2005年08月05日

批判派たちの正体見たり!

 昨日、杉並区役所前では熱い闘いが繰り広げられたようである。結局採択は先送りにされたが、依然として扶桑社の教科書が優勢。結果的にどの教科書になっても私は文句を言わないが、これまで支持していた委員が妨害に屈したりはしないことを願う。

 それにしても、昨日の2ちゃんねらーの働きは見事だった。批判派の行動を撮影していた39歳の医師が暴行を受けたことで、批判派=過激派だということが明らかになったのだから。グッジョブと言うしかない。

 「何を勝手に撮ってるんだ!」というあり得ない言い掛かりをつけたうえ暴行を働き、現行犯逮捕されたのは中核派活動家の北島邦彦容疑者(45)。「都政を革新する会」とやらの事務局長も務める人物だそうだが、まあずいぶんな大物が釣れたものである。早くも「つくる会と警察の陰謀による不当逮捕だ!」と喚いているようだが、いやいや、あんたが暴行したのは単なる2ちゃんねらーですから。あなた方と違って、みんな有志での参加ですよ。あの場には恐らくつくる会の関係者はいなかったと思うし。

 朝日や毎日も、この男のことをちゃんと「中核派」だと書いていたからいちおう評価しよう。だが、産経の書き方はこれを遥かに上回る素晴らしいものだった。

 
区役所には、過激派の中核派が支援する「『つくる会』の教科書採択に反対する杉並親の会」や、共産党と友好関係にある「杉並の教育を考えるみんなの会」のメンバーら反対派約600人(警視庁調べ)が詰め掛け、審議に圧力をかけた。


 「親の会」とか何とか名乗って、市民団体を装っているヤツラの正体をしっかり暴いてくれてるって感じだね。この記事を読めば大半のマトモな人は、この教科書問題が一部の団体により、特定の政治目的のもとで行われているものだということに気付くだろう。だって、過激派のぶんざいで「扶桑社の教科書は危ない教科書です!」とか言ってるんだもの。危ないのはどっちだってんだよ。

 批判派が支持派の意見にまったく耳を貸さないのも、過激派が絡んでいるのならすごく納得できる。これまで左翼過激派が起こしてきた数多の内ゲバ事件を見れば瞭然だもんねぇ。彼らは異論を唱える者を殺せるくらいの人だから、言論の封殺なんてたやすいものさ。

 さて、歴史に対して特にこだわりを持たない一般の皆さんは、彼らの一見耳障りのよい言葉に騙されて、知らず知らずのうちに過激派に協力していたということのないように気をつけましょう。

 ところで話は変わるが、2日から産経新聞にて戦後の日本がいかに自らの歴史を自らの手で貶めてきたかということを検証する「歴史の自縛」という連載記事が始まっている。「村山談話の成り立ち」「河野談話の成り立ち」「GHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムと検閲」ときて、4回目の今日は「今も教育現場に残るウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムと教育基本法」だった。そこには以下のような、とんでもない偏向教育の内容が綴られていた。

ある千代田区立中学校

 さきの大戦について日本に謝罪と賠償を求めた韓国の大統領、盧武鉉の演説や、原爆、戦争責任を取り上げ、感想を書かせた。
 生徒たちは、教員の指導と助言を受けて書いた感想文に
「日本政府の人は頭、悪いんじゃないかと思いました。本当に賢い人は『真実を、きちんと徹底的に教える』と私は考えるからです」
盧武鉉大統領、日本の過去の事実を教えてくださって、ありがとうございました
「国のために死ぬのは右翼の人だけでいい」
「(天皇は)最後まで自分のことしか考えられず、心の弱さゆえか『武力』のみでしか人々を動かすことができなかった」
―などと記している。

ある東京都瑞穂町立中学校

 社会科の授業中に「中国の戦争は進歩的で、正義の戦争である」と主張する『毛沢東選集』の一部や、元朝日新聞記者、本多勝一の著書『中国の旅』を引用、日本人が中国労働者の心臓と肝臓を煮て食べたという信憑性が疑われるエピソードなどを抜粋したプリントが配布された。
 このプリントを配った教員は別のテスト形式のプリントで、日ソ中立条約について「北方の安全を確保し、南方への侵略を進める目的で結んだ」と記述。日本語ではなく中国語の口語とされる「三光作戦」(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす作戦)を日本軍が華北地方の村々で行ったとした。

東京都墨田区の中学一年社会の学習到達度調査テスト

 南京事件について「武器を捨てた兵士や女性・こどもを含む中国人が日本軍によって多数殺害されました」などと説明。
 そのうえで「中国の人々は日本の行動についてどう思っていたと考えますか。あなたが思うことを書きましょう」と出題し、生徒側から「ざんこくすぎる」「人殺し」「すごくひどくて、ひきょうな国だと思っていたと思う」―などの回答を引き出している。


 いやはや何とも、この記事内容はウソだと信じたくなるくらい、目を覆いたくなる内容だ。こんなサヨク偏向教師は、ほんの一握りなのだと思い込みたい。特に中国の戦争は正しいとする毛沢東の主張を子供に植え付けるのは特に酷いね。ダブルスタンダードそのものだもの。

 このような教育を普段から子供に施している教師は、恐らく扶桑社の教科書を批判しているだろうね。でも、その前に自分が行っている教育がふさわしいものなのかどうかもう一度自問してほしいものだ。果たして偏っているのはどちらなのかを。まあ、彼らはこれだけ偏っていても自分が標準だと思い込んでいるから、まず無理だろうけどね。

扶桑社優勢で継続審議 杉並・教科書採択(産経)
posted by atsu at 23:53| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(4) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月04日

ごくごくフツーの教科書

 扶桑社の「新しい歴史教科書」をたった今読み終えた。その率直な感想は

良くも悪くも普通の教科書

だということである。アマゾンのレビューで言えば、★★★☆☆(星3つ)というところだろうか。私が中学のとき学んでいた、東京書籍の歴史教科書とも大差あるとは思えなかった。

