2006年12月13日

日本の西北、アジアの北

秋田経法大改め「ノースアジア大」に、来年度から(読売)

 秋田市の学校法人「秋田経済法科大学」(小泉健理事長)は12日、2007年度から、法人と大学を「ノースアジア大学」、付属高校を「明桜(めいおう)高校」と名称変更することを決めた。月内に文部科学省などに名称変更の申請を行う。

 08年度に観光学科新設を計画しており、名称変更は「日本、アジア、世界に目を向けた教育活動展開のため」としている。甲子園出場で知られる秋田経法大付属高は「付属」をつけず、所在地の秋田市下北手桜(しもきたてさくら)にちなんだという。





 秋田経済法科大学といえば、「茶髪とピアスをやめたら一万円進呈」という規則を作ろうとして、世間から失笑を買った大学である。今回の大学名変更について、またも笑いの対象になるのは避けられないだろう。甲子園に何度か出たことで、秋田経法大という名前も有名になりつつあったのに、何でわざわざおかしな名前に変えるのかな。

 しかも、ノースアジアってのはちょっと場所が合ってないと思うよ。ウィキペディアで調べてみたところ、北アジアとは、

ユーラシア大陸のアルタイ山脈以北を指し、シベリアを主とする地域

と出た。秋田とはかけ離れているじゃないか。シベリアに移転しないと、この名前は使えないんじゃない? ま、アジアを代表するわけじゃないのに亜細亜大と名乗っている大学もあるから、特に問題じゃないのかもしれんけどね。

 さっそく来年度から変更するそうだけど、もしかしたら「そんなダサい名前の大学に行きたくない」と、受験をやめる人もいるかもしれない。受験者数激減なんてことにならなきゃいいけどね。
posted by atsu at 23:45| 東京 🌁| Comment(9) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月25日

組合活動のためなら授業休んでも気にしない

日教組、教基法改正阻止に3億円投入 デモ参加計1万5000人(産経)

 日本教職員組合(日教組)の反教育基本法改正運動への支出が約3億円に上ることが24日、分かった。教師が平日も国会前でのデモに参加していることに対し、自民党幹部からは「高い給料をもらいながら政治活動していいのか」(中川昭一政調会長)と批判が出ているが、日教組は「授業代行を他の教師に頼み、年休を取って活動している」(組織局)と組合費支出や運動の正当性を強調している。
 
 関係者によると今年4〜10月、教育基本法改正反対運動のため日教組が主催した国会前デモ行進や都内での集会などは7回行われ、組合員延べ約1万5000人が動員された。ほとんどが現役の教職員で、交通費や宿泊費、食費は日教組が負担した。さらに、25日には東京都千代田区の日比谷公会堂で3000人規模、12月8日には1万人規模の反対集会を予定。ビラ作成や新聞への意見広告掲載費も組合費から支出しており、反対運動への支出は約3億円に達する見込みだ。
 
 日教組は10月26日、同法改正に反対し31年ぶりに「非常事態」を宣言しており、「近年にない取り組み」(連合関係者)という。





>「授業代行を他の教師に頼み、年休を取って活動している」

 なるほど、公務員であっても労働者であるから、組合活動をするのもまあいいだろう。しかしこれは、

「授業は代わりを立ててるからいいだろ! 組合員としての俺には代わりがいないんだよ!!」

と言っているに等しい。だったら、いっそのこと教師をやめて組合活動に専念すれば? と私なんかは思う。

 私から言わせれば、授業をほっぽって組合活動をする教師など、無断で休んでW杯観戦に行く教師と大差ない。「子供たちのため」なんていう大義名分は掲げているんだろうが、所詮自分たちのイデオロギーを守るために子供をダシに使っているだけだからだ。1万5000人もの教師が授業を放棄しているこの現状こそ、まさに「非常事態」である。

 世の中には、教師になりたいのに空きがなくてなれない人がたくさんいる。授業より組合活動のほうが大事な教師は、彼らのために身を引いてくれないものだろうか。教職を離れさえすれば、いくらでも教育基本法改正や憲法改正に異を唱えてよい。激務である教職と掛け持ちするよりも、よどのそのほうが組合活動もしやすかろう。

 私は何度も主張しているが、教師が子供たちに教えるべきなのは勉学と道徳であって、イデオロギーではない。大学くらいになれば特定の思想を持った教授がいてしかるべきだが、義務教育において思想教育は必要ない。何も知らず、先生の言うことなら正しいのだと純粋に受け入れてしまう子供たちに、教師が自分の思想を刷り込むことは慎むべきだ。これは左に限った話ではなく、右も同様である。

 しっかし、日教組の組織率は年々減っていて弱体化していると聞いていたのに、まだまだ潤沢な資金を持っているようだ。参加者全ての参加費を負担できるほどの資金がどこから出ているのか、興味深いところである。
posted by atsu at 23:55| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(2) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月18日

生徒たち<<<<<<<<W杯な教師

トンデモ先生処分 校長の制止無視しW杯強行観戦 直前説得にも「行きます」(産経)

 校長の制止を無視してサッカーW杯ドイツ大会の観戦のため渡独したとして、東京都教委は17日、区部の小学校の男性教諭(43)を減給10分の1、6カ月の懲戒処分とした。男性教諭は「申し訳ない」と反省しているという。

 都教委によると、男性教諭はW杯日本対ブラジル戦のチケットに当選した5月上旬、校長にドイツ旅行したいと懇願。校長は「学期中の私的な海外旅行は認められない」と再三、断念を求めた。

 それでも男性教諭は6月21日、旅行を強行。出発直前、校長は電話で「これからでもいいから戻ってこい」と翻意を求めたが、男性教諭は「行きます」と言い残し、機中の人に。現地で観戦後、25日に帰国した。

 旅行中の平日3日間は欠勤扱い。都教委は「処分覚悟で出発したんだろうが、管理職による再三の指導を聞かなかったため、通例より厳しい処分にした」としている。男性教諭は小3から小6の算数を担当。学級担任ではなかった。





 気持ちは分かるよ。サッカーファンなら、せっかく手にしたプラチナチケットを無駄にしたくはないだろう。何としてでも見に行きたくなる心情は痛いほどよく分かる。

 でも、社会人たるもの、有休が認められなかったのなら涙を飲むのが常識。それでも行きたいのなら、辞表を提出して行くくらいの覚悟が必要だ。実際、W杯のために仕事を辞める人もいるけど、この教師は公務員という職業柄、この程度のことでは絶対にクビにはならないと確信して行ったのだろう。そのへんは悪質だと思うわ。

 だいたい、生徒たちのことを考えれば、学期中の海外旅行ってのは普通しないと思うんだけどねぇ。私も15年ほど学生をやったが、体調不良や身内に不幸があった以外の理由で休む教師は見たことがないよ。出かける前に

「おーし、先生明日からW杯見に行っちゃうぞ」

とか言ったりしたのかな?
posted by atsu at 22:26| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月07日

消印ははっきりと

文科相に自殺予告文書(ニッカン)

 文部科学省は7日未明記者会見し、男子と思われる差出人から「いじめが原因で11日に校内で、自殺する」との内容の予告文書が6日午前、伊吹文明文科相あてに郵送された、と発表した。

 差出人は特定できず、消印欄に「豊」とみられる字があった。文科省は6日、各教育委員会に該当する事例がないか緊急に確認し、予防措置を取るよう要請した。

 記者会見した銭谷真美初等中等教育局長は「命を大切にしてほしい。大人も解決に一生懸命頑張るので、ぜひ生きてほしい」と呼び掛けた。

(後略)




 この自殺予告、世間を騒がせる目的のいたずらである可能性もゼロではないが、今のところは今のところは本物だと信じておこう。文科省はあらゆる手を尽くして、この手紙を送った人物を特定してほしい。

 しかし、ひとつだけ確実に言えることがある。それは

郵便局は消印をちゃんと押せ

ということだ。今回に限らず、郵便物というものは脅迫状や犯行予告などに利用されることもある。そんなとき、消印が判読可能でないとどこで投函されたのかさえ特定できない。今回はどうやら「豊島」ではないかということだが、はっきりと押されてさえいればこんなところで時間を食わなかった。郵便局には、消印にインクをしっかり付けることを望みたい。

 今回、手紙が話題になったことで送り主が思いとどまればいいが、朝日によると10年ほど前にも「自殺予告」が流行したことがあったという。そのときは、「運動会を中止しないと自殺する」「中間試験を中止しないと自殺する」という身勝手なものが多く出回り、学校がその都度振り回されたという。そういう連鎖のしかたにならないよう祈るばかりだ。
posted by atsu at 23:12| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(1) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月25日

履修漏れ、続々

受験に必要ない…必修科目授業せず 生徒、留年のピンチ(産経)

