く洗脳が入っていない限り、大人になって自分の頭で考えてみれば国旗・国歌の大切さがよく分かると思います。それでも嫌いならば別に構いませんが、少なくとも自分の思想を守るために式典を混乱させるような情けない大人にはならないで下さい。いつまでも駄々をこねて日の丸・君が代に反対する教師は、成人式で暴れるDQNと大差ないんですからね。
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2007年11月14日

恐るべき、反日の丸・君が代教育の指針

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(8)(産経)より抜粋

 大分県教組大分支部の平和教育小委員会は2002年、小1から中3まで各学年で国旗国歌をどう教えるかを示した「日の丸・君が代学習系統表」を作成、現場の教員に配布した。そこには次のような指導目的が掲げられていた。

 小1▽「ああうつくしい」と歌われている「ひのまる」を悲しい思いで見ている人たちがいることを知る

 小2▽「君が代」が「国歌」として使われるようになったが、この歌で悲しい思いをする人もいることを知る

 小5▽戦時中、戦争を推し進める手段の一つとして、小学校でも「日の丸」教育が行われ、日本中で戦意を高揚させていたことを知る

 小6▽99年8月、(国旗及び国歌に関する法律が)「数の力」によって成立し、法制化された経緯を知り、問題点を考える

 中1▽「日の丸」「君が代」が思想統制のために使われたことを知る

 中3▽国民主権と天皇制の矛盾、現在の国旗・国歌のあり方について考える…


 この系統表について大分県教組大分支部は「作成したのは事実だが、現在は配布しておらず、現場でも使われていないと思う。詳しいことは分からない」と言葉を濁す。

 学習指導要領は「我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるよう配慮する(小学6年)」と規定している。

 昨年12月、改正された教育基本法も「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」とうたっている。

 文科省は、大分県教組の系統表に対し、「学習指導要領に反する内容だ」(教育課程課)としながらも、実態調査などに乗り出すつもりはないという。

 自国や他国の国旗・国歌に敬意を示すことができない児童生徒がこうして誕生していくのである。(川瀬弘至)





 私は、日の丸・君が代がどのように成り立ち、どのように使われてきたのかは負の面も含めて教えるべきだとは思っています。今の教育はあまりにも国旗・国歌についての扱いが酷く、掲揚の仕方すら教えないからです。だけど、いくら教えると言っても、この大分県教組の作成した指導目的は酷すぎます。これでは負の面しか教えていないではないですか。

 他の県にもこのようなものがあるとは信じたくありません。こんな教育を施されたら、日の丸・君が代に対して悪感情以外の感情など持てなくなるでしょう。これは非常に悪質な洗脳教育と言わざるを得ません。

 彼らは日の丸・君が代に反対する際、よく「子供たちに強制しないで」などと子供をダシにした言い方をします。だけど、子供たちが自主的に日の丸・君が代を拒否するなどということは本来あり得ません。拒否する子供がいるのなら、周りの大人によって偏った思想を刷り込まれたからだとしか思えませんでしたが、こういう教育が実際に行われているのなら合点がいきます。

 中1の欄に『「日の丸」「君が代」が思想統制のために使われたことを知る』とありますが、自分たちがまさに今、子供たちに思想統制しているのだと気付いていないとしたら愚かです。国旗・国歌を敬うことは、世界的に見ても当たり前のことであり、思想ではありません。しかし、国旗・国歌を執拗に拒否するというのは明らかに偏った思想です。その思想を刷り込まれた子供たちは、いつか無意識のうちに他国の国旗・国歌を汚し、その国の人々から白い目で見られることでしょう。


 なお、同記事には修学旅行で南京大虐殺記念館に連れて行かれ、捏造された歴史に騙されて持つ必要のない罪の意識を持たされてしまったカワイソウな学生のことも載っていました。もし、今の私が高校生だったら、そんなところに連れて行かれる修学旅行は思想・信条の自由に従って拒否しますね。でも、私も当時は「東條英機は極悪人!」とか思っていたほどの純粋まっすぐ君だったんで、連れて行かれればきっと信じてしまっていたと思います。歴史を知らぬ子供を南京に連れて行くなどというのは、私は罪だと思いますよ。
posted by atsu at 22:47| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月21日

いい判決です

君が代伴奏拒否訴訟、教諭側敗訴へ 最高裁(朝日)

 東京都日野市立小学校の入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったために戒告処分を受けた女性音楽教諭が、都教育委員会を相手に、処分は憲法違反として取り消しを求めた訴訟の上告審で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は27日に判決を言い渡すと決め、関係者に通知した。二審の結論を見直す場合に必要な弁論を開かないため、教諭側が敗訴する見通しで、同種訴訟に一定の影響を与えそうだ。

 一、二審は、「ピアノ伴奏は他教科の教諭よりも音楽専科の教諭の方が適当で、校長の職務命令は合理的な範囲内だ」と判断していた。

(以下略)





 極めて真っ当な判決ですね。一部地裁でおかしな判決も出ていますが、これはよい判例になると思います。

 件の音楽教師が問題を起こしたのは、国旗国歌法制定以前の99年。ま、こういう頑ななことをしているから、法制化され、そして強制化されていくわけです。明らかに彼らは、自分で自分の首を絞めていますね。式の時くらいは、黙って伴奏して、黙って起立して歌えばこのような事態にはならなかったわけです。本当にアホですよね。

 こないだ、新たに百人単位で訴訟を起こした教師どももいるようですけど、いい加減やめたらどうですか? 裁判をじゃなくて、公立学校の教師を。
posted by atsu at 23:05| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月06日

また中岡大吉に登場願わねば…

日の丸・君が代:市教委に強制反対の署名提出−−町田の根津教諭支援グループ /東京(毎日)

 教育現場での「日の丸・君が代」の強制に反対し、停職処分を受けた町田市の公立中学校教諭、根津公子さんを支援する市民グループ「根津さんを支える町田有志の会」(清水さつき代表)が5日、今春の卒業式で君が代の斉唱などを強制する職務命令を各学校に出さないよう求める要請書を48人分の署名とともに、同市教委の山田雄三教育長に提出した。

 要請書では、東京地裁が昨年9月、日の丸掲揚での起立や、君が代斉唱を強制する都教委の通達を違憲とする判決を出したことを挙げ、「判決を無視することは一方的で許せない。思想・良心の自由を侵害している」としている。山田教育長は「都が控訴しており、市も訴訟が係争中という立場。必要があれば職務命令を発する」と回答した。【古関俊樹】





キチガイ教師はシゴウしたるぞ


 はい、またこの画像の出番が来てしまいましたね。前回は「元」教師の増田都子でしたが、今回は現役教師の根津公子です。相も変わらず下らない思想活動に精を出されているようであります。

 増田と同じく、務員の自覚が全くない根津子さんにも、教壇を下りていただきたいものです。彼女の場合、生徒の親を中傷して不登校に追い込んだり、都議会議員を授業で誹謗するといったキチガイ行動までは取っていないので、免職にするのは困難だと思われますが。増田ほどのことをやっても、諭旨免職どまりなのがこの世界ですからね。
posted by atsu at 20:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月27日

反日の丸ブラウスだって(笑)

「日の丸・君が代」反対教諭への戒告は適法…東京高裁(読売)

 日の丸や君が代に反対の意思を表す服装で入学式に出席し、東京都教育委員会から戒告処分を受けた女性教諭(56)が処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が26日、東京高裁であった。