 読めば読むほど、批判派の言う「あぶない教科書」という主張が分からなくなった。そんなに危ないと言うからには

「戦争になったときは進んで戦い、お国のために死ぬのが美徳です」

とか

「日本の歴史は常に輝かしいのです。それに対して中韓などの歴史は暗黒です」

とかはっきり書いてあるのかと思ったけど、そんなことどこにも書いてないもんね(笑)。

 「戦争を美化している」という主張も、どこを指して言っているのかさっぱり分からなくなった。てっきりこの教科書には、戦争における日本の暗部はまったく載っていないのかと思ったが、以下のようにけっこうしっかり書かれているではないか。

p196「満州事変から満州国の建設へ」

 1931(昭和6)年9月、関東軍は、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で、満鉄の線路を爆破し、これを中国側のしわざだとして、満鉄沿線都市を占領した。

p200「目的不明の泥沼戦争」

 中国大陸での戦争は長期化し、いつ果てるとも知れなかった。和平工作の動きもあったが、戦争継続を求める軍部の強硬な方針が絶えず優位をしめた。1940(昭和15)年、民政党の斎藤隆夫代議士は、帝国議会で「この戦争の目的は何か」と質問したが、政府は明確に答えることができなかった。

p206「アジア諸国と日本」

 この戦争は、戦場となったアジア諸地域の人々に大きな損害と苦しみを与えた。とくに中国の兵士や民衆には、日本軍の侵攻により多数の犠牲者が出た。

p208「国民の動員」

 朝鮮半島では、日中戦争開始後、日本式の姓名を名乗らせる創氏改名などが行われ、朝鮮人を日本人化する政策が強められていた。戦争末期には、徴兵や徴用が、朝鮮や台湾にも適用され、現地の人々にさまざまな犠牲や苦しみをしいることになった。また多数の朝鮮人や中国人が、日本の鉱山などに連れてこられ、きびしい条件のもとで働かされた

p214 読み物コラム「20世紀の戦争と全体主義の犠牲者」

 戦時国際法では、戦闘員以外の民間人を殺傷したり、捕虜となった敵国の兵士を虐待することは、戦争犯罪として禁止された。しかし、二つの世界大戦を通じて、このルールははなはだしく破られた。実際には、戦争で非武装の人々に対する殺害や虐待をいっさいおかさなかった国はなかった。日本軍も、戦争中に侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や民間人に対して、不当な殺害や虐待を行った。


 この辺の記述もしっかりとなされているのに、どこが「戦争賛美」なのかさっぱり分からない。描写があっさりとしすぎているから、もっとどのように民間人を殺したのかなどをリアルに書けと言うのだろうか。それともやはり「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」の記述がないからだろうか。

 いずれにしても、私がこの教科書を読んで確信したことは、批判派の掲げる主張はまったく的外れだということである。大多数の批判派が、読みもしないで雰囲気だけで批判していることもよく分かった。無関心な層に「扶桑社の教科書は酷い」とイメージ操作し、安易な批判を煽っているだけなのである。採択の妨害に必死になっている人ほど、教科書をきちんと読んでいないケースが多いのではないだろうか。市販されてもなお読んでいない者は、いっさい批判する資格などないと断言しておく

 批判派のみなさん、どうか私に、この教科書のどこが危ないのか詳しくご教授願えないだろうか。私はどうやら頭がおかしいようなので、この教科書の酷さが分からない。この程度の内容で、日本が再び戦争への道を突き進むことまで心配できるその想像力豊かな頭の中身を、どうか私に見せていただきたいものだ。
posted by atsu at 01:17| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月28日

子供を蔑視しているサヨクと韓国

 扶桑社の歴史教科書が、都立一貫校で使われることが決まった。実に喜ばしいことである。例の如くサヨクメディアや朝鮮メディアが騒いでいるが、決まったものは決まったもの。ギャアギャア騒がないでね♪

 しかし、扶桑社の教科書を毛嫌いする人たちの理屈って面白いよね。来春から新しく一貫校に統合される高校のOBたちは

「この教科書は後輩が学ぶのにふさわしくない」

 あなたたちが決めないでね。一貫校に入学してくる生徒たちは、ちゃんと扶桑社の歴史教科書を使うことを分かったうえで入ってくるの。扶桑社の教科書が嫌だったら、白鴎高付属中だってあんなに入学生が来るわけないでしょ? 扶桑社の教科書で学びたくて入ってくる生徒だっているかもしれないんだから、そんな子たちの学ぶ権利を奪っちゃダメですよ

「都の教育委員には特定のイデオロギーを持つ人が多い」

 ( ´,_ゝ`)プッ 自分のことを棚に上げるとはまさにこのこと。特定のイデオロギーに染まっているのは他でもないあなたたちでしょーが。特定のイデオロギーを持っているからこそ、扶桑社の教科書の歴史観を受け入れられないんでしょ? 普通の人はあなたがたみたいに特定の教科書を排除しようとしたりしないよ。

「日の丸や君が代の強制と今回の教科書採択は同種の問題」

 ホラ、あんたがたこそ特定のイデオロギーを持ち合わせてるじゃん! 日の丸や君が代を頑なに拒む考えってのは、特定のイデオロギーじゃないんですか? 外国に行って訊いてみなさい。国旗や国歌を忌み嫌うことが、その国の国民として当たり前の感情なのかどうかを。私は、世界的に見ても偏りまくったイデオロギーの産物だと思うぞ。ま、アホらしいから彼らの言い分なんぞこれくらいにしておこうか。

 ところで、22日のエントリ「下らない広告でした」で読売新聞に載った扶桑社教科書の批判広告を紹介したが、昨日の朝日新聞朝刊にも別バージョンの広告が載っていた。

 これまた酷い広告で、文言はこないだと同じ。だけど決定的に違うのは、広告の真ん中に挿入されていたこの一コマ漫画である。

このマンガ書いたヤツはどアホ


「戦争って、カッコいいよなぁ!」
「ちょっと、またやってみたいな…」


って……、アホか!!!!

 オマエラさ、「子どものため、子どものため」って言うけど、心の中じゃ完全に日本の子供たちを馬鹿にしてるだろ? オマエラの国の子供みたいに

かかってこいやあ!