 富山県立高岡南高校(篠田伸雅校長)で平成17年度、「受験に必要な科目を勉強したい」との生徒の要望を受け、当時の2年生(約200人)の8割に、学習指導要領で必修の世界史の授業をしていなかったことが24日、分かった。

 世界史を履修していない生徒は卒業できなくなる恐れがあり、県教育委員会は対応を検討している。

 学習指導要領で高校生の地理歴史は、世界史が必修科目。さらに地理、日本史のいずれか1科目を選択して履修する。

 同校などによると、昨年3月ごろ、当時1年生だった現在の3年生の生徒から「(地理歴史は)受験に必要な1科目に絞って勉強したい」という声が上がり、教員が検討。2年生の地理歴史は、生徒が選択した世界史、日本史、地理のいずれか1科目だけの授業をしていたという。

 同校は24日、県教委に報告し「今後、冬休みなどを利用して世界史の授業時間を確保したい」としている。


岩手、福島の高校でも卒業ピンチ!?(産経)

≪既卒生も資格満たさず≫

 岩手県教育委員会は25日、県立盛岡第一高校と盛岡第三高校で、3年生の一部に対し学習指導要領で必修とされている世界史の授業などをしておらず、卒業できない恐れがあるとして、調査を始めたことを明らかにした。

 盛岡一高は、数年前から同じ授業形態を続けており、既に卒業した生徒の一部が卒業資格を満たしていない可能性があることを明らかにした。

 また福島県立福島高校でも3年生の一部に対し学習指導要領で必修とされている科目の授業をしておらず、約150人が卒業できない恐れがあることも判明した。

 岩手県教委によると、盛岡一高で卒業できない恐れが出ている生徒は192人という。今後の調査で、こうした高校はさらに増える可能性があるという。

 同県教委は調査結果を同日夕方までに取りまとめ、発表する予定。





 最初に高岡の話を聞いたときは「んなアホな話もあるんだなぁ」と思った程度だったが、同様の学校がどんどん明らかになってきた。どうも、あちこちの学校で慣例的に行われてきたことのようだ。

 これまでに明らかになった高校は、多くが名門校とされている公立高校。特に盛岡一高などは、毎年東北大学に50人ほどの合格者を出すほどで、東北では一二を争う進学校と言われている。決してうっかりというレベルではなく、確信犯的に行われていたと判断してもいいだろう。

 フジテレビの笠井アナ曰く、高岡南高校での履修漏れが発覚したのはマスコミへのタレコミによるものだったらしい。今回はばれてしまったので学校側は「補習を行う」としているが、ばれなければ書類上ではしっかりと履修したことにして卒業させるつもりだったのだろう。

 私の高校時代を振り返れば、世界史Bは2年生のときに必修で習い、地理Bは3年生で選択した。でも、アレはアレでよかったんだろうかと今でも疑問に思っている授業があったね。それは

オーラル・コミュニケーション(O.C)

 O.Cの授業って1年生のときに週2コマくらいあったんだけど、ウチの学校におけるO.Cの授業は、なぜか「グラマー」だった。本来のO.Cの教科書は一切使わないで、ひたすら英文をノートに書き写すだけの授業。O.Cの要素はまったくなかった。

 実際には「英文法」の授業と化しているのに、それでも書類上は「O.C」を履修したことになっていたのだろう。受験には英会話は必要ないってんで、恐らく文法の授業にすり替えられたものと思われるが、あれだって本当は国が定める履修要綱を逸脱しているに違いない。「O.C」は本来、英会話をするために設けられた科目のはずなのに。


 話は戻るが、たまたま今年卒業にあたってしまった生徒たちは気の毒だ。補習はするしかないだろうが、恐らくは授業を形だけ行って、自分のやりたい勉強をしていいというやり方にするのだろう。時間だけは埋めないといかんからね。でもまぁ、生徒たちの効率化を図ってやったつもりが、とんだ時間の無駄を生んじゃったね。
posted by atsu at 23:50| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(2) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月01日

心を病んだ先生

児童の親かたり教諭が「体罰」告発メール(産経)

 東京都墨田区立の小学校に勤務する40代の男性教諭が、担任として受け持っている児童の保護者をかたり「子供が副校長から体罰を受けた」という虚偽のメールを区長あてに送信していたことが、30日までに分かった。教諭は事実を認め「自分は病気」と休職中だが、処分は受けていない。問題の保護者は、名誉を著しく傷つけられたとして「教諭や学校などに謝罪文を求めているが、全く反応がない」と批判している。

 問題のメールは今年6月上旬ごろ、墨田区の公式ホームページ(HP)を通じて送られた。「副校長先生に(子供が)体罰を受けました。遠足の帰りのバスの中、2リットル入りのペットボトルで頭をたたかれたそうです。校長先生も同じバスに乗っていたが注意しなかったそうなので、区長からしっかり注意してください」との内容だった。

 保護者の名字が書かれた上、住所も自宅と同じ町名が記載され、送信者が特定可能だった。

 メールを受けた墨田区は学校に調査を指示したが、学校は保護者に確認しないまま、メールは保護者が送信したものと判断。知人からメールの存在を知らされた保護者が8月上旬、学校に赴いて校長に説明を求めたところ、同席していた教諭がメール送信を認めた。

 教諭は「学校に不満があった。学校に緊張感を与えたかったが、内部告発では行政に届きにくいので、父母の名前を使った」と説明、動機は「校長、副校長と自分の教育論が全く合わない」と話したという。

 教諭は「適応障害」を理由に夏休み明けの9月から6カ月間の傷病休暇を取っており、後任の教諭が既に着任している。都教委は教諭の処分を決めておらず、墨田区教委、学校とも「処分は都教委が決めるので、こちらでは何ともいえない」としている。

 保護者は「教諭は『私は児童が忘れ物をしても、1回目は許すことにしている。自分も1回目なので許してほしい』とわけの分からないことをいっている」と怒りをあらわにする。この小学校の校長は「申し訳ないという気持ちで、心からお詫びしたい。ただ、男性教諭が病気だとは知らず、こういうことをするとは予想できなかった」としている。





 学校に不満があり、校長や副校長と意見が合わないという理由で、架空の体罰をでっち上げて校長らの名誉を毀損したうえ、勝手に児童の保護者の名前まで騙るとはね。病気で休んでいるとのことだが、こんなことをやってしまうとは確かに病気だわ。

 教師の言い分も解せない。「私は児童が忘れ物をしても、1回目は許すことにしている。自分も1回目なので許してほしい」と言うが、忘れ物が過失なのに対して、教師の行為は故意に行われたものだ。病気だから仕方ないとも言えるが、こうした分別もなくなっている以上は教師の仕事ができるとは思えない。

 しかし、学校の対応も疑問だね。どうして、教師に名前を使われた保護者に確認することもなく、保護者がメールの送信者だと断定してしまったんだろう。保護者が学校からではなく、知人からメールのことを知らされたというのも不可思議だ。いずれにしても、おかしなクレーマーのような扱いをされた保護者にとっては迷惑この上ないことだろう。

 国旗・国歌に反対する教師や、当たり構わず暴力を振るう小学生も多い現在の教育界は、本当に病んできているのだと思う。同じように心を病む教師はとても多いと聞く。

 だが、非常に酷な言い方になるが、いったん心を病んでしまった人は教育に携わる仕事を続けるのは無理だろう。残念ながら、辞めていただくしかないのかもしれない…。

 今日の産経の紙面に、「給食費払わぬ親たち お金あっても『頼んだ覚えない』」という記事もあった。こういうキチガイ保護者も珍しくない現状を見ると、教師たちの苦労も並々ならぬと同情はできるんだけどねぇ。
posted by atsu at 19:24| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月09日

絶対評価の弊害

和歌山の小学校 “抗議”で「通知表」再評価(読売)

 和歌山県紀の川市立名手小学校が、2年生1クラス(23人)の1学期の通知表について、「評価が厳しすぎる」との保護者の指摘を受けて評価し直して配ったところ、一部の保護者から「子どもが不信感を抱く」などと受け取りを拒否されていることがわかった。

 北田勝博校長は、「今後は事前に教師間で決めた評価基準を徹底させ、評価後のチェックも怠らないようにする」と話している。

 同小によると、2年生は2クラスあり、通知表は担任が、国語や算数など計6教科を30項目に分けて、A〜Cの3段階で絶対評価をつける。50歳代の女性教諭が担任するこのクラスでは、最高評価のAが1人平均3・6個だった。

 保護者の指摘で学校が調べたところ、別のクラスではAが平均8・1個あり、別のクラスの児童の成績と比較しながら再評価したところ、Aが平均7・9個に増えたという。

 同小は3日から、各家庭を訪問、保護者に新たな通知表を手渡している。しかし、10人前後が受け取りを拒んでいるという。同小は、保護者が受け取らない場合でも、再評価したものを1学期の成績とすることにしている。