 原田敏章裁判長は、「女性教諭の行為は入学式の円滑な進行を妨げ、混乱を招くおそれがあった」などと述べ、請求を棄却した1審判決を支持、女性の控訴を退けた。

 また、判決は「日の丸や君が代は平和主義を採用する戦後の現行憲法下で国旗や国歌として定着してきた」と指摘、「公立学校の入学式で国旗掲揚、国歌斉唱を実施すること自体は憲法に違反しない」と述べた。

 判決によると、女性教諭は2002年4月、当時勤めていた都立大泉養護学校の入学式で、国旗掲揚や国歌斉唱に反対するため、日の丸に斜線を引いたような図柄が入ったブラウスを着て出席。校長から上着を着るよう命じられたのに従わなかったため、同年11月、戒告処分を受けた。

 日の丸や君が代を巡っては、東京地裁が今年9月、「国旗・国歌と規定された現在でも、国民の間で中立的な価値が認められたとは言えない」として、式典時に国歌斉唱などを義務付けた03年の都教委の通達や指導を違憲とする判決を出している。今回の訴訟では、この通達以前の処分が問題となったが、学校行事での国旗掲揚や国歌斉唱を肯定する判断を示した。





 はい、また残念賞。

 ていうか、国旗・国歌に反対云々以前に、そんなブラウスを着て卒業式に出席するこの女教師の神経を疑うね。こんな幼稚な行為が、人々に理解されると本気で思っているのか? こういう行為が自分たちの首をさらに絞めるということを、いつになったら理解できるのかねぇ…。
posted by atsu at 23:29| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月22日

教師は子供たちの規範たれ

国旗国歌で「不起訴は相当」議決 「公務員の職務遂行を」と検察審査会(産経)

 卒業式などの学校式典で教職員に国旗掲揚時の起立と国歌斉唱を求めた東京都教委の通達などをめぐり、一部の教職員が石原慎太郎都知事らを脅迫と公務員職権乱用罪で告訴・告発し、東京地検が不起訴とした処分について、東京第1検察審査会は「不起訴は相当」と議決した。都教委の通達を「裁量権の逸脱はなく適法」と判断した上で、「公務員であるのだから職務命令に従う立場にあるのは明らか。一般社会ならより厳しい処分を受ける可能性もある」と、異例の指摘をした。

 検察審査会の議決に法的な拘束力はないが、一般国民が不起訴事件を審査する機関の判断だけに、注目を集めそうだ。

 議決によると、同審査会は通達を「法令に基づいて行われた職務行為であり、裁量権の逸脱もない」と判断し、不起訴は相当と結論付けた。

 また、同審査会は都教委通達について、「多少強引さも感じられ、(一部教職員が)強制されたと感じたことも理解できる」とした。しかし、「教職員は公務員であり、明白に違法といえない限り職務命令に従う立場にあるのは明らか。思想良心の自由を侵す行為と主張するのは、公務員の立場を忘れたもの」と申立人の一部教職員を非難した。

 その上で、都教委と一部教職員に「公務員は全体の奉仕者。おごることなく謙虚な気持ちで、職務遂行に全力を挙げてもらいたい」と安定した学校教育の確立を求めた。

 国旗国歌をめぐっては、都職員らが都などを相手取った民事訴訟で、東京地裁が9月、「教職員への強制は違憲」とした判決を出し、都などが控訴している。





 はい残念賞。やはり、あそこまでかたくなに国旗・国歌を拒否する教師たちの姿は、一般市民の目にも奇異に映るようである。

 いいタイミングで、今日の産経新聞の投書欄にこんな投稿があった。一部抜粋して紹介する。

改正法で愛国心どう育てる 福岡県春日市 無職 T・Mさん(67歳 男性)

 さて、その愛国心をどう育てるか。押しつけて育つものではない。家庭でのしつけ教育で「挨拶しなさい」と何回も何回も言うより、親が見本を示せば子は自然に挨拶するようになる。学校現場で教師が国旗・国歌に敬意を払えば、生徒も見習うものである。


引用終了。

 愛国心教育についてよく「押しつけられて芽生えるものではない」という批判がなされるが、それは確かにそうである。しかし、押しつけるだけが教育ではない。それに国旗・国歌の問題に限定して言えば、起立や斉唱が押しつけられるのは教師に対してであって、子供たちに対してではない。この投書主さんも言うように、教師たちがしっかり規範となりさえすれば、子供たちは自ずと敬意を払えるようになる。歌わない子供もいるかもしれないが、それは決して国旗・国歌への反発心ではなく、単なる恥ずかしさからである。

 やはり、教師が率先して国旗・国歌に背を向けるようでは、子供たちに誤った思想が刷り込まれてしまう。大人になってから国旗・国歌に批判的になるのは一向に構わないが、敬わないのをデフォルトにしてはいけない。子供たちにはまず、国旗・国歌に敬意を払うという国際的常識を身に付けさせる必要がある。

 そのためにはやはり、反国旗・国歌の教師にはお辞めいただくしかない。国や行政から命令を出されるのが不当な支配だと思うのなら、国や行政に仕える仕事は辞めるべきだ。そして私学や私塾にでも転職し、そこで好きなだけ教鞭を振るえばよい。本人たちにとってもそのほうが幸せだと思う。
posted by atsu at 22:54| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月17日

朝毎にマトモな投書相次ぐ

 この1週間ほど、朝日新聞と毎日新聞に国旗・国歌問題に関する非常にマトモな投書が相次いで掲載されました。せっかくなので、ここに紹介させて頂きます。




国旗国歌論で欠けている点(10月7日付朝日新聞掲載)

神奈川県横須賀市 大学教員 N・Mさん(男性・47歳)

 国旗・国歌問題で、議論が十分でないと思う部分がある。「日章」や「君」の意味は、それぞれの解釈で変わるので、そのことではない。

 歴史の中で、国旗・国歌が軍国主義に利用されてきたのは事実だろうが、これらは国民の心の支えとなり、絆を深めるための象徴とはなり得ないのだろうか。先の大戦で、日本人が占領地で行ってきた残忍な行為は伝え聞いているが、日本人は永遠にそれを償うことはできないのだろうか。

 そもそも歴史を学ぶ意義は、同じ過ちを繰り返さないことにあり、汚名を着せることではない。

 戦争を知らない者に、戦争の悲惨さを伝えるのは言うまでもなく大切なことだが、「日の丸」「君が代」は軍国主義を意味するものと教えることが適切なのだろうか。

 国旗・国歌を尊重したからといって、必ず全体主義に走るわけではない。それよりも、象徴をなくしたために国民が絆を見失って一つになれず、利己的な世の中になりはしないか、と心配する。このような議論が欠けていると思う。


国際人なら国旗軽視はしない(10月8日付毎日新聞掲載)

徳島市 病院勤務 S・Aさん(女性・39歳)

 「日の丸・君が代」裁判。私はこれが話題になるたびに考えてしまう。それは国旗や国歌に対する国際的常識というか、国際的礼儀について無知である、ということだ。

 他国で、国旗が掲げられれば「起立するもの」であることを知らない。学校で教わらないどころか、反抗するのがカッコいいかのごとき模範を見ているから、その地では当然の敬意を表することができない、しない。その結果、他国で「我が国を侮辱」「野蛮人」と、日本人としては、はなはだ不本意な評価を受ける。これは何も公の場に限らない。空港でいきなり怒鳴りつけられて跳び上がったら、座っていたトランクに星条旗のステッカーがはってあったという。