なんてことを言う子供は日本にゃいないんだよ。前も言ったけど、日本の子供の心配をしてくれる前にまず隗より始めてくれ。

 日本の子供たちよ、怒れ! 韓国人と日本のサヨクどもは、君たちのことを「簡単に洗脳される馬鹿」だと思っているのだ。なめるのもいい加減にしてほしいよなぁ。

 何度も言うが、扶桑社の教科書を読んで戦争に憧れるような馬鹿な子供はいない。そんな曲解をするのは、サヨク思想にどっぷり浸かった連中だけである。いい加減、ちゃんと読んで批判しろ。いい加減、その偏った歴史観から目を覚ませ。いい加減、子供たちに多様な歴史観に触れる権利を認めろ。

 ホント、いい加減にしてくれ

扶桑社教科書、都立一貫校で採択 都教委が決定(産経)

東京都教育委員会、扶桑社の歪曲教科書採択に合意(朝鮮日報)
↑↑↑歪曲って決め付けるな。歪曲は韓国の歴史教科書じゃ↑↑↑

「お前の歴史観こそ右に偏ってるだろ!」とお思いになった方はコチラのエントリをお読みください。私の歴史観が書いてあります。
posted by atsu at 22:35| 東京 ☀| Comment(7) | TrackBack(3) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月27日

副教材って手もアリだな

「自腹切ってでも扶桑社の教科書を使いたい」

と主張して、孤軍奮闘していた茨城県大洗町の教育委員会だが、残念なことに結局独自の採択を断念したそうだ。ま、教科書無償措置法に触れる可能性があるそうなので、「違法になってまでも採択はしないという結論に達した」という選択は賢明かもしれない。

 しかし当然ながら「扶桑社の教科書が優れている」という認識は変わっていないそうで、同町では今後扶桑社の教科書を副教材として使うことを検討するという。これは、実にナイスな変化球的措置だ。

 教科書として採択することには反対するヤツラも、副教材として選択することまでは反対できないだろう。ていうか、反対する権利がない。そもそも巷に溢れている歴史の副教材は教科書以上に自虐史観が強いものも多いらしいので、検定を通った真っ当な教科書を副教材にすることには何の問題もないだろうと思う。

 また、扶桑社の教科書に反対する人がよく使う理屈に「他の歴史観が学べなくなる」というものがある。この主張を過去に一度でも行った人間は、絶対に副教材として使うことに反対できない。何せ、歴史観が違う2つの教科書を併用するのだから、違う歴史観を学ぶのにこんなにふさわしいこともない。

 扶桑社の教科書は、他社の教科書の歴史観を踏まえた上で学習すると一層の効果を生み出すと思う。私は以前「『複眼的歴史観』を持とう」というエントリで主張したように、子供のうちは多くの歴史観に触れたほうがよいと思っている。だから、2つの教科書を同時に学べるなんてことは理想の教育ではないかと感じるのだ。これが実現すれば、大洗町の子供たちは左右の歴史観を斟酌することができる柔軟な頭を身に付けられることだろう。

 ぜひ、大洗町は副教材での採用を決断してほしい。また、採択に至らなかった自治体も、そのような利用法を検討してもいいのではないだろうか。反対派はそれでも反対してくるだろうが、なに、そんなものは片っ端から無視すればいいのである。「子供に多様な歴史観を持たせることに何か問題があるのか」と突っぱねれば、相手はグウの音も出なくなるだろうから。必ずしも教科書というカタチを取らなくても、一人でも多くの子供に扶桑社の教科書を読ませることこそ重要なのである。もちろん教科書として採択されることがベストではあるけれど。

教科書問題:「つくる会」採択を断念 共同採択を尊重−−茨城・大洗町教委(毎日)
posted by atsu at 23:13| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月22日

下らない広告でした

 7月14日のエントリ「美しい広告でした」で紹介した、扶桑社の歴史教科書を継続採択する私立中学校の意見広告に続いて、今日の読売新聞に扶桑社の歴史教科書に反対する韓国の市民団体の意見広告が載っていた。

 先日の広告も読売のみの掲載だったが、今回も読売のみの掲載。それぞれ産経や朝日に掲載するより、あえて読売に載せるのは中立性が高くて正解かもしれないね。お互い示し合わせてやったのかどうかは分からないが、どちらの広告もこの点は評価しておく。では、本日の広告を以下に全文引用。

ともに東アジアの平和の担い手へ

扶桑社版歴史教科書の採択を憂う韓国市民の思い

平和を願う日本の友へ


この文は皆さんと真の友人になりたいと願う韓国市民からの希望と友情の手紙です。

 韓国と日本は数千年にわたって近しい隣人として過ごしてきました。両国は二〇世紀初めに支配と被支配の不幸な歴史も経験しましたが、いま私たちの前には新しい日韓関係の可能性が芽生えています。一日に一万人以上が両国を行き来するほど、私たちの距離は狭まりました。日本の歌を口ずさむ韓国の若者や、「韓流」ブームの主役となった日本の女性たち誰もが、お互いを身近な存在として感じるようになりました。

 ですが、韓国の私たちは時に悲しい思いにかられることもあります。韓国の人々が忘れたくても忘れられない歴史の痛みに、再び傷を与える出来事のためです。歴史を歪める日本の政治家の発言に、つらい体験をした私たちの両親や祖父母は心を痛めます。過去の侵略戦争や植民地支配を正当化する歴史教科書の登場は、子どもたちに不幸な歴史を引き継がせてしまうのではないかという恐れを抱かせます。
 私たちは、過去にとらわれるためではなく、和解と友情、平和な未来をひらくために、歴史を知ることが大切だと信じています。「知らない」ことが、時に人の心を深く傷つけてしまう場合もあるからです。

 日本全国で教科書採択が行われている今、「新しい歴史教科書をつくる会」による扶桑社の歴史教科書は、韓国の人々の心に暗い影を落としています。扶桑社の歴史教科書は、アジア諸国を共存のパートナーと見なさず、過去の侵略を正当化したり、戦争を賛美しているためです。韓国の私たちは、扶桑社の歴史教科書によって、日本の民主主義が後退し、韓日の友情と和解、アジアの平和が損なわれることを憂いています。
 このような教科書が、日本の教育現場で使われることになってしまったら… 韓国の子どもたちのパートナーである日本の子どもたちがどんな大人へと育つのか、日本が危ない国としてアジアを再び脅かしたりはしないか、韓国と日本が真の和解を果たした友として、ともに平和を創り上げることができるだろうか…。そういった心配から、日本の行方を不安の中で見守っているのです。

 平和を愛する日本の皆さん!
 私たちは四年前の教科書採択当時、皆さんが「扶桑社のあぶない教科書NO!」を各地で叫び、戦争ではなく平和の道を選択されたことを鮮明に覚えています。平和を願う市民の小さな行動が日本全域に広がり、世の中を動かす力へと変わっていく様子を観ることができました。
 二〇〇五年のこの夏、皆さんはどのような選択をなさいますか。皆さんの大切な子どもたちにどんな教科書を手渡しますか。日本を見守る韓国とアジアの友人たちに、皆さんはどのような行動で応えてくださいますか。

 私たちは、日本が過去の被害国との歴史の葛藤を乗り越え、アジア諸国からの信頼の中で、ともに平和を創る友の国となってくれることを心から願っています。どうか歴史を歪めない教科書と平和を目指す教育を選ぶことで、その最初のボタンをかけてください。
 不幸な過去をくり返さないために、子どもたちに平和な未来を与えるために!