 文部科学省教育課程課は、「クラス間で多少の評価の違いは生じるだろうが、今回のケースでは違いが大きすぎて問題だ」としている。





 これ、確実に絶対評価の弊害だよね。相対評価ならこんな問題は生じないのに、担任の教師が厳しいか甘いかで評価に大きな差ができてしまう。やっぱり、私は絶対評価というものにはあまり賛成できないわ。

 まぁでも、厳しく評価されるってのは割と子供らのためになるかもしれない。そりゃ、子供たちの努力を全く反映しないような激辛評価はいただけないが、できないのに大甘な評価をされるよりはだいぶマシである。10人ほどの保護者が、「あとから評価が変わるのはおかしい」として受け取りを拒否しているらしいが、彼らは賢明だと思う。
posted by atsu at 23:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月29日

学生スポーツは身だしなみが大事

「眉毛をそってるから」負け 鹿児島の中学総体(朝日)

 鹿児島県中学校総合体育大会バドミントン競技女子団体戦の準々決勝で、眉毛をそっていたことを理由に、試合に勝った生徒を負けたことにしていたことが28日、わかった。その結果、団体戦の勝敗も覆ったという。教育関係者からは「スポーツと生活指導を一緒にしている」と疑問の声があがっている。

 同県中学校体育連盟によると、25日に開かれた大会の女子団体戦準々決勝で、鹿児島市内の伊敷台中と伊敷中が対戦した。

 団体戦はダブルス、シングルス、ダブルスの計3回対戦し、先に2勝した方が勝ち進む。伊敷中が2-0で勝ったが、試合後、伊敷台中の選手が「眉毛をそっている生徒がいる」と県中体連側に訴えたという。

 県中体連は大会前に、髪を染めたり、眉をそったりするなど「周りに不快感を与える服装」をした場合は、出場を認めない場合もあると、各校に知らせていた。

 生徒指導を担当する「専門部」が協議し、眉をそっていた最初のダブルス戦の選手を「負け」とし、1-1としたうえで、3試合目をさせることにしたという。その結果、伊敷台中が勝ち、準決勝に進んだ。

 県中体連の吉ケ島隆良会長(59)は「眉をそった生徒には、守るべきものがあるということを確認してほしかった。本人も認めており、人権侵害ではない」と話した。

 教育評論家の尾木直樹・法政大学教授の話 スポーツの大会では考えられない話。身だしなみは試合と全く関係がなく、生活指導が先行しすぎている。あいまいな規定を根拠に、主催者が権限を乱用したと言わざるを得ない。指導は大会の外でやるべきだ。





>スポーツの大会では考えられない話。身だしなみは試合と全く関係がなく、生活指導が先行しすぎている。あいまいな規定を根拠に、主催者が権限を乱用したと言わざるを得ない。指導は大会の外でやるべきだ。

 この、尾木教授という人は何を言っているのか。身だしなみは試合と全く関係がない? バカも休み休み言え。

 部活動とは、教育の一環だ。生活指導が重視されるのは当然のことで、今回の措置は妥当だ。こんなことを問題視するほうがおかしい。今日の新聞をザッと見たところ、これを記事にしているのは朝日だけ。はっきり言って、記事にするほどのニュースじゃないよこんなの。

 私は彼女の容姿が分からないから何とも言えないが、一般論として眉毛を剃っている人の顔は怖い。もしかしたら対戦相手は、彼女の顔を見て怯み、それで負けたのかもしれない。確かに相手に威圧を与えるのも戦法のひとつではあるが、中学生がやることじゃないだろう。元の顔が怖いなら仕方ないが。

 今回の件に問題があるとするならば、大会側が事前に眉毛を剃っている選手がいることに気付かず、試合を成立させてしまったことである。もっと注意を払い、事前に彼女を出場停止にするなり、注意を与えるなりするべきだった。そうすれば彼女だって、誰かに化粧品を借りて眉毛を書くこともできただろう。その点では、大会側に落ち度があったと言える。

 しかし、身だしなみのことで彼女を敗北扱いにしたのは人権侵害だとかいう批判は全く当たらない。こないだも朝日新聞に「野球部員の丸刈り強要は人権侵害だ」という投書が載っていた(今日の紙面に反論掲載)が、この手の話を人権と絡めて語るのはナンセンスである。

【追記】

 ん? ちょっと待って。眉毛を剃っていると聞いて、私はてっきり完全な眉なしを想像してしまったのだが、もしかしたら細く整えているだけとかそういうレベルの話か?? もしそうなのだとすれば、「周りに不快感を与える」恰好とは言えんな。彼女の顔写真がないから、何とも判断がつかないのだけれど。

 というわけで、まとめ。

・彼女が完全に眉なし→処置は妥当。しかし事前に止められなかった大会側も悪い

・細くしてただけ→周りに不快感を与えてないから、処置は不当。そんな細かいことをいちいちチクる相手校も問題


 ただ、身だしなみは試合と関係ないとする尾木教授には全く賛成できない。眉毛を細く整えることが校則に反するのかどうかは知らないが、生徒が常軌を逸した恰好をしたなら、それを是正するのも教育者の務めである。
posted by atsu at 19:38| 東京 ☔| Comment(3) | TrackBack(3) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月23日

保護者免許も必要か?

「今すぐクラス移して」…教師に無理難題、理不尽な親急増(産経)

 「あの子の親と仲が悪いから、今すぐうちの子を別のクラスに移して」「うちの子がけがをして学校を休む間、けがをさせた子も休ませろ」…。保護者が教師に無理難題を言うケースが各地で急増している。教師が頭を悩ますこうした「理不尽な親たち」について、大阪大の小野田正利教授(人間科学、教育制度学)は、文部科学省の科学研究補助金を受けて教育関係者や弁護士、精神科医らによる「学校保護者関係研究会」を発足させ、原因究明と対策に乗り出した。(池田証志)

 「基本料金を日割りで払え」。持ち込み禁止の携帯電話を生徒から取り上げた中学教師は、保護者にこう言われ、言葉が見つからなかった。

 ある幼稚園では、おもちゃを取り合う園児を見た親が「取り合うようなおもちゃを置かないでほしい」と申し入れた。小学校の1学年全クラスの担任配置表を独自に作成し、「この通りでなければ子供を学校に行かせない」と要求した保護者もいる。

(後略)





 最近、教員免許の更新制というものが物議を醸しているが、それよりむしろ保護者にも免許が必要なんじゃないか。そう思わざるを得ないほど、頭のおかしい人間がいっちょ前に親を気取っているようだ。

 保護者免許とは、親としての資格があることを証明するもの。妊娠が分かった時点で夫婦揃って育児法などの講義を受けることが義務づけられ、出産までに取得しなければならない。取得せずに子供を育てた場合は、無免許養育として逮捕される。1年ごとに調査員が抜き打ちで家を訪れ、育児が適切に行われているかチェックする……こういう制度がもはや必要な世の中になってきているのかもしれない。

 親の人格は少なからず子供に影響する。理不尽な要求を突きつける親を見て育てば、その子も理不尽な人間になる。こういう悪影響を防ぐためにも、狂った親は再教育センターに送らなければいけないな。
posted by atsu at 00:21| 東京 🌁| Comment(1) | TrackBack(1) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月02日

教育勅語の何がいけない?