 国旗、国歌に対し小ばかにした態度をとること、すなわちインテリ、進歩的という発想があるのではないか。「カン違い」か「思想」かは考え方だが、それは日本国外では通用しない。常識を知らないというのは恥ずべきことで、国際化、国際人とは対極にあるということである。


外国国歌より君が代は平和(10月14日付朝日新聞掲載)

東京都江戸川区 司法通訳 I・Kさん(男性・58歳)

 国歌にどのような歌詞がふさわしいかを考えてみると、やはり国をたたえる内容になると思う。

 外国の国歌は歌詞を読むと戦闘的なものが多い。美しい旋律の国歌としてアメリカとフランスのものが有名で、アメリカの「星条旗」には「我らの星条旗よ、その太い縞と輝く星は、弾丸飛び交う戦の庭に翻る」という意味が含まれる。フランスの「ラ・マルセイエーズ」は「我らの妻子を殺さんとする敵に向かい武器を取れ 汚れた血を我らの畑に流さしめよ」だ。中国の「義勇軍行進曲」にも「我らの血と肉で新しい長城を築こう。敵の砲火に立ち向かい前進せよ」などと勇ましい。

 一方、日本の「君が代」は、諸説あるが「天皇家が未来永劫に続きますように」と祈念する平和な歌である。君主をたたえる歌と非難する声が一部にあるようだが、天皇は日本国憲法にあるように日本国及び日本国民統合の象徴である。だから「日本国及びその国民が栄えますよう」と願う歌とも言える。このように素晴らしい国歌を拒否する人の中に、青少年を指導する立場の学校の先生が多いというのは残念である。


公立高校の教師たるものは…(10月15日付毎日新聞掲載)

兵庫県明石市 自由業 K・Kさん(男性・44歳)

 都立高校の国旗・国歌に対する東京地裁の判決には驚いた。国旗・国歌に対してさまざまな意見があるのは確かであり、そのこと自体は憲法の保障する国民の普遍的な権利である。従って、国旗・国歌を生徒に強制するならば、法令の精神のみならず違憲行為とも言えよう。しかし、公立高校の教師たるものが国旗・国歌を軽んじてよいのだろうか。これは国旗・国歌に敬意を表しようとする生徒に対する明らかな圧力であり、これまた違憲行為だと思う。

 私は公立学校に通った小中高の12年間で、ついに学校で国歌を斉唱することはなかった。卒業式で国歌斉唱を提唱しようものなら、明らかに教師から圧力を受ける雰囲気さえあった。こんな判決がまかり通るなら、私は違憲行為として当時の教師を訴えたいぐらいだ。

 思想信条にかかわらず、良識・マナーが求められるのが、社会というものだ。教師には良識を身につけることを切に願うとともに、高裁には冷静な判断を期待したい。






 いかがですか、皆さん。どれもとても真っ当なご意見ですよね。これらの投書が載ったのが、産経・読売ではなく朝日・毎日であることも素晴らしいことです。地裁判決を受けてバカみたいにはしゃいでいる教育労働者の目にも、多く止まったと思えるからです。

 朝日がこの手の意見を載せるとき、それは反論を呼ぶためのエサであることが多いです。しかし、最初の投書から10日ほど経った今でも、まだこれに対する反論は掲載されていません。イデオロギーよりもマナーなどを重視した意見なので、反論もしにくいのかもしれませんね。特に二番目の意見など、「私は外国で恥をかこうがそんなことは気にしない」と言い返せる人はいないかと思われます。そんなヤツがいたら本当のバカですから。

 当初、朝日・毎日の投書欄には地裁判決を喜ぶ声が多く載りましたが、最近では形勢が逆転した感があります。以前紹介した学校の先生からの投書には、わずか3日後に反論が掲載されましたが、今回10日を経ても載らないところを見ると、反論が来ていないか、来ていてもとても使えないレベルのものかどちらかだと思います。


 ところで話は変わりますが、明日から「教育再生会議」とやらが始まるようです。会議の有識者メンバーは、予想されていた保守系論客だけに留まらず、いろんな方面から選ばれました。その中に、過去に日の丸・君が代を否定していた「ヤンキー先生」こと義家弘介氏も含まれています。

 しかし、ヤンキー先生は常識のある方のようです。今日の朝日新聞に掲載されていたインタビュー記事の中で、氏は国旗・国歌について次のような見解を示しました。

「公立校に勤務していたら、順守します。キリスト教の学校で、(教師が)『私は仏教徒だから礼拝に生徒を出しません』ということがまかり通れば教育現場はメチャクチャになってしまう。」

 朝日としては「国旗・国歌を教育現場に持ち込むことは許されない」という従来の主張を引き出したかったのでしょうから、この回答にはガッカリしたと思います。でも、心情的にそう思っていたとしても、公立校に勤務すればしっかりやるのが当たり前のことなんです。仕事の上に自分の思想を重ね、頑なに拒否する教育労働者のほうがおかしいのです。思想問題とは一歩引いて、礼儀として国旗・国歌に敬意を払うのが常識というものです。

 礼儀といえば、日曜に放送された「平成教育予備校」の中で、「礼法」という授業を必修科目にしている小学校が紹介されていました。松戸にある聖徳大学附属小学校とのことでしたが、ここでは一年生から、人の家を訪問するときの玄関での靴の脱ぎ方やふすまの開け方、お客様にお茶とお菓子をお出しする作法、果ては水引の結び方までを教えているそうです。私はそこの子供たちの立ち振る舞いの美しさを見て、いたく感動を覚えました。

 礼儀作法というものは、一朝一夕で身に付くものではありません。だけど、人生で生きていくうえで、覚えておくといつか必ず役に立つことです。こういうことは小さい頃から訓練しておくことが大事でしょう。低学年から英語をやるより、こっちのほうがずっと重要です(ちなみにこの学校では、英語教育は高学年から)。

 礼儀を重んじるこの学校には、きっと国旗・国歌に背を向けることをよしとする教師はいないことでしょう。何よりも礼儀に反する失礼極まりない行為を、生徒の前で自ら率先して行えるはずがありませんから。私も、子供ができた暁にはこういう学校に入学させたいと思います。
posted by atsu at 23:45| 東京 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月05日

国旗に背く意味が違う

発信箱:心はつかめたか=飯田和郎(毎日)

 中国は今、国慶節(10月1日)からの7連休のまっただ中にある。多くの市民が国内外の観光地へ出かけ、自分たちのゆとりを確かめる。

 この7月、鉄道が通ったチベット自治区は空前の観光ブームにわく。北京や上海と結ばれた鉄路で、大幅に拡大された空路で、旅行者が押し寄せる。チベットの枕ことば「秘境」の2文字はもう似合わない。

 最も変わった風景は区都ラサにあふれる中国国旗、五星紅旗だろう。鉄道開通後、初の建国記念日を派手に祝う赤い旗の波。ダライ・ラマの宮殿だったポタラ宮周辺も例外ではない。

 チベットには(中国政府のいう)「解放」(51年)後も独自の国旗があった。人々は中国旗を長く反感の対象とし、それは消えない。当局は神経を使い、掲揚を控えてきたが、人もモノも大量に送り込む今日、はためく中国旗がチベット統治を誇示する。

 国旗は時に民族団結の象徴となる。多民族国家・中国ではなおさらだろう。だが、締め付けや押し付けでは人の心を縛れない。縛るほど離れるのも人の心だから。

 連休中、官営メディアが伝える「ラサの五星紅旗」の映像を北京でながめながら、国旗掲揚・国歌斉唱をめぐり、東京都教委の通達・指導を違法とした東京地裁判決を思い出し、考える。

 東京で、ヒマラヤの地で続く「上」から「下」への管理は、実は自信のなさを見事に証明しているだけではないか、と。

 ただ、チベットの人たちが東京都教職員と違う点が一つある。不満や反発の声を上げることすらできない、という事実である。(中国総局)





 そうか! 日の丸・君が代に反対している教育労働者たちってのは、かつて日本に征服・蹂躙された異民族の末裔だったのだな!!