二〇〇五年七月二二日
韓国の友より、平和への希望を込めて


 もっと全体的にファビョってる文章を書いてくるかと思っていたが、予想よりもおとなしめだったね。言っていることは相変わらずで、まさに扶桑社の教科書を読んでもいないとしか受け取れないけれど。

 しっかし、日本の子供たちの将来のことを真剣に心配してくれてずいぶんありがたいことね。でもさ、本当にアジアの平和と日韓の友好を願うって言うのなら、日本の子供たちのことを心配する前に、アンタラの国の子供たちが

こんな絵こんな絵

を描かないようにするのが先決では? 少なくとも日本の子供たちは韓国を中傷するような絵は描かないし、扶桑社の教科書で学んだって絶対こうはならないと思うよ。

 ま、日本の教科書に口を出すのはそれからだ。言っとくが私は、こんな絵を子供たちに描かせるオマエラなど友人だとは思ってないからな。この絵を見てると、日本に攻め込んできそうなのは韓国人のほうだもんな。
posted by atsu at 21:34| 東京 🌁| Comment(6) | TrackBack(1) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見よ! これがサヨクの言う「言論の自由」だ!

 うちのブログではこれまで取り上げてこなかった、夕張市議のくまがい桂子さんのブログ。サヨクの常套手段であるコメント封鎖をやらかしたから、これはぜってーいずれトラックバックも封鎖するなと思っていたら、やっぱりその通りの行動をやらかしおった。まったく、サヨクの思考ってどうしてこうも単純なのかね。

 頭に来るのは、真っ当な批判もあったのにそれも全部「誹謗・中傷」とひっくるめて削除してしまった点である。これではっきりした。いくら論理的に反論したところで、彼らはそれを全て「攻撃」と受け取るのである。そして、全てを消却する。これはまさに、異論を唱える者を次々と粛清する恐怖政治そのものだ。

 彼らはしきりに「言論の自由」という言葉を使うが、それはあくまで自分たちにとっての「自由」だけなのである。自分たちには言いたいことを言わせろと叫ぶが、反論は一切許さない。反論する者は言論の自由を侵す者であるかのようにのたまうのである。彼らの主張がいかにでたらめかがよく分かるだろう。

 くまがい桂子さんのような人がもしも政権を取ったら、それはそれは恐ろしい世の中になるに違いない。手始めに、産経新聞は廃刊。扶桑社の歴史教科書と、その賛同者の著書は発禁になり、全国の図書館で焚書されることだろう。インターネットは許可制になり、検閲を通らないと記事を更新できないようなシステムも構築されるかもしれない。そして、サヨクにとっての言論の自由だけが認められる、サヨクにとっての理想の国が完成するのだ。自衛隊の基地も廃止され、全ての敷地がお花畑にされちゃったりしてね(笑)。

 ホントね、この際だから声を大にしてサヨクどもに言うよ。

反論を受け入れる度量もないのなら、
ブログなんてとっととやめちまえ!


ったく、何が「新たな双方向型のサイト」だってんだ。ブログの機能も使いこなせない奴に、そんなもの作る資格ナシ!
posted by atsu at 00:01| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月14日

美しい広告でした

 今日の読売新聞に、こんな意見広告が載っていました。

 いま、どのくらいの日本人が
「日本が好き!」と言えるでしょうか


「日本が好き!」
 そう、大きな声で言える子どもを育てたいと私たちは願っています。日本の愛情をもつことは排他的になることではありません。「日本が好き」と、自分が言えるからこそ、他の人の祖国を愛する心も尊重できるのです。

 歴史を学ぶことの目的とはなんでしょうか。文部科学省の「中学校学習指導要領」に書いてあります。
「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」と。

だから、私たちは
子どもたちのために
『新しい歴史教科書』
を採択しました。


日本の明日を担う子どもたちに
誇りと愛情にあふれた教科書を


 日本の歴史への理解を深めること。日本人としての自覚を持つこと。日本が好きと言えるようになること。それは国際社会のなかで主体的に生き、平和を愛することにもつながります。

 学習指導要領に沿った、「愛情」と「自覚」をはぐくむ教科書。子どもたちが目を輝かせ、先人の活躍に共感と尊敬の念を抱けるような教科書。私たちはこんな教科書を待っていたのです。

 日本の明日を担うのは子どもたちです。私たちは未来を託す子どもたちにふさわしい、日本人としての誇りと日本への愛情にあふれた『新しい歴史教科書』を、四年前に引き続き採択します。


私たちは『新しい歴史教科書』を推薦します。

「子どもたちの心に日本の歴史が誇らしいものとして刻まれていくだろう」
ジャーナリスト 櫻井よしこ


「日本の子どもたちに日本の歴史という美しい虹を見せようという貴重な努力である」
上智大学名誉教授 渡部昇一


「客観的。これがこの教科書の記述の最大の特質である」
学習院大学名誉教授 篠沢秀夫



岡山理科大学付属中学校
〒700−0005 岡山市理大町1番1号

皇學館中学校
〒516−8588 三重県伊勢市楠部町138

甲子園学院中学校・高等学校
〒663−8107 兵庫県西宮市瓦林町4番25号

國學院大學栃木中学校
〒328−8588 栃木県栃木市平井町608番地

津田学園中学校
〒511−0904 三重県桑名市野田5丁目3−12

麗澤中学・高等学校
〒277−8686 千葉県柏市光ヶ丘2丁目1番1号

麗澤瑞浪中学・高等学校
〒509−6102 岐阜県瑞浪市稲津町萩原1661


 実に美しい日本語で書かれた、とても意義のある意見広告だと思う。折りしも大田原市が採択を決めたこともあり、タイミングとしても絶妙だ。また、産経には載せずに読売に載せたという点もナイスである。産経に載せると内輪で絶賛し合っているようにとられてしまう可能性があるが、読売ならばその印象も薄い。この広告が、扶桑社の教科書の採択を検討している自治体や私立学校にとって後押しになることを望む。また、広告を掲載した7つの私立学校には敬意を表したい。