教育勅語幼稚園で暗唱戸惑う保護者も(東京新聞)

 大阪市の私立塚本幼稚園(淀川区、約二百三十人)と私立南港さくら幼稚園(住之江区、約百八十人)が、年長組の園児約百二十人に、教育勅語を暗唱させていることが一日、分かった。

 園側は「幼児期から愛国心、公共心、道徳心をはぐくむためにも教育勅語の精神が必要と確信している」と説明しているが、文部科学省幼児教育課は「教育勅語を教えるのは適当ではない。教育要領でも園児に勅語を暗唱させることは想定していない」としている。

 両幼稚園の園長を務める籠池靖憲氏によると、幼児期から古典に親しむため、一昨年から月一回、年長組の園児を対象に論語の勉強を始めたが、「教育の神髄を短い言葉で伝えているのが教育勅語」と考え、昨年十月ごろから教育勅語を教えているという。

 年長組の園児は毎日、一時間目の授業の初めに担任の指導で教育勅語を暗唱。保護者にも口語の訳文に「今こそ教育勅語の精神が必要」という園長の所感を添えて配布したという。

 ある保護者は「こういう教育をするとは知らずに入園させた」と戸惑いをみせるが、園側は「保護者の不満の声は聞いていない」としている。

 籠池園長は「戦争にいざなった負の側面を際立たせ、正しい側面から目をそむけさせることには疑問を感じる。親を敬い、自分を高めるという精神を体現すれば、無軌道な方向には行かない」と話している。

 大阪市内の私立幼稚園で一日、園児に教育勅語を暗唱させていることが分かった。通常国会では教育基本法改正をめぐり焦点となった「愛国心」との関連で教育勅語が議論になった。小泉純一郎首相は「教育勅語の復活を意図するものではない」と答弁したが、自民党内などには教育勅語に盛り込まれた道徳の理念を復活させるべきだとの声も根強い。

 首相当時「日本は天皇を中心にした神の国」と発言した自民党の森喜朗氏は、教育基本法について「国の歴史、文化に全く触れていない。個人が強く出て、公が欠けている」と批判。「戦前は教育勅語の中に哲学、思想が入っていた」と評価した。河村建夫元文部科学相も在任当時「教育勅語には道徳的観念があったが、排除決議がされた。大事なことは隅にやられ、教育の根本理念から外された」と話した。

 政府の教育基本法改正案は「我が国と郷土を愛する態度」との表現で愛国心を盛り込んだが、小泉首相は「教育上の目標で、児童や生徒の内心に立ち入って強制するのではない」と説明した。

 ■現代にはそぐわず

 沖田行司同志社大学大学院教授(教育史)の話 意味を理解する前に暗記させる教育方法はあるが、題材に教育勅語を選ぶのはいかがなものか。個々の道徳項目に問題はないといっても、教育勅語は天皇主権をうたっており、国民主権の現代にはそぐわない。幼稚園児には宗教、学問の自由を侵す結果となった教育勅語の歴史的経緯を理解できず、無理がある。





 このニュース、共同通信が火を付けたせいか、全国紙では朝日すら報じていないのに地方紙は軒並み扱っている。「教育勅語」という言葉を聞いただけでアレルギー反応を起こすマスコミはまったく困ったものだ。

 記事に同調してこの幼稚園を批判しているブログをいくつか回ってきたが、その多くは教育勅語の内容にも触れることなく「時代錯誤だ」「園長はバカか」「幼稚園児に理解できるわけがない」というものばかりで、ゲンナリした。

 さて、「時代錯誤」と一刀両断にされた教育勅語だが、その中身を今一度確認してみよう。本文はコチラで読んでもらうとして、ここではまあ十二の徳目だけ引用すれば十分だろう。

孝行 親に孝養をつくしましょう
友愛 兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦ノ和 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友ノ信 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
謙遜 自分の言動をつつしみましょう
博愛 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
修学習業 勉学に励み職業を身につけましょう
智能啓発 知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器成就 人格の向上につとめましょう
公益世務 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵法 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう


 この中にどれかひとつでも、時代錯誤なものがあるか。この中にどれかひとつでも、日本を戦争へと向かわせるものがあるか。強いて言えばいちばん最後の「義勇」が気になるのだろうが、これが気になる人間は国をよくしようという気概がない人間だ。今の日本人に欠けているのは、自分の仕事を国家や社会、世界のために役立てようという気概である。それがないから政治家は腐り、耐震偽装やホリエモン・村上ファンドのような問題が起こるのである。

 結局は、戦争に使われたものだから嫌、天皇が作ったものだから嫌だという幼稚な論理でしかない。だがそんなことを言ったら、戦時中にどの新聞よりも戦争を煽った朝日新聞などとても読めない。飛行機も船も自動車も鉄道もみんな戦争に使われたが、用途が変わって平和利用されているとしても受け入れられないことになる。だが、そんなことを言う人はいない。

 仮に、「軍人勅諭」を暗唱させている幼稚園があったら問題だと思う。しかし教育勅語は、日の丸・君が代と同じように戦争のために作られたものではない。戦前を全否定する人間は、「A級戦犯」や「教育勅語」など何か悪者を見つけてそれに戦争責任を押し付けなければ気が済まないようだが、はっきり言ってそれは歴史に対する侮辱でしかない。私にはとても、現代という平和のぬるま湯の中から、あの激動の時代を生きた人々を非難することなどできないのである。

 ここで、南港さくら幼稚園と塚本幼稚園に提案なのだが、来年度からは「教育勅語を教えています!」という点をアピールして園児を集めようではないか。そうすれば、「こういう教育をするとは知らずに入園させた」と戸惑う(?)保護者もいなくなるだろう。教育勅語を教えると知っての上で入園させる親御さんが増えたら、東京新聞はどのように報じるだろうか。右傾化だ右傾化だ軍靴の音が軍靴の音がと、またギャアギャア騒いだりするのかな?
posted by atsu at 16:40| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(3) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月01日

男女が一緒にやっていいことにも限度がある

2006年7月1日付産経新聞より

同室で小4の水泳着替え、全国で823校…文科省調査(読売)

 水泳の授業の際、小学4年生でも、男女の児童を同じ部屋で水着に着替えさせている公立小学校が、全体の3・70%にあたる823校に上ることが30日、文部科学省の調査で分かった。

 身体検査を男女同室で行っているところもあり、文科省は「着替えなどは小学校低学年でも男女別で行われるべきだ」として、同日、各地の教育委員会に適切な対応を求める通知を出した。

 学校などでの男女の扱いに関する調査は初めて。約4万2000の全公立幼稚園、小中高校などを対象に、昨年度の状況を聞いた。

 水着への着替えを男女一緒にさせているのは、小1が9943校(44・76%)と最多で、学年が上がるごとに割合は減るが、小4でも100校に4校近い割合で行われていた。身体検査を男女同室で実施している学校は、小5、小6ではなかったが、小1は16・20%、小4でも0・47%あった。

 このほか、修学旅行などで、男女同室で宿泊している小学校は、345校(1・55%)だった。

 文科省児童生徒課では、「クラスの中には、男女一緒は嫌だという子供もいるはずで、同じ部屋でも間に仕切りをつけたり、時間をずらして着替えるようにしたりと、対策を取るべきだ」としている。





 私が通っていた学校も、小中と体育の着替えは男女同室だった。もっとも女子なんかは器用なもので、制服の上にジャージを着てから制服を脱ぐという技をほぼ全員が会得していた。下も最初からスカートの下にジャージやらハーパンを穿いていた者が多かったので、男子としては夢もへったくれもない(笑)。

 同室着替えについてはジェンフリ思想の悪影響だなんだと言われているが、実情は単なる更衣室不足であろう。私が小中学生の頃は男女混合名簿なんてものもなかったし、そもそもジェンダーフリーなんていう言葉すらなかった。だからと言って現状をずっと放置していいとは思わないが、男女同室着替えをジェンフリの弊害だと騒ぎ立てるのは少々的外れだろうと思う。

 だがしかし、水泳時の着替えまで同室というのは考えられない。

 産経新聞に載っていた表(上記)を見ると、さすがに中学校以上ではそんな非常識な学校はないが、何と小学校6年生では32校(0.14%)が同室で水着に着替えさせられている。この年頃では女子のほうが成長が早いので、中には既に初潮を迎えた子もいるだろう。胸も膨らみ始めているというのに、それを男子の目が届くところで着替えさせる神経が分からない。

 水着に着替えるときはまだいい。服の下に水着を着込んでくれば、脱ぐだけでいいからだ(だがその場合、Tシャツの下にスク水が透けるという異常事態になるが)。だが水着から服に着替えるときはどうする? まさか濡れた水着の上に服を着るわけにいかないから、どうやってもいったん脱がなければならない。しかも濡れた体を拭かなければならない。このプロセスを経るのには、どうやっても男女同室では無理だろう。いったいどうやっているんだろうか。

 普通、学校のプールには更衣室が併設されているものではないか? 更衣室がないならば、それは完全に施設の不備である。体育のときの同室着替えと違い、更衣室がないから仕方ないでは済まない。まさに行政の怠慢であり、早急に整備しなければならないだろう。そして、水泳時の着替えについては例え小学1年生であっても厳格に分けて行うべきだ。


 さらに興味深いのは、騎馬戦を男女混合にしていることに飽き足らず、騎馬まで男女混合の学校が中学で29校、高校でも2校(!)あることだ。騎馬も一緒ということは男子が作った馬に女子が乗ることもあるということだが、これは男子にとって天国でも女子にとっては地獄ではないか。抵抗なく男子の馬に乗れる女子がいるとするなら、それはそれで恐ろしい。

 一緒にやるが、騎馬は男女別という学校は中学では151校、高校では3校ある。しかし、騎馬が別ならいいというわけではない。帽子を取るふりをして、あわよくば女子のいけないところにタッチしてしまおうと考える男子は絶対にいる。既に体が大人に近付いている中学・高校において騎馬戦を男女入り混じって行うことは、まったく言語道断だと言うしかない。