 ……って、んなわきゃーない。

 このコラム、チベットをどんどん侵食する中共の影を取り上げる姿勢はいいんだけど、それと日の丸・君が代問題を絡めるのはちょっと乱暴だと思うよ。チベット人が五星紅旗に反発する気持ちと、日本の教育労働者が日の丸に反発する気持ちはその由来からして違う。

 仮に、日本政府が一条校ですらない朝鮮学校に対して日の丸・君が代を強制し、それに在日の教師が反発しているのなら状況は同じだ。だけど、日本は朝鮮学校にまでそんな通達は出していない。日本の公立学校の、日本人教師に対してちゃんとやれと言っているだけだ。日本民族に日の丸を敬うよう促すことは、自信のなさなど証明していないだろう。

 チベット人はチベットの旗を持っている。しかし、この旗は掲揚することすら許されていない。翻って、日の丸に背を向けるような教育労働者は、日の丸の他に何か敬いたい旗を持っているのか。民族闘争と、単なる個人の思想・心情の問題を同一視するのはあまりに単純すぎる。

 それに、チベット人と東京都教職員の違う点はひとつどころではない。日本の教育労働者が、日の丸に背いたことで逮捕され、殺されたことなんて一度だってないのだから。
posted by atsu at 22:52| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月29日

予定通りの反論≠ナす。朝日は今日も正(ry

教育の現場に強制なじまぬ(9月29日朝日新聞掲載)

山形県山形市 無職 N・Tさん(男性・68歳)

 「信じられない『君が代』判決」(26日)を、まさに信じられない思いで読みました。結局は権力を持つ者の特定の価値観に基づく決定であっても、率先垂範従うのが当然と読めるからです。そもそも日本の国旗、国歌については、国民の間に多様な意見があることを前提に考えなければならないことは常識です。

 これらは皇国史観や戦前の軍国主義教育、国民にとって長くつらい戦争の記憶に深くかかわっているからです。

 「国旗、国歌に敬意を払うことは人としての当然の姿勢」とありました。これに同意した場合でも、国旗と国歌に烙印された歴史を否定することはできません。だからこそ多様な意見を認め、権力によって強制することがあってはならないのではないでしょうか。ましてや教育基本法前文に定められた「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」教育の場に、権力による強制はなじみませんし、教育の目的にも反します。

 教育に携わる者が率先垂範する行動の基準についても考えてほしいと思います。決して権力者の特定の考えに基づく指導であってはなりません。都教委の通達や指導はどう見ても教育基本法第10条の「不当な支配」に当たると考えます。





 26日に紹介した投書への反論だが、予定通り掲載された。やはり前のマトモな投書は、反論を釣り上げるためのエサに過ぎなかったようである。朝日の常套手段だから、今さら驚きもしないが。

 まあ、反論としては想定の範囲内というか、何の目新しさもないものである。「あなたの意見は信じられない」という人格攻撃のような書き出しが少々気になるが、それ以外は電波度もそれほど高くない。

 タイトルも月並みで「教育の現場に強制なじまぬ」となっているが、こういう主張をする人はみんな、教育とは強制をはらむものだということを忘れているから困る。社会の規律も知らないうちから、子供の自主性がどうのこうのと言って自由にやらせたら、教育も躾も身に付くわけがない。国旗・国歌だけをやたらと問題にするが、授業だって掃除だってどれも広義の強制である。「強制じゃないから、帰りたい人は帰りなさい。それによってあなたの評価が変わることはありません」という教育方針を学校が取ったら、誰が掃除などやるだろうか。

 何度も言うが、国旗・国歌を敬うことは国際的なスタンダードである。でも日本には思想信条の自由というものがあるから、大人になってから日の丸・君が代について自分の頭で考え、それが国旗・国歌としてふさわしくないと思うのは自由だ。だけど、子供のうちから無意識にそういった思想がすり込まれてはいけない。デフォルトで国旗・国歌を蔑ろにする子供を育てるような教育をしてはならないのである。

 しかし、入学式・卒業式において国旗・国歌に背を向け、果ては裁判まで起こす教師を見て子供たちはどう思うだろう。よっぽど反抗心がある子を除いて、教師のやっていることが正しいと思ってしまうのではないだろうか。そういう状況の中で、難波裁判長が言ったように「国旗・国歌が自然に定着」するはずがない。だから、教師たちにきちんと起立するよう求める都教委の通達は、教育を守るうえで必要不可欠だったのだ。教師たちがきちんとした態度さえ示せば、子供たちにも国旗・国歌には敬意を払うのが当然だという意識が芽生える。おかしな思想を吹き込みさえしなければ、普通に受け入れられられるものなのだから。

 そんな折、今日の東京新聞夕刊のインタビュー記事「あの人に迫る」の中で、新右翼団体一水会顧問の鈴木邦男氏がこんなことを言っていた。

「僕は高校が仙台のミッションスクールで三年間、毎朝、賛美歌を歌わされて嫌で嫌でたまらなかった。同じように日の丸・君が代を強制されていたら、僕は日の丸を破り捨てていたかもしれない。とにかく強制はよくない。僕は日の丸・君が代が好きだ。いやいや歌ってほしくない。いいことでも強制されたら、やっぱり嫌になりますよ。」


 賛美歌ば歌うのがやんだったら、わざわざ東北学院(私立のミッションスクールとはココ)さなんか入んなよ! 仙台さはもっといっぺえ高校あっぺっちゃ!!

というツッコミはさておき、鈴木さんまで「強制はイクナイ」とか言うのね。もうがっかり。この人、「新右翼」とか名乗っているけど、物の考え方はほとんど左に振れちゃってるね。年増ロリータ女の雨宮処凛もそうだけど、いっぺんに右に振れすぎた人ってその反動も大きいよね。何事もほどほどにしておかないと後が怖いよ。「強制されたら日の丸を破り捨てていたかも」なんて、ずいぶんと極端な人なんだなぁ…。

 「強制されたら嫌になる」と言うけど、子供たちの首根っこをつかんで「歌え! 歌わなかったら退学だぞ!」なんて脅して歌わせている学校があるのかと。あくまで都教委の通達は、教師がきちんと起立して歌うことを命じているのである。一部、生徒がちゃんと歌わなかったらダメとか声量を調べるとか飛躍しすぎた自治体もあったけど、基本的には通達の対象は生徒ではなく教師だ。

 そもそも、日の丸・君が代が持つ歴史的意味合い以前に、式典において国旗・国歌をきちんと扱うのは当たり前のこと。その当たり前のことすらできていなかったから、強制されるような事態になったのである。思想・心情の自由をかざして反対運動をする教師が、以前は日の丸・君が代を敬いたい人の思想・心情の自由を顧みなかったことも忘れてはならない。過去には、日の丸を引きずりおろしたり、掲揚した校長に詰め寄ったりするなどといった思想弾圧が、教育現場で起こっていたのだから。