 扶桑社の教科書を批判する勢力も、近々新聞に意見広告を掲載するという。しかし、今回のこの広告の後に出すとなると、どんな書き方にしても見劣りする代物になるかもしれない。どんなモノが飛び出すか楽しみである。

 今後も様々な妨害があるだろうが、自治体には自分たちで教科書を選ぶ自由がある。自治体が決めたことに対して、部外者があれこれ言わないことだ。私は扶桑社の教科書を支持するが、だからと言って扶桑社以外の教科書を採択した自治体に対して「扶桑社にしろ!」などとは絶対に言わない。だから、批判派もいい加減に見苦しい活動は辞めようではないか。自分らの考えこそ正しく、自分らこそが子供の味方だというおこがましい考えは捨てることをオススメする。
posted by atsu at 22:00| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月13日

大田原市は偉い! その2

 とりあえず、大田原市の扶桑社教科書採択が無事終了したようで、めでたしめでたし。大田原市には「採択をやめないと、市内の子供を次々に殺す」なんていうアブナイ脅迫電話までかかったようだが、激励のメールも相当舞い込んだそうである。脅迫電話をかけるようなバカはしっかり見つけ出して逮捕してもらうとして、とにかく無事に決まってよかった。

 産経新聞によると、栃木県の先生たちは全日教連の組織率が98%以上を占めているそうだ。日教組や全教が幅をきかせている多数の都道府県と違って、栃木県はマトモだね。きっと、国旗・国歌に反対するような不毛な議論も栃木ではあまりないのだろう。さすが、平山あやを輩出した県だけのことはある(え? 関係ない??)。

 ところで、今回の大田原市採択決定に対する朝日のリアクションがいつになく地味だ。てっきり、今日の朝刊で大々的に採択阻止のキャンペーンを開始するかと思っていたら、なんと朝刊には記事すらナシ。夕刊でやっと、「採択が決まったけど、抗議もありました」という程度の記事が載ったのだが、

ツマラナイ、つまらな過ぎるよアサピー!
もっと強烈な電波を出してくれないと、こっちは遊べないじゃないかアサピー!!

 明日の朝刊は期待しとるよ。できれば社説ですんごい毒電波を撒き散らしてくれや。頼むから、私をがっかりさせないでくれ。

中学歴史・公民 扶桑社教科書を採択 栃木・大田原市、市区町村立で初(産経)

扶桑社の歴史・公民教科書 数都県で採択の動き(産経)

扶桑社教科書 大田原市で選定(産経)

「つくる会」教科書、栃木県大田原市が採択 市町村で初(朝日)

つくる会教科書を採択 栃木・大田原市 出席委員、全会一致(東京)
posted by atsu at 22:51| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(4) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月12日

大田原市は偉い!

 来年度から使われる教科書の選定が各地で行われているが、栃木県大田原市の教科書採択協議会が、全国で初めて扶桑社の「新しい歴史教科書」を選定すると決定したようである。

 大田原市の採択協議会は、教育長、教育委員長、PTA会長で構成されており、各教科書の調査員は現場の教師が務めている。それらが検討して導き出した結論が「扶桑社の教科書は日本文化に対する誇りと愛情をはぐくむよう配慮されている」というもの。大田原市という街は、教育委員から保護者、そして教師に至るまで、実によい歴史観をお持ちのようだ。

 サヨク連中は扶桑社の教科書を「軍国主義美化」とか「戦争礼賛」などと非難しているが、どちらも当たらないと思う。まだ現物を手にできていないが、三浦朱門氏編著の『全「歴史教科書」を徹底検証する』を読んだ限りでは、もっともポイントをつかんだ日本の歴史を教えてくれる教科書であると感じる。サヨクはこの教科書に南京大虐殺や従軍慰安婦などといった歴史的事実とは証明されていないものの記述がないことを問題視しているのだから、まったくもってオハナシにならない。今までの教科書こそが歴史を歪曲し、自国を卑下する日本人を量産してきたことをそろそろ自覚すべきだ。

 大田原市の教科書採択は、13日の委員会をもって正式に決まるそうだ。今後、決定を覆そうとする中韓やサヨク団体の抗議活動などが予想されるが、大田原市にはそんな圧力をことごとくはねのけてほしい。早くも今日は8人の反対派が協議会へと押しかけてきたそうだ。今は8人でも、これからどんどん激しさを増すと思われるので、健闘を祈る。

「つくる会」教科書選定へ、市町村で初…栃木・大田原(読売)

栃木・大田原市の採択協議会、つくる会教科書を選定(読売)

栃木県大田原市のHP

[追記]

 さっそく大田原市への嫌がらせ工作は開始されているようだ。しかし、旗振り役のこの団体、「つくる会」の教科書の批判のみを目的としているのに、よくぞ

市民の教科書研究所

なんていう名称を付けているものだ。今からでも遅くないから

プロ市民の扶桑社教科書中傷所

に改名したほうがいいと思うわ。
posted by atsu at 21:38| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(5) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月16日

「複眼的歴史観」を持とう

 昨日(15日)の朝日新聞・三者三論のコーナーは「教科書検定を考える」がテーマだった。朝日のことだから、また「つくる会」の教科書への集中砲火だろうと思ったが、読んでみたら違った。コーナー名の通り三人の識者がテーマに添った意見を寄せる形の記事なのだが、そのお三方の中で東大教授の苅谷剛彦氏の意見にとても共感できた。

 苅谷氏の主張のタイトルは「複眼的歴史観こそ大切」というものである。特定の歴史観を肯定したり否定したりはせず、多彩な歴史観があってしかるべきというスタンスでまとめられていた。

 苅谷氏は学校で歴史を教える目的として

「過去に起きたことがらについての知識を与えるだけではなく、なぜ起きたかを考えることで、歴史から学んだ教訓をいまに生かすことにある」

と述べている。さらに

「その際、どういう視点に立つかによって、なぜ起きたかの説明も違ってくる。唯一絶対の正しい歴史観があるわけではないということを学ぶこと自体が重要」

と続けている。

 全面的に賛成だ。何が「正しい歴史」なのかは、タイムマシンでも発明されない限り本当のところは分かりっこない。それは非現実的だから、歴史学者たちは多くの史料や文献を研究し、歴史を少しずつ紐解いてゆくのだ。私たちは、可能ならばできるだけ多くの歴史観に触れ、できるだけ客観的に歴史を学ぶのが理想である。そうすることで、歴史を多角的に考えられる柔軟さも身に付くだろう。