 男女とも「さん」付けで統一している学校が小学校の32%を占めるというのも、何とも空寒いものだ。学校以外の場所では、彼らがそれぞれ呼び捨てや仇名で呼び合っていることと信じたい。

【追記】

 あるブログ(ttp://d.hatena.ne.jp/debyu-bo/20060701/1151694632)にあった仰天の主張。以下引用。

 産経の記事では「学年が高くなるにつれて着替えや身体検査の「同室率」が低くなっているとはいえ、文科省では「学年を問わず嫌がる子供もいる」(児童生徒課)としている」とのことです。日の丸・君が代も「学年を問わず嫌がる子供もいる」と思うので、配慮するよう是非とも主張してください。


引用終了。

 異性の前で着替えることに対する羞恥心は、まともな人間なら当たり前に身に付くもの。それに対して日の丸・君が代への嫌悪感は、何も教わらない子供が自然に身に付けるものではない。同列に論じることは実にナンセンスだと思う。
posted by atsu at 21:42| 東京 🌁| Comment(7) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月19日

彼女≠フ今後が心配だ

男児「女児」で通学 性同一性障害と診断 兵庫の小学校(産経)

 兵庫県内の公立小学校二年の男児(7つ)が、医師から「性同一性障害(GID)」と診断され、女児として通学していることが、十八日分かった。同小を所管する教育委員会は「入学前に保護者から相談を受けた。医師の診断の結果、女児として受け入れることが最善と判断した」と説明している。思春期を迎えていない子供を性同一性障害者として公的機関が受け入れているケースはこれまで明らかになっておらず、文部科学省も「聞いたことがない」としている。

 関係者の話などによると、この児童は一歳ごろからスカートやぬいぐるみが好きで、保育園に入園してからも、女児の服装を好んだという。自身の男性器についても疑問を抱く発言をしたことがあるという。

 こうした事情から、小学校入学前の昨年一月ごろ、児童の祖母から教委に相談があり、専門医に相談するよう保護者に伝えた。診断の結果、「一生涯このままとは言い切れないが、そのとき、そのときで生活しやすいようにするのが基本である」と、性同一性障害と診断された。

 この診断結果を受け、学校、保護者の三者で話し合い、女児として入学させることを決定。入学する小学校の全教職員に理解を徹底したという。

 児童は女子トイレを使い、プールの水着なども女児用を使用。身体測定も女児として受けさせているほか、出席簿も女児の名前の欄に記載し、教諭が名前を呼ぶさいには、男女とも「さん」づけにしているという。

 教委は「現在までの学校生活で、問題があったとは聞いていない。男女の体格の特徴などが顕著になる今後については、その都度、保護者とも話し合い最善の方法で対応したい」としている。


■性同一性障害(GID)学会理事長の大島俊之神戸学院大法科大学院教授の話 「小学校低学年がGIDと診断されたことに驚いている。幼いころに無理に体の性を強いるのは心理的負担になる。その意味では小学校の対応は基本的には良い。だが周囲の同級生や親、先生がどう理解して対応できるか。今は低学年だから問題が起きなくても、今後成長が進むと外見の違いも目立ち、問題が生じる可能性もある。その時、周囲は受け入れられるのか。小学校や教育委員会が今後の流れをどこまで視野に入れているのか、まだ見えてこない」





 とりあえず、兵庫県教委の判断は評価する。この配慮のおかげで、彼女≠ヘ今のところ楽しい学校生活を行っていることと思う。

 だけど、大島教授も懸念しているようにこの先は山あり谷ありだろう。彼女≠フ秘密を守るためには、周囲の並々ならぬ苦労が求められると思う。

 小学校のうちは、外見上でバレることはあまりないだろう。発育のいい子は小学生のうちに第二次性徴が始まるが、遅い子は中学になっても始まらかったりするから問題ない。もしも周囲の子の性徴が早くて、彼女≠ェどうしても気になったとしても、胸パットやら何やらで外見はどうとでも繕うことができる。

 だけど問題は「声」だ。彼女≠ェ望まなくても、男子は小学校高学年から中学にかけてのあいだに必ず声変わりをする。これは、どうにも防げない。まさか成長しきってない子供に性転換へ向けての女性ホルモン投与はできないだろうから、いつの日か必ず彼女≠フ喉仏は膨らんで、声は野太く変化する。体の他の部分と違って首は隠しづらい(まさかずっとマフラーやスカーフを巻いているわけにもいかない)し、何よりも声は隠しようがない。稀に女みたいな声をしている男もいるが、彼女≠ェそうなる保証はない。そのとき、いったいどうするんだろうという疑問は残る。

 さらに、第二次性徴を迎えたときの彼女≠フ心境も気がかりだ。性同一性障害の男性は通常、性の不一致に悩みながら、社会的には「男性」として過ごす。しかし彼女≠ヘ既に社会的に女性であると認められている。となると、社会的には女性であるのにもかかわらず、体がどんどん男性らしくなっていくことにたいへんな苦痛を抱くのではないだろうか。彼女≠ヘ女の子の友達が多いということだが、成長期に友達の胸が膨らんでいったりするのを間近で見るうち、自分の胸がなぜ膨らまないのか非常に悩むと思う。この先どんどん彼女≠ヘ自分が女であると自覚していくだろうから、その点が心配である。

 周囲の子たちをどう扱うかも難しい。第二次性徴が始まる前でも、何らかのアクシデントで彼女≠ェ本当は男であるとバレる可能性はゼロではない。例えば水泳の授業で着替えるとき、何かの拍子にタオルがはだけてしまうことだって考えられる。周りの女の子が、彼女≠フ股間にある「付いているはずのないもの」を見てしまった場合、そのケアをどうするのかも考えなければならない。もしかしたら彼女≠セけは別室で着替えさせたりしているのかもしれないが、中には勘の鋭い子供もいるから油断は禁物だ。まさか男だと見抜きはしないだろうが、別室で着替えることを不審に思い、彼女≠ノ「どうしてみんなと一緒に着替えないの?」と質問することくらいはあり得るだろう。そのとき彼女≠ェどう答えて誤魔化すかなども重要になってくる。

 このあたりを怠ると、悲劇だろう。「女の子だと思ってた友達が男だった」とか「好意を寄せていた女の子が男だった」という事態は、下手をしたら一生モノのトラウマになりえる。教師たちには、そのときに彼女≠フ事情をどう他の生徒に説明するかという難題が生じるだろうが、果たしていち教師にそこまでの重荷を負わせて大丈夫だろうかとも思う。

 また、スポニチの記事などによれば、幼い頃に「自分は女(男)だ」と言い出した子の多くは、第二次性徴後に本来の性に戻るケースが多いという。普通ならそれでめでたしめでたしだが、彼女≠フ場合は既に女性として生きているので、もし元に戻ったとしたら突然男子に戻ることになる。その場合でも、周囲のケアが必要になるだろう。もしかしたら、影響を与えないように彼女≠転校させる措置などが必要になるかもしれない。いずれにしても、一度彼女≠女だとしてしまった以上、一筋縄では済まない話になってしまうのだ。

 理想の形は、周囲の人も全て真実を知ったうえで、彼女≠女として受け入れることだろう。今回のケースでも、男であることがバレて大騒ぎになる前に、タイミングを見計らって周囲にも真実を伝えるのが理想だとは思う。しかし、そのタイミングがいったいいつなのか私には分かりかねるし、もしかしたら彼女℃ゥ身も周囲に真実を知られたくないかもしれない。非常に難しい。今後、このニュースの続報が流れることはないだろうが、陰ながら彼女≠温かく見守っていきたい。


【おまけ】

 上の引用記事で「出席簿も女児の名前の欄に記載し、教諭が名前を呼ぶさいには、男女とも「さん」づけにしている」という部分を太字にした。なぜ太字にしたかというと、男女とも「さん」づけなのに、出席簿が「男女別」になってたから。悪名高き男女混合名簿じゃないのに、どうして男女とも「さん」づけをするのかが分からない。
posted by atsu at 23:02| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月14日

自分の生まれた国を愛するのは、当たり前のこと

 各紙、教育基本法改正案についての社説が出揃った。

読売…[教育基本法]「区切りがついた『愛国心』論争」(13日付)

 四大紙の中では、最も好意的で前向き。今国会ですぐ決めるべきと主張し、サヨクの批判に対しても「愛国心を教えることを否定的にとらえる国など、日本以外にない。戦後の平和国家としての歩みを見ても、わが国が「戦前の教育」に戻る可能性は、微塵(みじん)もない」と一蹴している。教育基本法さえ改正すれば、まるで教育における諸問題が全て解決するかのよう。