 日の丸・君が代に反対するような教師たちは、強制なんかされる前からずっと嫌いなのである。戦後民主主義教育の中で、知らず知らずのうちに日の丸・君が代を蔑む意識がインプットされたのだ。そういう人間が教師になり、その思想を再び生徒たちに刷り込むという負の連鎖を、このあたりで断ち切らなければならない。さっきも言ったが、デフォルトで国旗・国歌を嫌う人間をこれ以上育ててはならないのである。

 一日も早く、日本の教育現場が日教組やその残滓による「不当な支配」から抜け出すことを夢見て止まない。「強制はイクナイ」と言って反日サヨク教師を甘やかすことは、日本の教育現場に長く禍根を残すことにつながるだけだ。
posted by atsu at 23:57| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(2) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月26日

こんな先生がいる学校なら安心

信じられない「君が代」判決(9月26日朝日新聞掲載)

埼玉県所沢市 中高教員 H・Fさん(男性・58歳)の投書

 国旗・国歌に敬意を払うことは人としての当然の姿勢である。そのことを
教えるのに、学校の果たす役割は大きい。

 教育に携わる者に要求される必須の要件の一つは、率先垂範する姿勢である。もし教員が「私は日の丸も君が代も認めないが、君たちは国旗国歌に敬意を払いなさい」という指導をしたとしたら、生徒は混乱するだろう。

 スポーツの国際試合で、多くの日の丸が振られているのを見る。国技館では国歌斉唱、甲子園の高校野球でも日の丸が掲揚されている。日の丸も君が代も大多数の国民の間に定着していると言っていいだろう。

 22日の朝日新聞は社説は、都教委の通達後の卒業式が「ぎすぎすした」状態だったとしているが、私には、そうとは到底思えない。

 21日の東京地裁判決は都教委の指導について、一方的に一定の理念を教員に強制したから「不当な支配」に相当すると断じた。しかし同じ理論を使えば、今回の判決は、一方的に裁判官の思想信条を判決の形で強制したとも言えないか。

 非常に問題のある判決だ。





 非常にマトモな意見。こういう良識的な先生のことは尊敬したいものである。きっと彼の学校でも、この判決で有頂天になっている教師がいるのだろう。教育現場でそのような輩を目の当たりにしていると、私などよりも怒りも強いのだと思われる。

 しかし、朝日がこういったマトモな投書を載せるときというのは、それに対する反論を誘っているのである。近日内にきっと反論が掲載されると思うので、そのときにはまた紹介したい。
posted by atsu at 23:13| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

いい判決でよかったね

式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 東京地裁(朝日)

 入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要するのは不当だとして、東京都立の高校や養護学校などの教職員が都教委などを相手に、起立や斉唱義務がないことの確認などを求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は、違反者を処分するとした都教委の通達や職務命令は「少数者の思想・良心の自由を侵害する」として違憲・違法と判断。起立、斉唱義務がないことを確認し、違反者の処分を禁止した。さらに、401人の原告全員に1人3万円の慰謝料を支払うよう都に命じた。都側は控訴する方針。

 教育現場での国旗掲揚や国歌斉唱を巡り、憲法19条が保障する思想・良心の自由の侵害を明確に認めた判決は初めて。同種の訴訟では、処分を争う教諭側が敗訴する例が相次いでいた。

 判決は、都教委の通達などは各校長の裁量を許さない強制的なもので、教育基本法が禁じた「不当な支配」にあたるとし、都教委の指導を全面否定する内容となった。

 問題の通達は03年10月に各校長あてに出された。教職員が国旗に向かって起立し、国歌を斉唱するよう定め、違反すれば、停職を含む懲戒処分の対象とした。

 今回の裁判の特徴は、職務命令や処分が出る前に、起立や斉唱などの義務自体がないことの確認を求めた点だ。都教委は「具体的な権利侵害がない」と門前払いを求めたが、判決は「回復しがたい重大な損害を被る恐れがある」として、訴えは適法と判断した。

 難波裁判長は、日の丸や君が代が皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきた経緯に言及。式典での掲揚や斉唱に反対する主義・主張を持つ人の思想・良心の自由も憲法上保護に値する権利だと述べた。

 通達について「教育の自主性を侵害し、一方的な理論や観念を生徒に教え込むことに等しい」と指摘。国旗掲揚の方法まで指示するなど「必要で合理的な大綱的な基準を逸脱した」として、校長への「不当な支配」にあたるとした。

 その上で、起立や斉唱の強要は思想・良心の自由を保障する憲法19条に違反すると判断。国旗・国歌は自然に定着させるのが国旗・国歌法の趣旨であることにも照らし、教職員への職務命令は違法とした。





 原告に優しい裁判長に当たってよかったね。東京地裁は、立川ビラ撒き事件とか小田急高架訴訟とか、トンデモ判決をたくさん出しているから今さら驚きもしないけど。でもきっと、高裁で覆るよ。「業務上、卒業式で君が代を斉唱したくらいで内心の自由は侵害されない」ってね。

 私はこれまで、何度もこの問題について書いてきたが、反日サヨク教師どもに「心から日の丸・君が代に敬意を払え」とまで言っていない。私はあくまで「お前等が日の丸・君が代を嫌いなのは分かったが、年に一度の入学式・卒業式くらいは黙って敬うフリをしろ。それすら嫌なら公立学校の教師をやめろ」と言っているだけである。それがなぜ分からないのか。

 嫌ならしなくていいということがまかり通れば、教育現場はさらに荒廃することだろう。この判決を喜ぶ教師たちは、もはや生徒たちが「掃除はしない主義なんです」「制服は着ない主義なんです」「髪の色を黒に限定することは、憲法の定める思想・心情の自由の侵害だ」と言っても反論することはできない。日頃から教師に反感を持っている生徒には、これらのセリフを振りかざすことを勧める。

 今日は朝日・読売・産経の三紙がこれについて社説を書いている。朝日は社説の最後に

 国旗や国歌は国民に強制するのではなく、自然のうちに定着させるというのが国旗・国歌法の趣旨だ。そう指摘した今回の判決に耳を傾けてもらいたい。


と書いているが、こうした教師たちがはびこっている教育現場で、自然のうちに国旗・国歌が定着するはずもない。それどころか、生徒たちが無意識に国旗・国歌を嫌うように仕向けている。それは思想教育であり、決して許されないことだ。国歌斉唱になった途端に全ての生徒が着席した学校など、教師たちの洗脳が綺麗に入った例と言っていいだろう。

 読売・産経は当然、今回の判決を疑問視する立場。読売は上の朝日に呼応するように

 判決は、「式典での国旗掲揚、国歌斉唱は有意義なものだ」「生徒らに国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、尊重する態度を育てることは重要」と言っている。だが、こうした教師たちのいる式典で、「尊重する態度」が生徒たちに育まれるだろうか。


と書いている。まったくその通りで、育まれるはずもない。代わりに育まれるのは、思想・心情の自由と言えば何でも通用するという思い込みと、何となく反体制がカッコイイと感じる思い込みだけだ。そして、国際社会では当たり前の、自国と他国の国旗・国歌を敬う心が欠如した人間が量産されるのである。

 そうした事態を防ぐためにも、高裁には大いに期待したいところである。サヨク教師の欺瞞をこれ以上のさばらせてはならない。
posted by atsu at 08:51| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(7) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月30日

座らなかった1割の生徒たちは偉い!