 そのような「複眼的歴史観」を手っ取り早く身に付ける方法として、苅谷氏は「つくる会」の教科書と他社の教科書を授業で併用することを提案している。

 実際には難しいことかもしれないが、この方法は的確だと思う。生徒は混乱するかもしれないが、中学生くらいなら何とか付いてきてほしい。全部がきつければ「つくる会」と他社で記述が異なっているところだけピックアップしてもいい。あることがらについて「『つくる会』の教科書では○○と書かれていますが、他社の教科書では××と書かれています。このことがらの真相については今も議論がなされています」と紹介するだけでも効果はある。テストの答えはどうなるんだという問題もあるが、そもそもどれが史実か諸説あることがらを出題するほうが間違っているから、さほどの支障はないと考える。

 苅谷氏も指摘しているが、中国や韓国で行われている反日行動は、すべて国が定めた「正しい歴史」とやらの産物である。中韓では自国に都合のよい歴史しか教えないし、国定教科書に載っていない歴史はすべて排除・抹殺されている。中国の教科書など、元寇や日露戦争も載っていないのだ。そのくせ、他国の教科書には平気でイチャモンを付けるのである。日本のみならず、ベトナムに対しても「1979年の中越戦争が、中国の『侵略』だと書いている記述を消せ」と要求したりしたのだ。中韓ほど、自国の歴史を棚上げし他国の歴史を責める国もない。

 全国民が唯一無二の歴史観を持つということは、言うまでもないがたいへん危険なことなのである。日本は決してそうなってはならない。私自身、左派の人が持つ自虐的な歴史観は気に食わないが、それでも歴史について自由に論争することができることは素晴らしいと思う。中韓では、国と違う歴史観を持つ人間は徹底的に叩きのめされる(呉善花氏しかり韓昇助氏しかり)のだから。日本ではいくら反日的な言動をしても、「売国奴」となじられることはあっても生きていけなくなることはない。つくづく、中韓に生まれなくてよかったと思う。

 日本人はこれからも、凝り固まった歴史観を持たずにいってほしいと思う。できれば、それを中韓の人にも理解してもらいたいのだが、国が作り上げた一つの歴史観を「絶対視」している彼らには無理かな…。中韓の人も早く「自由にものを考えること」を手に入れることを願いたい。

posted by atsu at 21:07| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月07日

歴史教科書―中韓の皆さんへ

 文部科学省が「つくる会」の歴史・公民教科書を検定で合格させました。

 それで中国・韓国は大騒ぎですね。韓国政府は「遺憾の意」を表明し、中国政府は修正要求を出すかもしれません。「領土」と「歴史」が絡み合って、反日の熱が高まっているようです。

 サッカーW杯を共催し、また3年後の北京五輪に向けてさらに友好・交流を図らねばならない日韓・日中関係のことを思えば、何と不幸なことでしょうか。日本人もできるだけ騒ぎを大きくしないよう気をつけねばなりませんが、親愛なる皆さんにもぜひ冷静に考えていただきたく、ペンを取りました。

 皆さんは「つくる会」の教科書を「過去の美化」と呼び、歴史歪曲であることに議論の余地はないと言います。多くの国民を強制連行され、2000万人もの国民を日本に殺害された歴史を重く見れば、皆さんの気持ちは分からぬではありません。

 でも誤解しないで下さい。「つくる会」の教科書は特別な存在で、他社の教科書はほとんど昔と変わっていないのです。

 確かに、私たちは過去にあなた方の国に対して許されざる悪行の限りを尽くしました。一部にそれを忘れてまたもあなた方を貶めようとする勢力がいるのは事実ですが、だからと言って皆さんと私たち日本人が戦争をすることなど想像できるでしょうか。自由と繁栄をともにする、すばらしい隣国同士になっているのですから。

 ならば、ここは現実的にいくしかありません。「つくる会」の教科書は無視して、正しい歴史を記述している他社の教科書を評価して下さい。国定教科書を用いぬ日本の教育界は、教科書があっても採択されなければ意味がないのですから。

 考えてもみてください。皆さんの国では国定教科書を使い、全国民に等しい反日歴史教育を行っています。日本側には快いことではありませんが、両国の関係を思い、それを忍んできました。「つくる会」の教科書が検定を通ったからといって、日本の子供たちがすぐに右傾化するわけではないのです。

 あなた方も「少なくない教科書は中韓に配慮しており、歪曲しているのは一部勢力」だということはお分かりのようですね。

 ふつうの人が認められる歴史観ではありません。課題は採択を阻止することです。日本の市民団体もすでに各地の教育委員会へ、「つくる会」の教科書を絶対に採択しないように働きかけを始めました。

 現実には、「つくる会」の教科書は他社の教科書に圧倒され、思うように販売ができませんでした。店頭販売ではそこそこ売れたようですが、そのほとんどはこの教科書を問題視する人間が資料として買い求めたものです。決して日本国民がこの教科書を支持しているわけではありません。その辺にもぜひ視線を注いでいただきたい。

 中国・韓国の政府も対日関係が一気に冷え込むことを望んではいないでしょう。皆さんの間にも、ここは落ち着いて考えようという人々が少なからずいるに違いありません。

 将来は歴史認識問題を超えて、教科書が友好の象徴になる日だって来ないとも限りません。教科書問題を、日中・日韓が互いを思い合う素材としたいものです。

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ケケケ。3月17日の朝日社説「竹島―韓国の皆さんへ」をまんまパクッて、サヨクになりきって書いてやった。一部強引に改竄したため論理破綻している箇所もあるだろうが、ご容赦いただきたい。

 ホント、おめーらさ、たかが1社の教科書くらいでガタガタ抜かすなや。内政干渉もいい加減にしないと、しまいにゃこっちもぶち切れるよ。

 他の教科書を見ると、相変わらず中韓に迎合する記述がたっぷりなんだから、それで鞘に収めろや。あんたらの国と違って、日本では歴史に関してもいろいろな解釈が許されてるの。一緒にしないでね(はぁと)。

中学教科書検定 「拉致」全社に記述 歴史なお自虐的傾向(産経)

【主張】中学教科書 記述の是正はまだ不十分(産経社説)