朝日…教育基本法 「愛国」を教える難しさ

 「他国を尊重し」という文句が入った点だけは評価するものの、それでも「教育基本法を改正することについては、なおも疑問が残る」とする。教育における諸問題は本当に基本法が悪いせいなのか吟味する必要があるとし、例の如く「『国を愛する』ことは自発的な心の動きであり、愛し方は人によってさまざまなはずだ」と主張する。その後は国旗・国歌の強制とも絡め、いつも通りの展開。

毎日…社説:教育基本法改正 「愛国心」の本音がちらつく

 やはり「愛国心」という言葉が気になるご様子。自公の妥協が生み出したソフトな表現に対しても、「表現をいかに工夫しようとも、国民には小手先の修正としか映らないのではないか」と疑問を挟む。基本法の改正で問題が解決するとは思えないという点は、朝日とだいたい同じ。

産経…【主張】教育基本法改正 「愛国心」はもっと素直に

 朝毎とは違い、産経は「愛国心」という言葉が公明党の茶々で薄められたのが不満なよう。愛国心以外でも「宗教的情操の涵養」が盛り込まれなかtったことと、第一〇条の「不当な支配に屈することなく」が削られなかったことも不満なようだ。今回の改正案はあまり評価せず、もっと「子供たちが日本に生まれたことに誇りを持てるような格調の高い改正案に仕上げてもらいたい」としている。


 というわけで、読売以外は概ね今回の改正案には満足していないようだ。朝日と毎日は、改正そのものにも疑問を呈している。これらの三紙には、今回の案を「妥協の産物」と評する共通点もある。


 さて、私はというと、教育基本法の改正には反対しないが、それほど積極的に改正すればいいとも思っていない。今回の改正案「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」に対しても「ふーん、こんな文章なら別にいいんじゃないか」という程度の感想しか持たなかった。

 それだけに、ここまで薄められた文言に対しても強烈にアレルギー反応を示す人には首を傾げる。彼らは愛国心というと、政府に忠誠を尽くすことを強制されることになるという連想しかできないようだが、彼らは自分が生まれた日本という国に、何の愛着も抱いてないのだろうか。産経の社説にも書かれているが、愛国心を巡ってここまでモメる国は日本くらいなもので、どこの国でも自国に愛着を持つのがデフォルトなのである。「子供たちが日本を愛するように育ててはならない」という思想は、どう考えてもおかしい。

 確か櫻井よしこさんが言っていたと思うのだが、氏はかつて留学した際、他国の留学生らの前で日本文化を披露することができず、恥ずかしい思いをしたことがあるそうだ。様々な国から集まった留学生らが、それぞれ自国の伝統文化を発表しあおうということになったそうなのだが、他国の留学生が伝統芸能などをさらりとこなす中、櫻井さんは何もできることがなかったという。

 これは、多くの日本人に共通することだと思われる。私を含め、日本人なのに日本の踊りも踊れず、民族衣装である着物すら着こなせない。こういうことを防ぐためにも、日本の伝統や文化を幼い頃から身に付けさせることは重要だ。外国へ行くと、自国のことをよく知り、誇りを持っていないと尊敬されない。「私は自分の国が大嫌いだ」などと放言する人物は、白い目で見られるのがオチなのである。

 だってそうだろう。人間に置き換えてみると分かりやすいが、いつもいつも

「私はバカでドジでノロマで、不細工だしとりえは何もないし、生きてる価値なんてないんだ…。自分のことがもう大嫌いで、存在していることが苦痛」

とネチネチネチネチ言っている人間が、周囲から好かれたり尊敬されたりするだろうか。一度は「そんなことないよ。君には君の気付かないいいところがきっとあるはずさ」と励ましてもらえるかもしれないが、それでもずうっとマイナスオーラを撒き散らし続けるのなら、しまいには誰も相手にしなくなるに決まっている。魅力ある人というのは、自分に誇りを持っている人のことを言うのだ(独善的過ぎたり、極度のナルシストはダメだが)。

 魅力ある国もまたしかりである。国民が自国を卑下してばかりいる国が、周囲から尊敬されるわけがない。自虐史観を持っていれば、中韓は「あなたは良心的ですね」と言ってくれるかもしれないが、そこまでである。それに、そんな良心的人間は、中共や韓国政府に利用されてしまうだけで、日本にとって害悪でしかない。日本が世界的に尊敬される国になるためには、やはり国民がもっと日本を愛せるようになることが望まれる。

 だが、私は教育基本法を改正したとて、すぐに実効性が現れるとは思っていない。いくら基本法がよくなっても、子供たちに直接指導を行うのは現場の教師だ。その教師たちの中に、子供が日本を嫌いになるよう仕向ける輩が多く含まれる現状ではどうにもなるまい。増田都子のようなキチガイ教師でさえ、分限免職にするまで何年もの歳月を必要としたのだから、サヨク教師を教育現場から一掃するのはほぼ不可能だと思われる。結局、教育現場が日教組やサヨク教師の「不当な支配」を受けている状況は変わらないのだから。教育の諸問題を解決するには、基本法の改正よりも教師たちの意識改革のほうが有効だろうと思う。彼らには、公務員としての自覚というものを叩き込む必要があるだろう。
posted by atsu at 23:55| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(3) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月07日

色んな教科書があっていいけど、扶桑社のはダメなんだって

教科書検定 高校はもうやめたら(朝日社説)

 「ペットを家族の一員と考える人もいる」。この文章のどこが間違っているか、答えられる人がどれだけいるだろう。

 「動物は家族ではない」が文部科学省の正解である。検定の結果、「家族の一員のように親密に思っている人もいる」と直された。

 文科省は高校1年生が来春から使う教科書の検定の結果を発表した。その中で、こうした重箱の隅をつつくような修正が少なくなかった。

 世界史や日本史、現代社会の教科書では、政府の見解や考え方以外は許さないという姿勢が目立った。

 たとえば、イラク戦争について米国の「先制攻撃」という表現が消えた。「先制攻撃や予防攻撃に当たらない」と小泉首相が国会で答弁しているというのが修正を求めた理由だ。小泉首相の靖国神社参拝に対する福岡地裁の違憲判断も削られた。下級審であるうえ、違憲判断は判決の本論ではない、というのだ。

 一方で、今の学習指導要領は教える内容を3割減らしたため、重要な項目が教科書から消えている。

 生物Iの「進化」や数学Iの「統計」は、指導要領の範囲を超えるとして、前回の検定で削られた。今回の検定では、別枠の囲み記事などで「発展的学習」として書くことはできたが、どの教科書も載せなかった。小さな囲み記事ではとても書ききれないからだろう。

 細かなところまで口をはさむ。政府の見解をきっちり書かせる。指導要領の枠からはずれることを許さない。なんとも窮屈な検定である。

 私たちは社説で、「色々な教科書があった方がいい」と述べ、検定はできるだけ控えめにすべきだ、と主張してきた。執筆者が創意工夫をこらし、多彩な教科書をつくった方が、子どもたちにふさわしいものができると思うからだ。

 とりわけ、高校生は学ぶ内容も程度もさまざまだ。大学に進む生徒もいれば、すぐに社会に出る生徒もいる。一方で、かなりの判断力を持つ年齢でもある。教科書を批判的に読む力を備えている生徒も少なくない。

 何を教え、何を教えないか。指導要領と検定で教科書の内容に一律に枠をはめるやり方は、高校教育ではいよいよ現実にそぐわなくなってきた。

 高校では指導要領は生徒が学ぶ最低基準にして、ゆるやかな大綱とする。教科書の検定は廃止する。そろそろ、そんな方法に改める時期に来ている。高校の検定をやめた後、その様子を見ながら、小中学校で検定の廃止を考えてもいい。
 とんでもない教科書が出てきたらどうするのか。そう心配する人がいるかもしれない。

 高校の教科書は有料で、学校ごとに選ぶことが多い。それぞれの教科書について教師や保護者らが読み比べて目をこらし、生徒にふさわしい教科書を選べばいい。そうすれば、教科書の内容をもっと充実させることにもつながる。





 聞きましたか? 「つくる会」の皆さん。朝日新聞が、こんなことを言っていますよ。

 それならば、「つくる会」も高校の歴史教科書に参入しましょう。装甲車を「戦車」と誤記するような不正確な教科書は淘汰して、正確な歴史に基いた教科書を作ってやりましょうや! もう終息はしたようですけど、内紛なんかやってる場合じゃないですよ。朝日の今回の社説は言質になりますから、自由に執筆ができると思います。

 しかしまあ、毎度のことですが、いつもいつも自分らに都合のいい自由ばかり振りかざしますよね朝日は。

 一方で

うん、それはその通りだ


と言いながら、「つくる会」の教科書に対しては

何で!? いろんな教科書があっていいんじゃなかったのΣ(゚д゚lll)