都立板橋高の卒業式「妨害」、元教諭に罰金刑 東京地裁(朝日)

 定年まで勤務していた東京都立板橋高校の04年の卒業式に来賓として訪れた際、開式前に保護者らに国歌斉唱時に起立しないよう呼びかけたなどとして、同校元教諭・藤田勝久被告(65)が威力業務妨害罪で在宅起訴された刑事裁判で、東京地裁は30日、無罪主張を退け、罰金20万円(求刑・懲役8カ月)の判決を言い渡した。村瀬均裁判長は「式の遂行は現実に妨害された」として威力業務妨害罪の成立を認めた。一方で「元教諭に対する非難は免れないが、元教諭は式の妨害を直接の目的としたのではなく、式もほぼ支障なく実施された」と述べ、懲役刑ではなく罰金刑が相当だと結論づけた。元教諭側は即日控訴した。

 判決によると、藤田元教諭は04年3月11日午前9時42分ごろから午前9時45分ごろまでの間、板橋高校体育館で、午前10時開式予定の卒業式のために着席中の保護者に向かい、「今日は異常な卒業式」と訴え「国歌斉唱のときは、できたらご着席をお願いします」などと大声で呼びかけ、教頭が制止すると「触るんじゃないよ」などと怒号をあげた。校長が退場を求めても従わず、式典会場を喧噪(けんそう)に陥れ、開式を約2分遅らせるなどした。

 元教諭の退出後に卒業生が入場。今回の裁判の対象になった元教諭の式場での行為と直接の因果関係はないが、冒頭の国歌斉唱時に卒業生の約9割が着席する事態が起きた。これを問題視した都教委などが被害届を出したのを受け、東京地検が異例の在宅起訴に踏み切っていた。

 判決は、呼びかけの内容が学校側にすれば許容できない内容で、校長らが職責上放置できないものだから「威力」にあたる▽退場要求に従わず怒号し、校長らが対応を余儀なくされた――などとして威力業務妨害罪が成立すると判断した。

 弁護側は「配布や呼びかけは私語が許されている時間帯で、教頭からの制止も受けていない」と争ったが、判決はこれを退けた。

 元教諭は、教員生活最後の年に受け持った1年生の卒業を見届けるために来賓として来ていた。





 この裁判、私としては「う〜ん、けしからん話だけど、刑事罰に問うのはちょっと無理なんじゃないかなぁ」と思っていたので、罰金刑とはいえ有罪判決が出たことにちょっと驚いた。妥当なのか重いのか軽いのかイマイチ判断がつけにくいが、有罪ということでしばらくはサヨクの皆さんが騒ぐだろうと思う。

 私は、あくまで「公務員である公立学校の教師が職務命令に反し、国旗・国歌に背を向けること」を一貫して批判しているので、来賓の立場である元教諭は本来なら批判の対象外である。もう職を退いているのだから、彼が国歌斉唱時に起立しないことは問題視しない。

 とは言え、保護者や生徒たちに不起立を呼びかけるのは越権行為である。威力業務妨害に問うのはやり過ぎだとも思うが、そもそも何の権利があって彼はそんなことをしたのか。強制があろうとなかろうと、国歌斉唱時には起立するのがデフォルトである。彼一人が従わないのは一向に構わないが、それを他人にも強いるようなマネをしてはならない。もしも私が保護者の立場でその場にいたのなら、恐らく彼と口論になったと思う。

 朝日の記事中では「因果関係はない」とあるが、結果的に卒業生の9割が着席した。多くが積極的に座ったのだろうが、中には周りに合わせて座っただけの者もいるだろう。高校生くらいの年代の子は、周りから浮くことを何よりも恐れるからである。君が代を起立して歌いたいと思っていても、それを実行するのはなかなか勇気のいるところだ。

 そんななか、周りに流されずに起立し続けた残り1割の生徒たちには敬意を表したい。彼らはきっと、自分の信念に従って立ち続けたのだろう。彼らの存在は希望の光である。

 着席した生徒たちは、そんな彼らを見て何を思ったのだろうか。「あいつら立って歌ってるよ。だっせぇ」と思ったのなら、同情するほかない。サヨク教師にすっかり洗脳されて、国旗や国歌に背くことをカッコイイと勘違いしているんだろうが、とっととそのような考えは改めるべきである。でないと、外国に行ったときに恥をかくのは君らだ。
posted by atsu at 22:44| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(3) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月27日

「形式」と大目に見るべきなのは教師たち

 先日取り上げた、東京新聞の「君が代神経症」の記事ですが、東京新聞にも多くの反響があったようです。今日の「読者応答室メモ」にありました。ネット上にソースがありませんので、全文引用致します。

読者応答室メモ

「君が代神経症」記事に多数意見


 二十三日付特報面の「教員むしばむ『君が代神経症』」に、たくさんの意見が寄せられています。「こういう問題をよく取り上げてくれた」という声がある一方で、記事を「君が代批判」と読み取って、「嫌なら教職をやめるべきだ」と、頭ごなしに罵声を浴びせる方も多く、数の上では「『君が代』も『日の丸』も昔から敬意を表すのが当然だ。強制≠ナきないと悩んで神経症なんてオーバーだ。強制≠ナはなく『立て』と言えばいいだけの話だ」との意見が勝りました。

 しかし、「なぜ取り上げたのか」の反対意見は残念でした。

 「君が代」や「日の丸」自体は、冬季五輪や日本が野球で世界一になったWBCの熱気の延長戦で盛り上がっているようですが、卒業式や入学式のあるこの時期、かなりの教職員がそのことで悩んでいるのは実態で、無視できないのではないでしょうか。

 ところで、女性から「孫は『君が代』は元気がないので歌いづらいと言っている。では何が良いんだと聞いたら、もっと明るい歌に作り替えればよいと言った。時代が変わったのですね。怒る気にもならなかった」と伝えてきました。国歌斉唱の声量までチェックする教育委員会もあるようですが、実態は、歌う歌わないは生徒の自由。石原慎太郎都知事も「君が代」は歌いづらかったか、好きでなかったよう。それなら君が代も日の丸も「形式」と皆が大目に見れば済むことなのかも。
(U)


引用終了。

 最後の一文は、日の丸・君が代アレルギーの教師たちにこそ言うべきことだと思いますよ。彼らが卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱を、「形式」と割り切って素直に受け入れていれば、こんな事態にはならなかったわけです。都教委が通達を出したのも、元々がちゃんとできていなかったから。ちゃんとできてさえいれば、さらに締め付けを強くするような真似はしなかったでしょうよ。

 結局、自業自得ってことですね。それに尽きます。
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2006年03月23日

「君が代神経症」とは、大変ですね

教員むしばむ『君が代神経症』(東京新聞特報面)

 公立学校の教員で病気休職、とりわけ極度のストレス障害など精神疾患が増えている。背景として卒業・入学式の「日の丸・君が代」強制が見過ごせない。東京都をはじめ、君が代斉唱を強制する教育行政が、教員らの精神をむしばんでいる側面もある。精神科医の野田正彰・関西学院大学教授が、教員らから聞き取り調査した分析結果から見える実態とは−。 (松井 学)

(後略 全文は東京新聞のHPより、mumurさんのこちらのエントリでご覧ください)





 「君が代神経症」だなんて、そのような病気があることに驚きました。これまで私は、いくら日の丸や君が代が嫌いだと言っても軽いアレルギー程度のものだと思っていたのですが、同じアレルギーでもアナフィラキシーショック並みに重症なのですね。荒川静香選手の日の丸ウイニングランや、WBC優勝の様子を見て失神などされなかったか、そんな先生方のお体が心配でなりません。今後、サッカーのワールドカップもありますが大丈夫でしょうか??