「つくる会」 こんな教科書でいいのか(朝日社説)
posted by atsu at 01:25| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(7) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月05日

校長先生飲酒で事故

その学校は、東京都葛飾区にあった…。

その学校は、昨年6月から11月までの5カ月のあいだに、14人もの逮捕者を出した。

恐ろしいまでに、荒れていた…。

誰もが、思った。

「このままでは、この学校に入学してくる生徒がいなくなってしまう」

崩壊寸前の学校を建て直すべく、一人の校長が立ち上がった……。


(以上、田口トモロヲの声に脳内変換してお読みください)

 この学校の校長先生が、飲酒運転の末に5歳の男児を轢いて怪我をさせてしまったそうである。激務の合間にあったほんのささやかな酒宴に気が緩んだか、実に残念なことである。

 飲酒運転は確かに悪質で、まして教師である人間がやることは許されない。だが、この校長が今まで行ってきた努力を思うと、一概に非難できないのが実情である。

 この中学校は1年間に14人も逮捕される事態となっていた。丸山しゅうが覚醒剤で逮捕された桜中学もすごかったが、逮捕者の数では比べ物にならない。その影響で多くのクラスで学級崩壊状態になり、まともに授業すら行えない期間が長く続いたという。この校長は授業についていけない生徒を校長室で自ら指導するなどし、何とか授業はできるレベルにまで回復していたらしい。

 それでも、今年の入学希望者は定員270人に対し61人(2004年11月27日付け日刊スポーツより)。やはり悪いイメージは払拭できず、地域住民には敬遠されたようである。まあ、それも仕方ないだろう。

 とは言え、一抹の光明は見えてきていたはずである。新学期も数日後に控えたそんな最中に、校長がこんな下らない事故を起こしてしまったことはまことに遺憾だ。

 話によれば、この日は同校のPTAらが花見会を催し、校長も出席していた。ビールや焼酎を飲み、かなり酔っていた様子だったと言うが、周りの人たちもクルマで帰ろうとする校長を引き止められなかったのか悔やまれる。そもそもクルマで行くほうが間違ってはいるんだろうが…。

 ただ、事故が起きたときはかなりの低速走行中(夕刊フジによると時速7キロとのこと)だったようで、はねられた男児が軽傷で済んだのは幸いだった。しかし、だからと言って飲酒運転の罪が消えるわけもない。せっかく立ち直りかけた中学校が、これをきっかけにまた荒れてしまわないことを願いたいものだ。

 しかしこの中学校、これまでは学校名が明らかにはされてなかったのだが、今回の件で明らかになってしまった。あ〜あ…。

葛飾区立中校長が酒気帯び運転、接触事故で男児けが(読売)
posted by atsu at 22:14| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月23日

イラクってどこですか?

 何だか、世の中にはアメリカやイラク、北朝鮮が世界のどこにあるかもよく知らない大学生がいるようだが、それってマジ? 頼むからウケ狙いでわざと間違ったって言ってくれ!

 いくら地理の授業が高校で選択科目だからって、アメリカがどこか知らないなんてそりゃあないだろう。完全に常識の欠落である。よく知らなくて生きてるよなぁ。そういう奴に限って「アメリカ最高!」なんて言っているような気もするんだけど。イラクや北朝鮮も、新聞読んでりゃ分かりそうなもの。それが分からないってことは、最近の大学生は時事問題にもたいして興味ないんだろうね。

 で、大学2年の弟にも今回の問題を解いてもらった。すると、けっこう怪しいねぇ。ベトナムを「南米でしょ?」と言ってのけたときはちょっとのけぞってしまったよ。

イラクの位置知らない大学生4割 地理学会調査(朝日)
posted by atsu at 23:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(3) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月13日

クジラ給食が再開

 和歌山県の小中学校で、13日から本格的なクジラの給食が復活したそうである。一部で限定的に給食メニューにクジラが出されることはこれまでにもあったが、全県あげての復活は15年〜20年ぶりとなった。

 これは、たいへん喜ばしいニュースである。依然として光が見えない商業捕鯨の再開にも大きな後押しとなろう。日本人の伝統食材だったクジラを子供たちに味わわせることは非常に有意義なことだ。

 私の出身地である石巻も、隣町の牡鹿町(4月には石巻市と合併予定)に鮎川という有名な捕鯨基地を抱えている。そのため、一般よりも比較的クジラは身近な食べ物だ。私の実家は水産業を営んでおり、クジラ製品も手がけているので、このニュースは特に感慨深い。石巻も、これに続いてクジラ料理をメニューに加えてほしいものだ。

 欧米の捕鯨反対派の連中は、クジラは頭がいいから殺してはならないなどと、実に非科学的な論法を用いてヒステリックに反対を叫んでいる。しかし、頭がよいから殺してはいけないなどという考えは、実に差別主義に基づく考えである。かつて黒人や黄色人種を猿同様の存在として扱い、奴隷にして蔑んできた白人ならではの考えと言えよう。私はとてもこれには賛成できない。

 また、太平洋では小型のミンククジラが増殖し、大量のサカナやプランクトンを食い荒らしている。シロナガスクジラが食べるべきエサまで食べてしまっているようで、このままではミンククジラがシロナガスクジラを滅ぼす可能性も高い。なのに反対派はこうした科学的検証を受け付けず、クジラ全てを一緒くたにして「殺すな」の一点張りなのである。このままでは、捕鯨反対派こそがクジラを滅ぼしてしまうだろう。それは阻止しなければならない。

 そのためには、ミンククジラを年間1万頭程度は捕獲し、クジラ肉を有効利用するのが一番適しているだろう。70万頭も生息しているミンククジラは、年間1万頭程度獲ってもビクともしない。どんどん獲っても大丈夫なのである。かつて、クジラから鯨油だけ取って捨てていた欧米と違い、日本は骨まで有効利用することができる。今こそ、日本の伝統文化を取り戻していこうではないか!