と臆面もなく言う自己矛盾はどうしようもありません。一度「色々な教科書があっていい」「検定をなくすべきだ」と言った以上、朝日はどんな教科書が出てきても異論を挟まないと宣言したようなものなのに、普通に無視するんですものね。ジャーナリスト宣言が聞いて呆れますよ。結局、教科書の思想統制を自分たちがやりたいだけじゃないですか、と。

 昨年4月6日の社説で朝日が上の明言「つくる会 こんな教科書でいいのか」をぶち上げてから、数日にわたって産経との文通になりましたが、産経の言い分のほうがずっと筋が通ってました。産経は既存教科書の批判はしてましたけど、朝日のように教育現場から排除してしまえとまでは言ってませんでしたからね。「色々な教科書があっていい」という点では、朝日も産経も意見が一致しているんです。でも朝日の言う「色々な教科書」とは、所詮サヨクのサヨクによるサヨクのための教科書だけを指すんですよね。でなければ、「つくる会」の教科書だけをあんなに滅多打ちにできるはずがありませんもの。

 でも、もう朝日に勝手な二枚舌は使わせませんよ。八木秀次さんも何とか復帰したことだし、マジで高校用歴史教科書の作成にとりかかるべきです。この際だから、「つくる会」の教科書をサヨクとは別の視点で批判しているよしりんや西部邁氏も、親米ポチではない真の「保守教科書」を作ってみたらいいと思います。検定がなくなれば、新規参入もしやすいでしょうからね。

 朝日さん、もしそういう事態になっても、ゆめゆめ口を挟まないで下さいよ。私は、朝日さんが「検定をやめよう」と言い出したことを一生忘れませんから。

【9日追記】

 福岡靖国訴訟の違憲判断の掲載に検定意見がついたという件だが、私は削るよりも、これまでことごとく棄却されてきた他の靖国訴訟を全て併記させたほうがいいと思う。だって、違憲判断が出たものだけ掲載するってのは著しく公平性に欠けるでしょ。大阪高裁と福岡地裁の違憲判断を載せてあげる代わりに、憲法判断に踏み込まなかった判決も全て盛り込めば、いかに大阪高裁と福岡地裁がおかしいのかが生徒たちに伝わると思うから。
posted by atsu at 23:39| 東京 ☁| Comment(8) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月06日

教頭! 何をしてるんですか!!

小学校教頭が校長採用試験でカンニング、停職3か月に(読売)

 北海道教育委員会は5日、校長採用選考の論文試験で、自作の論文を手のひらサイズに縮小コピーして持ち込んだ道南地方の町立小学校の男性教頭(51)を停職3か月の懲戒処分にしたと発表した。

 教頭は「字が小さ過ぎて、読めなかった」と話しているが、「教育者として恥ずべき事で申し訳ない」として、一般教員への降格を申し出ており、道教委は認める方針。

 道教委によると、試験は9月10日、函館市内で実施された。学校経営などをテーマに2時間以内に1200字でまとめる内容で、教頭は600字程度の論文を握りしめていたところを、開始1時間後に試験官に見つかり、受験は無効になった。


 動機について教頭は、校長採用試験を受けるのは初めてで、「周囲の期待もあり、恥ずかしいものを書けないと思った」と話しているという。

 道教委の校長採用試験は昨年度、小中学校の教頭767人が受験し、216人が合格した。今年度は733人が受験していた。


 ハァ、情けな。いい歳こいてカンニングですかい。たかだか1200字程度の論文も見ながらじゃないと書けないなんて、校長の資格ないね。校長になったあと、原稿読みながら朝礼で話すつもりだったの??

 しかも、老眼が出始めているのか、見えてなかったみたいだし。中年管理職の悲哀がこれでもかと浮き出ているニュースだね。(つД`)・゚・。・゚゚・*:.。

 この先生は教頭から一般教員への降格を申し出ているみたいだけど、金輪際試験監督はできないだろうな。だって生徒のカンニングを見つけても、彼には咎められないもの。どっか別の学校に転任しても、こういう噂はついて回る可能性もある。話が広まれば、彼が監督する試験ではカンニング公認みたいになるかもしれない。生徒に注意したところで、

おめーも前やっただろーがよ!!

って言われたら返す言葉もないだろうな。お気〜の毒で〜すね〜。
posted by atsu at 20:51| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

桜を忌避するバカども

 都立大附属高校を改編して、来春開校予定の都立桜修館(おうしゅうかん)中等教育学校(仮称)。いわゆる中高一貫校だが、その名称について現在ちょっとした揉め事が起きているそうだ。何でも、桜という言葉が「国際社会で活躍する人材を育てる一貫校の教育方針に合わない」と、一部の元教師や卒業生が反発しているんだとか。

 「国際社会で活躍する人材を育てる一貫校の教育方針に合わない」というと分かりにくいが、要するに

桜には戦争のイメージがあるからふさわしくない

ってことである。もう、サヨクどもが蠢いているのが想像できるね。以前私は冗談半分で「国旗と国歌と国花」というエントリを書いたが、こういうことが起きてくると笑い事じゃ済ませられないな。

 前身である都立大附属高の校章は桜をあしらっており、また校歌の2番にも、本居宣長の和歌「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」から引用した「国の誇りの桜花」との歌詞があるという。しかしこの2番は「戦争のイメージがあるから」という理由でいつの頃からか歌われなくなってしまったらしい。これもサヨクの仕業に違いない。

 まったく、日の丸=戦争、君が代=戦争、桜=戦争、天皇=戦争と何でもかんでも戦争に結び付けて排除しようとするサヨクの脳内構造は何とかならないものだろうか。桜に特攻隊のイメージがあるのは事実だが、桜が戦争を始めたわけではない。桜は戦意高揚に利用されただけなのだから、むしろ自由で明るい学校を作ることでその桜の暗いイメージを払拭してやろうという前向きな気持ちを持つべきではないのか。嫌いなものを何でも退ければいいという考えは、実に幼稚かつ姑息だ。

 だいたい、桜が軍国主義・国家主義でダメだと言うのならば

桜美林大学桜中学校

はどうするのかと。桜中学校なんて金八っつぁんの学校だよ。金八っつぁんの学校は軍国主義・国家主義的だと思うかい??

 まあねぇ、桜のような美しいものを、一時的な戦争のイメージにかられて嫌ってしまうとは日本人として何とも不幸なことである。そんな人たちはきっと、春になると憂鬱になったり、桜前線の北上にグングツの音を連想したりしているんだろうね。そういやいつだったかどっかの投書欄で、「桜前線」とか「梅雨前線」の「前線」が戦争をイメージするから他の言葉に代えろと言ってた電波もいたっけなぁ。心の底から「こいつアホか」と思ったけど。

 いっぺんに咲いていっぺんに散る桜は物悲しくもあるが、それも含めて日本の美なのである。それに、桜は花を散らしたあと枯れるわけではない。夏に向け、若葉を出して生い茂ってゆくのである。そういうことも、桜を忌み嫌うひとたちには理解できないんだろうね。

 今日は、僭越ながら歌でシメようと思います。皆さんもご一緒にご唱和ください。

 
桜を タブー視ーすーるヤツは

 日本の 心をー 失ーくしてる

 日本の 心をー 取ーりー戻せー

取り戻せー♪


(元ネタが分からない方はコチラを)

 お粗末さまでした。

『桜修館は古すぎる』卒業生ら反発(東京新聞)

目黒地区中等教育学校(仮称)ホームページ

posted by atsu at 23:39| 東京 ☀| Comment(6) | TrackBack(4) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月25日

史観を決めるのは子供自身

 久しぶりに、扶桑社の歴史教科書について書く。今日の東京新聞投書欄に、かなり見識のある意見が載っていたので紹介したい。

川崎市麻生区の団体職員 O・Yさん(46歳 男性)の投書

教科書だけで思想固まらぬ

 いわゆる「つくる会の歴史教科書」が杉並区教委で採択されたことが盛んに報道されている。しかし、紙面を見る限り、これに抗議する人々の反応は、どうも過剰で一面的であるように思う

 そもそも一冊の教科書だけで歴史観や思想が固定化されてしまうほど、人間はやわな存在ではないはずだ。子どもたちの歴史への関心は、現場の教師の指導、広範な読書や芸術鑑賞、旅行などによっていくらでも開かれうるものである。

 自らの信条に反するものは、何としても排除しようとする行動は、正義は自分たちのみにあると信じるおごりに通じる。古来、正義の名のもとに多くの流血がくり返されたが、「戦前への回帰」を防ごうとするあまり、道がそちらに行ってしまっては何にもならない。

 子を持つ親としては、どんな教科書が自治体で採用されようと大した問題ではない。ただ、わが子が偏狭で独善的な人間にだけは育たぬよう、心がけるのみである。この事態が不毛の争いにならぬよう強く望んでいる。