 前回前々回のエントリで、ラモス選手と為末選手という、超一流アスリートのお言葉を取り上げましたので、今回は趣向を変えまして、超一流ミュージシャンのお言葉を紹介致します。今回ご紹介致しますのは、私も心から敬愛するさだまさしさんでございます。それではどうぞ。

引用開始

3月20日付け毎日新聞朝刊「さだまさしの日本が聞こえる 『韓国に雪辱 ガンバレ日本』」より抜粋

 冬季五輪での活躍にしても、このところ韓国には勢いがある。竹島問題にしても「国民の意識」が全く違う。これは国民平均年齢の差かもしれない。21世紀に入り韓国は働き盛りの30〜40歳代が中心になるのに対し、日本は60歳以上が過半数になる。この肉体的、或いは精神的な温度差が無関係とは言えまい。

 少子化問題は、実はかなり深刻なことなのだ。もう一つは教育の差だ。「国という単位」について愛国教育(その方向性が正しいか、公平かは別の話だが)を必死にやる国と、自由を利己主義とはき違え、金儲けこそが天下取り、という価値観を若者に植えつける国の教育の差だ。だから日本では「国」に対するプライドもビジョンもない若者たちが増え「国のために」という思いが希薄になった。「自国中心主義」は誤りだが、「国を愛さない」国民は国民と言えないのではないか。

 尤も、かつて「国を挙げて」追い込んだ円谷幸吉選手のような人を再び出してはいけないが、「期待」と「応援」の熱さで選手たちの気合の乗りは違う筈だ。1、2次予選で韓国に負けたのは野球チームではない。日本全体が負けたのだ、と悔しがるくらいでなければ。こういう僕の意地は間違いなのだろうか? 僕は日本が好きだからなあ。


引用終了。

 いやいや、これっぽっちも間違っちゃいません。やっぱり、まっさんの考えは素晴らしいです。普段はちょっとサヨクチックに思われることもあるまっさんですが、本当はきちんと日本を愛することのできる立派な方ですものね。

 まっさんの言うとおり、国を愛せない国民は国民じゃないんです。為末選手も言ってましたが、自国に敬意を払えない人は他国にも敬意を払えないんです。日の丸・君が代に反対する先生方は、まさにそのような非国民生徒を増産することを「教育の自由」だと勘違いしているに過ぎません。それが教育の使命だと本当に思っているのならば、そんな人は公教育の場にはふさわしくないと思います。

 先生方のご健康も本当に心配ですし、私から重ねてお願いをしたいと思います。

 日の丸・君が代が嫌いな教師の皆さん、何も精神を病んでまで、都教委の通達になど従うことはないですよ。お体を壊しては元も子もありません。職業選択の自由を行使し、都教委の通達が及ばない私立学校などへ転職なさることをお勧めします。もう無理はしないで下さい。
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2006年03月15日

為末選手の愛国心

国旗・国歌 ここまでやらずとも(朝日社説)

 桜のつぼみがふくらむこの時期は、卒業式の季節だ。先生や親に感謝し、新しい出発に胸をふくらませる。それぞれに思い出があるだろう。

 ところが、東京の都立学校ではここ数年、ぎすぎすした息苦しい卒業式が続いている。国旗と国歌をめぐって大勢の教職員が処分されてきたからだ。

 私たちは社説で、処分してまで国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ、と繰り返し指摘してきた。しかし、東京都教育委員会の姿勢は強硬になるばかりだ。

 先週末、都立の定時制高校の卒業式で、十数人の卒業生の大半が国歌斉唱で起立しなかった。これを受けて、都教委は都立学校の校長に新たな通達を出した。生徒への「適正な指導」を教職員に徹底するよう求める内容だ。

 生徒を1人残らず国旗に向かって立たせ、国歌を斉唱させる。かみくだいて言えば、それが指導の中身だろう。

 見逃せないのは、今回の指示が職務命令にあたる「通達」であることだ。都教委は2年前にも同じような指示をしているが、その時は「通知」だった。いわば、これまでの「指導してください」が「指導せよ」に変わったわけだ。

 通達を受けた校長は教職員の一人ひとりに職務命令書を出さねばならない。起立しない生徒がいれば、先生が責任を問われ、処分されかねない。

 自分が歌わなければ先生が処分される。そう思った生徒は起立する。それが都教委の狙いだろう。

 先生自身は03年に都教委によって起立や斉唱を義務づけられている。それに抵抗した約300人が処分された。

 都教委にとって、残るは生徒だけだ。しかし、ちょっと待ってもらいたい。

 6年前の国旗・国歌法の国会審議で、政府は「児童や生徒の内心に立ち入って強制するものではない」と繰り返した。

 「起立しない子どもがいたら、どう考えるか」と問われ、当時の文相はこう答弁した。「ほかの人に迷惑をかけない格好で、自分の気持ちで歌わないということはあり得る。他人を無理やり歌わせないとか、無理やり座らせるとか、こういうことはぴしっと指導すべきだ」

 定時制高校の卒業生たちは、他の生徒の起立や斉唱を妨げたわけではあるまい。それでも新たな通達を出した都教委は、生徒の内心の自由などをはなから考えていないとしか思えない。

 昨年、ある都立高校の卒業式で、生徒たちが「これ以上、先生たちをいじめないでほしい」と発言した。その高校では今年、保護者が要望した2階からのビデオ撮影を代表1人に限り、録画テープを学校に預けさせた。学校は「外部へ流出する恐れがある」と説明した。

 学校は何を恐れているのだろうか。保護者がわが子の記録も自由に撮れないとは、なんとも異常なことだ。

 卒業式は最後の授業である。主役は生徒と先生だ。教育委員会の過剰な介入で、大切な思い出を汚してはならない。





 私も、生徒にまで通達の範囲を広めるのはいささか強引だなとは思いますけど、この事態を招いたのが当のサヨク教師の皆さんですから致し方ないですね。もともと、彼らが日の丸・君が代をないがしろにするようなことをしてこなければ、都教委が強制に踏み切ることもなかったわけです。教師たちが自らのイデオロギーに固執するあまり、生徒たちにまで影響を与えているに過ぎません。まったく下らないことです。

 こないだのエントリでは、ラモス選手の日の丸に対する素晴らしいお言葉を紹介しましたので、今日もアスリートの方のご意見を紹介しましょう。陸上選手の、為末大選手のお言葉です。

週刊SPA!3月21日号 『ニッポンの未明』(さかもと未明著)より抜粋

さかもと未明:愛国心とかってどう考えてます?

為末大:強制とかでなく湧き出るものだと思いますよね。でも、確かに今の日本では薄れてるように感じますね。
ボク個人でいうと、陸上競技を始めたときは「為末家代表」だったわけです。それが五日市中学代表になり、高校代表、広島代表になった。
それが世界大会に出場するようになると、当然日本代表になる。海外へ行けばわかるはずです、みんな日本代表なんだって……。

さかもと:そうですよね!? 世界市民になりたがる日本人ってヘンなのよ!!

為末:愛国心がない人は、他国に対する敬意も示せないんじゃないでしょうか。
オリンピックなどで他国の国旗が揚がるとき日本人は平気で座ってて……、他国から不敬だって言われることもあるから直したほうがいいですよね。そういうところで、人間としての品位が問われますからね。

さかもと:為末さんから見て日本人は品位が低いと思われます?