クジラ給食、十数年ぶり復活 和歌山(朝日)
posted by atsu at 21:47| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月08日

身近な数学

 携帯電話料金の算出法を一次関数(y=ax+b)に当てはめると、「通話料=1分あたり通話料×時間+基本料金」という式が導き出される…。一部の中学校において、生徒がまずはじめにつまづきやすい一次関数へのつかみに、生活に密着した例を当てはめて考えさせる授業が行われているらしい。

 これは、実によい試みだと思う。数学を楽しいと思えない最大の理由は、その数式が何の役に立っているのかが見えないということだ。「y=ax+b」という式を覚えることはできても、その式によって解かれるyという値が何を表すのか分からない。私もそれでつまづき、高校卒業まで数学には苦しめられることになってしまった。だが、携帯料金という身近なモノを計算する式だということになってみれば、これはすごく分かりやすいではないか。

 他にも、5万円を法定最高利息(29.2%)で借り、それを返すために他のサラ金から借りては返すということを繰り返すと、5年後には借金がいくらまで膨らむかという教え方もあるんだそうだ。これは、雪だるま式に増える借金の恐ろしさまで生徒に教えることもでき、実に一石二鳥なやり方である。このように、現実に見える数字に置き換えてもらうと、学習の効率も一気に上がると言えよう。

 最近は理科離れという言葉もよく聞かれるが、それはゆとり教育でじゅうぶんな授業時間が確保できなくなったため、実験などが省略されてしまっているせいでもあるらしい。私は理系じゃないが、理科の実験をやるのは好きだった。理科なんてのは、実験でその現象を実際に目で見て、その上でなぜそうなるのかを考えるもの。それなのに教科書に載っていることを読むだけでは、興味を持てというほうが無理だ。

 あ〜あ、私が中学生やってたときにも、数学をこうして教えてくれる先生がいたのなら、私はここまで数学が嫌いにならなかったかもしれない。そうしたらまた、ちょっと違った人生を送っていたかもしれないなぁ。

借金の怖さ、数学で学ぼう 福岡で実生活への応用授業(山陰中央新報)
posted by atsu at 23:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月21日

マジメに性教育を考えてみる

 性教育を、今まで通りタブー視するか、それとももっとオープンにするか。度々議論がなされるが、実に頭の痛い問題である。
 しかし、お金のためなら売春もいとわない女子中高生の増加、若者のあいだでのエイズの蔓延を鑑みると、いつまでもタブー視している場合ではなさそうだ。その年齢に応じた適切な性教育は必要だ。
 小学生に対してセックスのやり方やコンドームの装着法を教えるのはまだ早いが、これが中学生となると話は変わってくるのではないだろうか。実際にセックスをする中学生もいるのだから、その状況を考慮して性に対する正しい知識を教えてあげなければならない。

 今日の朝刊では産経のみが報じていたが、都内の私立中学で、三年生の生徒全員を対象に「中絶」とはいかなるものかを説く学年集会が行われたという。
 説明を行った男性教師は人工妊娠中絶について、「はじめは緊張しているから女性器がなかなか開かない」「パフェを食べるスプーンのような細長い器具を挿入して胎児をほじくり出す」などとかなり生々しく説明。生徒の中には泣き出したり、頭痛を訴えた者も出たらしい。
 産経新聞はこの件をかなり問題視して記事を書いているが、私はこのくらいびびらせとくのはむしろ効果的だと考える。
 実際に、人工妊娠中絶とは残酷でグロテスクなものなのだ。それを説明するのに、オブラートに包む必要は何もない。中絶についてショッキングなほどのイメージを植え付けておいたほうが、セックスを軽く見る中高生を減らすことにつながるのではないだろうか。

 私は中絶反対派ではないが、できるだけ望まれぬ子供は作らないほうがいいと思う。そのためには、責任を取れない中高生らのセックスを抑制しなければならない。
 その点だけで言えば、今回の教師の行為は十分抑止力となるものだ。無垢でデリケートな一部の生徒はさぞショックだったろうが、中学生ともなればセックスの何たるかは知っているはずだ。中絶の悲惨さを知らされることで、生徒らが将来の悲劇(無駄な妊娠・中絶)を回避できればそれでいいと思う。少なくとも今回話を聞いた生徒の中からは「もし出来たら堕ろせばいいじゃん」なんていう浅薄な考えを持つ者は出ないはずだ。

 つい昨日、横浜市の産婦人科が中絶胎児を生ゴミとして処分していたというショッキングなニュースが流れた。しかし、適切に埋葬・供養されたとしても、水子とは悲惨極まりないものなのだ。流産ならまだしも、健康に育っているのに無理やり掻き出される赤ん坊の気持ちになってみてほしい。望まぬ子を渋々産んであとからなぶり殺すよりはいくらかマシだが、避けられる悲劇はできるだけ避けようではないか。
 それでもヤリたい中高生はヤッてくれて構わないが、自分が責任を取れない身であることを自覚し、せめて避妊くらいちゃんとしてからヤレよと言いたい。
posted by atsu at 22:43| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月13日

給食のカレーが食いたい

 最近、給食費を払えるのに払わない親が増えているそうである。生活困窮のために払えないのならまだしも、マイカーにベンツを持っているような裕福な家庭が払っていなかったりするらしい。これはゆゆしきことである。

 例えば仙台市の例を見てみると、今年2月の時点で給食費を3カ月以上滞納している家庭は1547件。金額にして6958万円に上るらしい。その中で、理由もなく払わない家庭がおよそ一割弱の139件826万円。仙台市はこれらの家庭に催告書を送付し、それでも納めない家庭には仙台簡裁へ支払い督促の申し立てを行うようだ。
 市は給食費が減ったために、牛肉を豚肉に変えたり、エビフライをサケフライにしたりと経費削減のための努力をしている。結果的に、子供たちの給食のグレードが下がってしまうわけである。払えるくせに払わない者には何とかして払わせなければならない。
 実際払っていない親は確信犯で、払ってないからといって子供が給食を食べさせられないことはないと分かってやっている。確かに教師が「お前は給食費払ってないから給食抜きだ」なんて言って食べさせなかったら問題になるだろう。親も払っていないことは棚に上げて怒り狂うに違いない。そんな親は勝手きわまりないからね。

 学校の給食費なんてのは、ほとんどボランティアじゃないかと思えるほど素晴らしく安いものだ。小学校給食費の平均額は月3500円〜4500円。中学校給食費の平均額も月3900円〜5200円程度。一番高い5200円でも、月20食で一食250円程度だ。
 こんなに安くて栄養たっぷりの昼食、払ってない子の給食費は私が立て替えるから毎日食べさせてほしいくらいである。毎日昼に何食うか考えなくて済むし、何より安いし。昼休みになったら近くの中学校まで行くからさ、食わせて、お願い。もう最近給食の味に飢えてんのよ。久しぶりに食ってみたいなー。
posted by atsu at 23:13| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース−社会 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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