 文面から察するに、この方は扶桑社の教科書について積極支持も積極批判もしていない人だろう。いわゆる、普通の人だ。その普通の人から見て、この教科書騒動がどのように映るのかと言ったら、大方はこの人と同じようなものではないだろうか。「何で、彼らはたかが教科書であそこまで騒いでいるのだろうか」。そう思うのが普通の感覚なのだと思う。

 サヨクはこの意見を聞いたら「そんな悠長なことを言っている場合じゃないのよ! 教科書に書いてあることを、そのまま信じてしまう子どもたちもいっぱいいるの! そうしたら、私たちの子どもたちが戦場に行かされることになるのよ!」と言うかもしれない。だけど、そう思うことこそ子供を馬鹿にしてるんだよな。子供はそんな簡単に洗脳されるほど愚かではないんだがねぇ。

 教科書だけがその人の思想や歴史観を決めないというのは、私のような人間がいることで証明できる。私は小中と東京書籍の歴史教科書で学んだが、残念ながら自虐史観や階級闘争史観は刷り込まれていない。それと同じで、扶桑社の歴史教科書で学んだからといって必ずしも全ての子供にその史観が刷り込まれるとは限らないのだ。歴史に興味を持つ子はその後もいろいろな書物に触れるだろうから、それぞれがそれぞれの歴史観を形成させていくはずである。学校における歴史の授業なんてのはそのきっかけにしか過ぎないので、できれば思想に左右されないで歴史的事実だけを淡々と教えればいいのである。

 重ねて主張しておくが、私は扶桑社の教科書を熱烈に支持しているわけでも、扶桑社以外の教科書を排除しようとしているわけでもない。扶桑社の教科書だけを狙い撃ちする連中が気に食わないので、結果的に扶桑社支持になっているだけだ。相変わらず杉並区の「親の会≒中核派」は区役所に押しかけたりして無駄な足掻きをしているようだが、いったいいつまで下らないことをやっているのだろうか。

いい加減目覚めなさい。 by阿久津真矢

という言葉を彼らに送ろう。

[追伸]

 今回紹介した投書に対する基地外な反論が掲載されたときは、またそれについてエントリ書きますね。恐らく東京新聞のことだから、今回の投書は「釣りのエサ」だと思うので。

posted by atsu at 21:46| 東京 ☔| Comment(3) | TrackBack(2) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月14日

しつこい広告でした

 7月22日の読売7月28日の朝日ときて、今日の毎日新聞にまた韓国人による扶桑社教科書批判の広告が載っていた。今回はそれに靖国参拝批判も加え、なんと全面広告だった。

 全面広告だけにスペースが有り余っているので、今回は1コママンガも2つ登場。1つは以前紹介したのと同じバージョンだが、2つ目が新作だった。それがコレ。

このマンガ描いたヤツはクソ


靖国参拝する首相を見る生徒たち。一斉に心の中で

やっぱり戦争って、カッコいいよなあ!

 

 ………。もうね、「アホか!」って叫ぶのもバカバカしくなった。大声出すのにもカロリー消費するからね、MOTTAINAIです。

 ま、そこまで日本の教育や靖国に茶々を入れるんだったらねぇ、こっちも韓国の教育について一言注文をつけていいですか?

安重根を英雄として子供に教えるのをやめてください。

 暗殺者というテロリストを英雄として子供に教えれば、いつ何時子供たちの中に

暗殺って、カッコいいよなぁ!
よし、今度日本の首相が韓国に来たら、僕が撃ち殺してやる!!


と考える者が現れるかも分かりません。このような教育は日韓友好の妨げになることでしょう。(もうなってるか?)。


 韓国人は日本人が東亜日報や朝鮮日報にこんな広告出したら「そんなワケないニダ!」と思うでしょ? それと同じことよ。だから、日本の内政にいちいち口を出すのはそろそろ止めろ。どうしても言いたければ、まずは自分のところの歴史教育を改めてから言うことだ。

 ところで3回も掲載されたこれらの広告だが、広告料は寄付にてまかなっているらしい。全面広告なんかかなりの金額になると思うのだが、ずいぶんお金が集まってるんだねぇ。恐らく、韓国に肩入れする浅はかな日本人も多くのお金を貢いでいるのだろう。まったく、情けないったらありゃしないさ。

関連エントリ

美しい広告でした(7月14日)

下らない広告でした(7月22日)

子供を蔑視しているサヨクと韓国(7月28日)
posted by atsu at 17:23| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月12日

無事に決まってよかったです

 とりあえず、杉並区にお疲れ様と言っておく。中核派や共産党の妨害工作に屈せず、しっかりと採択を決めたのは評価したい。

 今日は先週よりも、支持派の市民(彼らこそ本当の市民)がたくさん集まったらしい。私も仕事さえなければ阿佐ヶ谷へ駆けつけ、微力ながらもお手伝いしたかった。実に残念である。

 さっそく批判派は「採択は無効」なんて息巻いているが、もう無視するのが賢明だろう。一度決まったものは覆らないのだから、もう相手にすることはない。そもそも、ヤツラは市民なんかじゃないしね。しかし、彼らはこの声明の中で「右翼団体なども数百人の動員をかけて」と書いてあるが、ちゃんと裏取ったの? 本当の右翼団体だったら、あんなにお行儀がよくないと思うけどね。自分たちがサヨク団体だからと言って、支持派がみんな右翼団体だって決めつけちゃダメですよ。

 夕刊では朝日・毎日よりも東京新聞が大きく扱っていたが、意見を寄せていた武蔵野大学非常勤講師・河上亮一氏の意見に賛同する。

 
 つくる会が主導した教科書は、国の学習指導要領に沿った検定に合格しており、「排除」を求めて一方的に騒ぐのはおかしい。従来の教科書は内容にほとんど差異がなかったが、つくる会のような別の視点でつくられた教科書があれば、多面的に物事を考える材料として活用できる。例えば「南京事件」の犠牲者について、つくる会と他の出版社、中国などの教科書を比較し記述の違いを考察すればいい。それがリベラルな教育だ。生徒は手元の教科書を信じ込むほど愚かではない


 この人の主張はだいたい私と同じである。あの程度の内容の教科書で、はっきり言って騒ぎすぎなのだ。

 杉並区で大騒ぎになっている間に、私立中学校では2校が扶桑社の教科書を採択している。玉川学園中学校は歴史と公民の両方を採択、日大三中は公民のみを採択した。コチラはほとんど抗議などもなく、すんなりと決まったようである。さすがに批判派の目も届かなかったかな?

 いよいよ採択期間も大詰めで、これ以降は自治体での採択は難しいかもしれない。でも、東京特別区の1つである杉並区が採択に至ったというのは大きな一歩である。圧力に屈さず自治体が自由に教科書を選べる土壌こそ、健全な採択に他ならない。杉並区の教育委員の皆様、また、採択を見守った支持派の皆様、今日は本当に有難うございました!

『つくる会』の歴史教科書杉並区 中学校に採択(東京新聞)

教科書採択 玉川学園も「扶桑社」 都内私立中で初(産経)

扶桑社教科書を日大三中も採択 公民「経済の記述充実」(産経)
posted by atsu at 23:26| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(4) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月10日

mumur氏が中核派に突撃!

 私や、保守ブロガーが愛してやまない「mumurブログ」ですが、なんとmumur氏が阿佐ヶ谷駅前で「親の会」を装う中核派と激しいバトルを展開してきたようです。

中核派に特攻してきました(mumurブログ)

 いやー、いつもながらmumur氏はすごい行動力ですなぁ。中核派というテロリストもどき相手に一歩も引かないのがすごい。私はヘタレだから、ブログで議論できても実際にこういう状況になったらきっと足がガクガク震えちゃうもん。電凸ならまだしも、今回のような多勢に無勢の状態で冷静に議論できるのがすごいわ。しかも完全勝利だしね。

 コレ、もしも音声があったら神以上だったろう。中核派が人の話を聞かず、ちょっと議論をしようとするとすぐに「つくる会の人間か?」「革マルの人間か?」というレッテルを貼ってくるところがすごくウケる。これはやはり、彼らが何らかの組織に属していないと何もできないヤツラだってことをよく表しているね。サヨクにはmumur氏のように、一匹狼で戦うヤツはいないんだろうて。

 また、普段はすごくいい人の顔をしながら、論敵と見るとヤクザ顔負けの態度を示すところもさすがである。口では奇麗事ばっかり言っているが、一皮ひんむけば彼らの正体が決して善人ではないことが分かるだろう。

一般市民のみんな、中核派なんかに騙されんなよ!
posted by atsu at 21:29| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。