為末:うーん、どうかな。比較的高いと思いたいですけど――。
でも、昔武士道があって品格があったころよりは低下しているかな…と思いますね。日本で起こっているいろんな事件を見ててもそう思うことは多いですね。


引用終了。

 為末選手の言うとおり、愛国心というものは強制されるものではなく、自然と湧き出てくるものです。しかし、サヨク教師の牛耳る教育現場において、生徒たちの中から愛国心が自然に湧いてくるかと言えば、それはないでしょう。少なくとも、朝日の社説内にあるような定時制高校の生徒や、「先生をいじめないで」と主張するような生徒たちは、日本を愛する心など芽生えもしてないはずです。教師たちによって、種さえも腐るような強力な農薬を撒かれているんだから当然です。逆に、日本のことが大嫌いになるような教育だけは立派に施されています。南京大虐殺や従軍慰安婦の話を、さも真実であるかのように吹き込まれれば、そりゃあ日本を好きになるわけがありません。そんな教師に巡りあい、見事にサヨク思想を刷り込まれた生徒たちは気の毒です。

 やはり今後の教育現場に望まれるのは、日本を愛せる、誇れる心の育成でしょう。愛国心というと左の方はまるでゴキブリのように毛嫌いしますが、生まれた国、郷土に愛着を持つのは普通のことです。嫌いになるよう仕向ける教育のほうが、どう考えたって異常なんです。

 自分の生まれた国を愛せない人間が、他国を敬えるわけがないというのも当然でしょう。為末選手もおっしゃるように、我々は一歩日本から出れば誰もが「日本代表」です。海外においては、日本人のイメージを傷つけるような行動は慎まなければならないのはもちろん、日本人の品格を示さねばならないのです。為末選手はさすが世界を舞台に戦う人だけに、当然その心構えが備わっていますが、「地球市民」であることを強調するような人に果たしてそれができるでしょうか。いや、無理だと思います。国家に対する帰属意識を軽んじる人間は、真の国際人たりえません。

 自国の国旗・国歌を重んじることは、そのための第一歩です。生徒たちには、やはりその重要さをよく教えなければなりません。これを教えることができない教師は、潔く公教育の場をを去るべきだと思います。彼らの存在は、まったくこの国の未来のためにならないですから、いっそのこと、彼らを日の丸・君が代から解放してあげたほうが彼らのためにもなります。そうすれば、何人にも日の丸・君が代を強制されることはないんですから。

 日の丸・君が代が嫌いな教師の皆さん、何も毎年苦しんでまで、都教委の通達になど従うことはないですよ。いい加減に、職業選択の自由を行使しなさい。
posted by atsu at 22:43| 東京 ☀| Comment(5) | TrackBack(5) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月01日

日の丸・君が代が嫌だなんて、冗談じゃないよ!

 今年も卒業式シーズンがやってまいりました。今年も全国至るところで、日の丸・君が代を巡っていざこざが起こるんでしょうが、私はもうこの件について語りつくしていますので、この期に及んで正論を吐く気もありません。私の主張については、カテゴリ:国旗・国歌問題を参照してください。

 ですから、今日はここでラモス瑠偉さんのお言葉を紹介しようと思います。これは、今日の毎日新聞夕刊に掲載されていたものです。

この人、この時:ヴェルディ監督・ラモス瑠偉さん 冗談じゃないよ!/3より抜粋

 国際試合で日の丸を見ると鳥肌が立つんだよ。サッカーだけじゃない。僕を、人間として育ててくれた国の旗だからね。愛している国の旗。僕は日本に来て、チャンスをもらって今がある。


引用終了。

 ラモスさんの日の丸・君が代についての想いは扶桑社の「新しい公民教科書」でも紹介されていますが、やっぱり彼は日本人以上の日本人ですね。その国に住む以上、その国の国旗・国歌を敬って当たり前。それがやはり、国際的なスタンダードなのでしょう。ラモスさんからしてみれば、卒業式や入学式でなぜこんなにモメているのかも理解不能でしょうよ。

 あ、ひとつ言っておきますけど「『鳥肌が立つ』の用法がおかしい」なんてツッコミはなしですよ。ラモスさんは、日の丸を背負うと感動と興奮のあまりに鳥肌が立つんです。軍靴の音を連想して鳥肌を立てている人とは一緒にしないでくださいね。
posted by atsu at 23:02| 東京 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

日の丸に寄せ書きすることの是非

 今日の朝日新聞投書欄に、日の丸のことを扱った投書があったのでご紹介します。電波ではありません。すごく立派な意見です。

国旗寄せ書き 美しさ損ねる(1月24日付け朝日新聞東京版掲載)

北海道登別市 無職 N・Hさん(男性・69歳)

 テレビなどで見る国際競技会場の応援席で、黒々と檄文を書き連ねた大きな日の丸の旗が見られる。日本独特の応援スタイルだと思う。間もなく開かれるトリノの冬季オリンピックでも、同じような光景が見られるだろう。だが、諸外国の観客はどのように見るだろうか。

 欧州諸国では伝統的に国旗に対する敬愛の念が深く、国民は大切にしていると聞く。それらの国の人たちが、国旗に平気で文字を書き込む日本人を、異様に感じないかと心配である。

 日本国旗のデザインは赤と白で構成されていて、白の部分は単なる余白では無いはずだ。無分別な寄せ書きに疑問を感じる。

 過去のオリンピックでメーンポールに揚がった日の丸は奇麗だったが、選手が応援団に託されてゴールしたとき持っていた、書き込みのある国旗を美しくないと感じたこともある。

 国旗・日の丸には論議があるが、国際舞台では、シンプルな美しさのままで世界各国に良い印象を与える国旗であってほしい。





 これまで、日の丸・君が代についていろいろと述べてきた私であるが、この主張にはハッとさせられた。これまで、私は書き込みのある日の丸を見ても違和感を感じていなかったが、それはまったく不覚だったと思う。

 日の丸に寄せ書きをする人たちの気持ちは分かる。寄せ書きを贈られた選手も、みんなの想いが詰まった日の丸には力をもらうことがあると思う。もちろん、日の丸への親近感から寄せ書きをするのだろうけど、よくよく考えてみれば、確かにそれは国旗に対する冒涜であるかもしれない。

 一部の人たちのように、日の丸に対してアレルギーを持つよりはいい。しかし、日の丸に気安く字を書き込み、それを見ても何とも思わない私を含めた人間は、やはり本当の意味で国旗に対する敬意を抱いていないのかもしれない。それはやはり、国旗や国歌というものの扱い方を、しっかり学校で習っていないせいである。私は以前にも、「雨の日には国旗を掲揚してはいけない」ということを知らず、恥をかいたことがある。思えば、私も正直、国旗の正しい扱い方をちゃんとは知らないのだ。

 とは言え、世の中には「必    勝」と書かれている鉢巻もあるし、長嶋さんが必死の思いで「3」という数字を書き込んだ日の丸もある。あまりグチャグチャと書き込むのは確かに好ましくないが、日の丸に対する親しみの表し方として、多少の書き込みは容認してもいいのでは? とも思う。日の丸に大きくバッテンを書いたり、破いたり燃やしたりするどっかの国の人たちとは根本的に違うのだから。

 しかし、今回の投書には考えさせられた。日の丸や君が代に対する私の認識も、まだまだ未熟であると痛感することしきりである。これが掲載されたのが、朝日新聞だということがにわかに信じられない。
posted by atsu at 23:20| 東京 ☀| Comment(5) | TrackBack(1) | 国旗・国歌問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする