2009年08月25日

記念でも持ち帰るほうがマシ?

UCバークリーの倉庫に日本人戦没者?の遺骨 30年以上も放置か(産経)

 【ニューヨーク=松尾理也】全米有数の名門大として知られるカリフォルニア大バークリー校の人類学博物館の倉庫に、第二次世界大戦の激戦地、サイパン島で自決した日本人などと記述された複数の人骨が収蔵されたままになっていることが明らかになった。

 地元紙サンフランシスコ・クロニクルによると、頭骨を含む3体の人骨と、いくつかの頭骨のない人骨が木箱に収納されていたという。木箱には、採取地として「サイパン」と明記され、「米軍の進攻の際に自決を遂げた日本人」などの説明が付されてあった。

 大学側によると、これらの人骨はすでに故人となっている海軍医が1974年に寄付した。それ以前は、同医師が個人的に保管していたとみられる。

 戦争犠牲者の遺骨が博物館の倉庫に収蔵されたまま、いわば、たなざらしになっていたとすれば、敬意や厳粛さを欠く取り扱いといえる。バークリー校近くを選挙区とするナンシー・ペロシ米下院議長(民主党)の事務所は、クロニクル紙に「経緯に重大な関心を持っている」と述べた。

 また、カリフォルニア州のグロリア・ロメロ州上院議員の事務所は「いわばクローゼットに骸骨があったようなもの。人間の尊厳を冒すものだ」と、日本への謝罪と遺骨の返還を求める方針を明らかにした。

 クロニクル紙は、第2次大戦中に、日本兵などの戦死者の遺骨を記念品として持ち帰る行為が米軍の中で珍しくなかったと指摘。戦争犠牲者の保護を定めたジュネーブ条約違反の可能性もあると問題提起した。

 これに対し、大学側は「人骨の身元が日本人と判明したわけではない。兵士か民間人か、どんな状況で死亡したのかという情報もない」とした上で、ジュネーブ条約は戦時捕虜に適用される国際法であり、身元不明のままでは条約違反とはいえないと反論している。しかし問題を真剣に受け止め、米政府当局などと連絡を取っているという。

 在米日本大使館も「厚生労働省をはじめ日本の関係省庁と連絡を取り、情報収集を行っている」と関心を寄せている。





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 「はだしのゲン」に、原爆犠牲者の頭蓋骨を嬉々として買い求める米兵が描かれていますが、実際に遺骨を記念に持ち帰る行為ってポピュラーだったんですね。仮にも自分たちが追い詰めたことで死んだ人たちですし、怨念がこもっていそうで恐ろしいですが、アメリカ人にはあまりそういう意識はなかったのでしょうか。

 何年も倉庫の中に人骨をたなざらしというのも褒められた行為じゃないと思いますが、かつての戦地には今も戦死した日本兵たちの遺骨がそのまんま放置されていることを考えると、屋内で保管されているだけマシなような気もします。

 遺体を必ず持ち帰るのが鉄則の米軍に比べ、我が日本軍はあまりにも遺体をおざなりにし過ぎでした。確かに戦死者の魂は靖国へお祀りされていますが、だからと言って遺骨をないがしろにしていいわけではありません。しかしながら日本政府は、あれこれと理由をつけては遺骨収集をサボってきました。そして60年以上が経った今でも、祖国の土に返れない日本兵たちはたくさんいます。

 そんな中、野口健は素晴らしい活動をしてますね。




靖国神社で戦没者の遺骨収集を考えるシンポジウム(産経)

 先の大戦で亡くなり、いまなお異国の地で帰国を待つ戦没者の遺骨収集を考えるシンポジウム(産経新聞社主催)が24日、東京・九段の靖国会館で開かれ、約300人が参加。事業の現状や今後の課題について活発な意見が交わされた。

 本土以外の戦没者は約240万人。戦後60年以上たった現在も、その半数が未帰還のまま。昭和27年度にスタートした国の収集事業もここ数年は、情報の減少などで停滞が続いている。

 アルピニストで、昨年からNPO法人「空援隊(くうえんたい)」に参加して遺骨収集問題に取り組んでいる野口健さん(36)は、「どれほど祖国に帰りたかったろうなと思う。関係者の高齢化が進み、もはや時間がない。いま必要なのは、『絶対に祖国へ帰す』という決意だ」と力を込めた。 

 東部ニューギニア戦友遺族会会長の堀江正夫・元参院議員(94)は、「かつては戦友たちが、『ここに(遺骨が)ある』と覚えていた。だが、こうした関係者は年々少なくなるばかり。命ある間に、1体でも多く日本に迎えたい」と訴えると、参加者からは大きな拍手。

 会場では、かつてシンガポールに住んでいた東京都板橋区の佐藤久美子さん(63)が、「現地ではいまだに葬られていない遺骨が多いと聞いて胸を痛めていた。関心を持って見守り続けていきたい」と語った。





 今、野口さんほど遺骨収集に熱心な人はいないと思います。登山で鍛えた体と経験が、南洋のジャングルや洞窟の探索にも生かせているのでしょう。二度とエベレストに登れなくなってもいいという覚悟でチベットを弾圧する中共を批判もしているし、勇気あるお方だと思います。

 民主党政権になったら国立追悼施設などという中身のない空虚なハコモノが造られるかもしれませんが、そんな金があったら遺骨収集に使って欲しいものです。せめて陸上にある遺骨だけでも全て日本に帰さない限り、遺骨を記念に持ち帰る米兵を批判はできないと思いました。


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2009年08月12日

パイワン族を貶め、見せ物にしたのはNHK

李登輝氏、来月に訪日 東京で講演(朝日)

 【台北=野嶋剛】台湾の李登輝元総統が訪日し、9月5日に東京で講演する。李氏の訪日は総統退任後5回目。李氏事務所によると、講演は東京青年会議所のイベントに呼ばれたもので、高知や熊本、福岡なども訪れる。





 件の講演会は9月5日午後2時から日比谷公会堂にて。私は参加しようと思うのですが、他に行きたい方います? もしいらっしゃいましたら一緒に話を聞きに行きましょう!

 イベントの詳細はこちらにて。http://www.tokyo-jc.or.jp/2009/news/0806.html





パイワン人も提訴、原告1万人突破 NHK台湾特集訴訟(産経)

 NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー アジアの“一等国”」に出演した台湾人などから番組内容に歪曲(わいきょく)があったと批判が相次いでいる問題で、出演した台湾少数民族のパイワン人らが番組で、民族の誇りを傷付けられたとして、NHKを相手取った集団訴訟に原告として加わることが11日、分かった。原告数は提訴後も増え続け、1万人を突破した。

 訴訟に参加するのは、台湾南部のクスクス村のパイワン人出演者ら4人。番組では、1910年に開催された日英博覧会の写真に「人間動物園」の文字をかぶせ、《イギリスやフランスは博覧会などで植民地の人々を盛んに見せ物にしていました。人を展示する「人間動物園」と呼ばれました》などとするナレーションを、パイワン人へのインタビューとともに放送。「日本政府がパイワン人の実演を『人間動物園』と呼んだことはない」(訴状)と批判が出ていた。

 関係者によると、訴訟に加わるパイワン人4人のうち、2人は番組に出演。インタビューの際、「人間動物園」に関する十分な説明を受けておらず、単に写真を見て懐かしいと涙ながらに語ったシーンが歪曲されて伝えられたとしている。残る2人のうち1人は親戚(しんせき)が日英博覧会に実際に参加して、それが今でも自分たちの誇りであるにもかかわらずNHKに「人間動物園」とおとしめられ、名誉を傷付けられたとしている。もう1人はパイワン人の地元名士となる元郷長で、番組でパイワン人の名誉と誇りを傷付けられた−としている。





 原告の数がどんどん増えますね。これは、公判が楽しみになってきました。果たしてこれだけの人たちの怒りを、裁判所はどう酌んでくれるかな?

 いちおう事情を知らない方のために説明しますと、日英博覧会へは台湾の少数民族のみならず日本人の農民や力士なども赴き、それぞれ田植えや相撲の実演をしたんですね。それと同じようにパイワン族の人々も民族の踊りなどを披露したわけですが、それが「人間動物園」ならば日本人の農民や力士も動物園の動物扱いされたことになります。しかしNHKの番組はそのことに一切触れてませんから、これはもう事実の歪曲以外の何者でもありません。

 思うにこれはですね、NHKこそがパイワン族の人を騙して見せ物にしてるわけですよ。誇り高き彼らを捕まえてですよ、彼らは日本に虐げられた惨めな人々だと、放送で垂れ流したんですから。名誉毀損も甚だしいと思います。

 NHKの卑劣な番組制作過程を知るにつれ、よっぽどおかしな裁判官に当たらない限り、NHKに勝ち目はないだろうなと思えてきました。正しい判決が下りることを切に願いますね。


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2009年08月05日

原爆投下は正当化してもよいが…

原作版『魔女の宅急便』が遂に完結 24年の歴史に幕(オリコン)

 1989年に宮崎駿監督でアニメ映画化された『魔女の宅急便』の原作である、童話作家・角野栄子氏の同名児童文学が、今年10月上旬に発売される『魔女の宅急便その6 それぞれの旅立ち』(福音館書店)で完結することがわかった。最終作となる新作では、主人公の魔法使い・キキが、恋人のとんぼと結婚して双子が誕生。双子なのに性格は正反対の姉のニニと弟のトトが成長し、二人がキキの元から旅立つまでが描かれるという。

 魔女としての独り立ちのため、相棒の黒猫・ジジと港町に向かったキキが、宅急便を始め、失敗や挫折を経験しながら成長する姿を描いた『魔女の宅急便』。原作は1985年に刊行され、89年の映画化後も、続編が刊行され、その後現在までに5作品が発売されている。2007年発売の『魔女の宅急便 その5 魔法のとまり木』では、20歳になったキキの姿を描いた。第1作の刊行から24年の歴史に幕を下ろすことになる最新作では、キキがとんぼと結婚し、さらに子供を魔女として送り出すまでを描く。

 角野氏は、早稲田大学教育学部英語英文学科卒業後、出版社に勤務。1960年、25歳の時にブラジルに2年間滞在し、その体験からノンフィクション『ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて』を出版し、作家デビュー。『魔女の宅急便』シリーズのほか、『おじいちゃんのスープ』『赤ちゃんがやってきた』などの作品を刊行している。





 ほえ〜、まだシリーズは続いていたんですね。しかもキキが成長しとることに驚きました。多くの人にとって魔女宅はジブリ作品のイメージしかないと思うのですが、映画は物語の序盤にすぎないのですね(ま、かなり原作とは相違点が多いらしいですが)。

 こないだも金曜ロードショーで放送されてましたが、DVDを持っているのにもかかわらずまた観ちゃいましたよ。やっぱり初期のジブリ作品は何度観ても飽きませんね。もののけ姫以降は、どうも説教臭くなって何度も観る気にならないんですが…。





6割超が「原爆投下は正当」=根強い肯定意見−米世論調査(時事)

 【ワシントン時事】米キニピアック大学(コネティカット州)の世論調査研究所が行った調査で、64年前の広島と長崎への原爆投下について、米国人の61%が「投下は正しかった」と考えていることが4日、分かった。投下を支持しない人は22%にとどまった。

 オバマ大統領は「核なき世界」の実現を訴えているが、米国では依然、原爆投下を肯定する意見が根強いことが浮き彫りになった。

 調査は7月27日から今月3日にかけて、全米で約2400人を対象に実施された。男性の72%が投下を支持したのに対し、女性は51%。年齢層別では、18〜34歳は半数が「正しかった」と回答し、「間違っていた」は32%だったものの、55歳以上では投下支持が73%に上った。

 政党支持者別では、共和党支持者の74%が投下を評価、民主党支持者では49%だった。
 




 ま、そんなものだと思いますよ。広島・長崎がなければ日本はさらに抵抗を続け、本当に本土決戦になって多くの米兵が死んでいたはずだと信じている米国人は多いですからね。実際には、連合国が皇室の地位さえ保障すると言えば日本はすぐにでも降参したわけですけども。

 既に周知の事実ですが、それを保障しないで日本に降参を渋らせたのは、何が何でも原爆を投下しなければならなかったからです。原子爆弾の恐ろしさを世界に見せつけてソ連を牽制することと、米国が核攻撃を受けた場合に備えて黄色いサルでもって人体実験しておく必要がどうしてもあったわけなんですよね。その前に戦争が終わったら投下することができなくなりますから、どうしても戦争を引き伸ばして落とさないといけなかったのです。

 悲しい事実ながらも、お互いが核を持つことによって60年以上も大戦争が回避できたのは確かなこと。残念ながら人間は、そうすることによってしか平和を保てません。被爆された方にとっては冗談じゃないでしょうが、広島・長崎はそのための犠牲になったとも言えます。

 米国人が原爆投下を正当だと思うのはいいけれど、せめて投下の目的が「戦争終結を早めるため」だという認識だけは改めてほしいですね。実際にはそうではありませんから。堂々と「ソ連をびびらせるためさ」と言ったほうが、まだ分かります。


 ところでこの度、はだしのゲンが英訳されて向こうで出版されるらしいですね。はだしのゲンは是非とも読んで頂きたい作品ではありますが、英訳することによって数々のユーモア表現が弱くなってはいないかがちょっと心配です。はだしのゲンは、原爆という重いテーマを扱いながらもギャグの宝庫ですからね。英訳によって、単なる反戦反核漫画に成り下がっていないことを強く祈ります。


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2009年06月30日

秋葉市長は憲法21条を読み直そう

田母神氏、原爆の日に広島で講演 市長は変更要望(朝日)

 元航空幕僚長の田母神俊雄氏の講演会が、広島原爆の日の8月6日に広島市内で予定されている。同市の秋葉忠利市長は29日、「被爆者や遺族の悲しみを増す結果となりかねない」として、日程の変更を検討するよう、田母神氏と主催する日本会議広島に文書で申し入れた。

 「ヒロシマの平和を疑う!」と題した田母神氏の講演は、6日夜に原爆ドーム近くのホテルである。秋葉市長は要請文で、「表現の自由の視点からは何を発言するかは自由」と前置きし、「8月6日は原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するかけがえのない日。多くの広島市民の心情にご配慮を」と求めた。

 田母神氏は、政府見解に反し、日本の侵略行為や植民地支配を肯定する論文を発表したとして昨年10月末に航空幕僚長を更迭された。今年2月に広島県呉市で開かれた講演会では「国際社会で発言権を増すために有用」と核兵器保有に肯定的な見解を示している。日本会議広島の関係者は「話を聞く前から拒否反応を示すのは間違っている」と話している。





 田母神さんがいつどこで何を発言するかなんて、公職を辞めさせられた今となっては何人たりとも妨げることはできません。もちろん氏の持論に対する建設的な批判ならばいくらでも言ってよいですが、仮にも一自治体の首長がこんなことを言う権利などないです。要請すること自体、おこがましいと思うべきです。

 サヨクさんというのは、全くこれだから困ります。いつもは憲法が大事だの思想信条の自由だの何だのと吠えまくるくせに、自分と対立する人々の自由は認めないんですから。だいたい田母神さんだって、8月6日に広島で講演することに意味があると思うからその日程を組んでるわけですよ。既にそれを見越して広島行きを決めている人などもいるはずだし、この期に及んで日程の変更なんて冗談じゃないと思ってるはずです。

 秋葉市長は近年こそ北朝鮮などにも抗議文を送ったりしてますが、過去のスピーチの中では全くといっていいほど共産圏の核に触れないこともありました。秋葉市長は元社会党員だから当然と言っちゃ当然ですが、今そこにある核を問題視せずに反核も反戦もありません。田母神さんのように国防を担っていた人が、こういう首長に平和を任せておけないと思うのは当たり前のことだと思います。そりゃ、そんなヒロシマの平和は疑いたくもなりますよ。

 とりあえず秋葉市長の今回の要請は、日教組の集会を断ったプリンスホテルよりも悪質です。プリンスホテルは単なる民間企業ですが、秋葉市長は言うなれば公権力ですから。田母神さんは絶対に怯んだりしないと思いますが、秋葉市長は早めに撤回したほうがいいと思いますよ。


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2009年06月11日

ついに沖縄からも軍命説否定の声が

沖縄集団自決「軍の命令ではない」 地元誌が特集記事(産経)

 第2次大戦末期の沖縄戦で守備隊長が住民に自決を強いたとされる「沖縄集団自決」について「軍命による自決ではなく、切羽詰まった住民が自殺した悲惨な事件だった」とする特集記事が沖縄県浦添市文化協会発刊の「うらそえ文藝」第14号に掲載され、波紋を広げている。特集には、自決現場を目撃した当時の米軍の報告書や住民の証言などが収録され、問題の発端となった地元紙、沖縄タイムス発刊の「鉄の暴風」こそが訂正すべきと結論づけている。

 「鉄の暴風」で自決を強いたと名指しされた守備隊長や遺族らは、この記述を元に書かれた大江健三郎氏の「沖縄ノート」に対し出版差し止めなどを求めているが、昨年秋の2審判決では訴えが退けられ、現在、最高裁で争われている。

 この特集記事を書いたのは同誌編集長で沖縄県文化協会長の星雅彦氏と沖縄戦ドキュメンタリー作家として知られる上原正稔氏の2人。

 上原氏は長く「鉄の暴風」を疑ったことがなく、現地調査した作家の曽野綾子氏が1973年に「ある神話の背景」で疑問を呈したさいも、軍命による集団自決を事実として信じて疑わなかった。ところが、沖縄タイムスや琉球新報などで沖縄戦に関連した連載記事を書くうちに、新たな住民の証言や米軍の報告書などを入手、「(『鉄の暴風』は)現地調査しないまま軍命による集団自決をでっち上げたという結論に達した」という。

 上原氏によると、こうした結論を2年前に琉球新報で長期連載中の沖縄戦をめぐる記事に盛り込もうとしたところ、「新聞社側の圧力で断念せざるを得ず、『うらそえ文藝』での発表に踏み切った」と説明している。

 また、星氏も沖縄県史編纂で40年ほど前に、集団自決事件の起きた渡嘉敷島を訪問した際、住民の話から軍命の存在に疑問を抱いたが、「鉄の暴風」が沖縄県民の間で定着し、疑問を差し挟めない状況だった。しかし、「今回は勇気を持って真実を知らせるべきと決心した」と、話している。

 富田詢一・琉球新報社編集局長の話「上原氏への圧力はありません」





 沖縄で発行されている出版物において、このような主張が展開されるとは驚きました。しかも、かつては軍命説を妄信していた方々による執筆だというからすごいです。沖縄でこのような発言をするのは大変に勇気の要ることと思いますが、彼らには敬意を表したいものです。

 今のところ、残念ながらこれを報じているのは産経と世界日報のみなので、実際に「うらそえ文藝」を手にした人以外はその存在をなかなか知ることができないでしょう。ネットを使える人はネットで記事を読むことができますが、残念なことに産経新聞は沖縄では販売されていません。シェアの9割以上を占める沖縄タイムスと琉球新報は、例の如く自分たちに都合の悪いことには頬かむりのようです。

 琉球新報の編集局長は「圧力はありません」なんて言ってますが、ないわけないと私は思いますよ。閉ざされた言論空間しかない沖縄では、「鉄の暴風」は神聖ニシテ侵スベカラズなものであり、反論すること自体が無言の圧力によって妨害されているのです。まして、上原氏や星氏のようにかつては軍命説を支持していた人間が反論を言ったら、確実に裏切り者扱いされるでしょう。下手をすれば沖縄の言論界で生きていけなくなりますので、かなりの覚悟がなければこんなことはできないのです。恐らく、どちらか一方だけではできなかったことと推察します。

 このことが大江・岩波裁判に良い影響を及ぼしてくれることを期待しますが、どうも裁判官というのは歴史に対して曇りある眼をお持ちの方ばかりなので、どう転ぶかは全く分かりません。これまでの一審二審は、明らかな証拠を不採用にして不確かな証拠ばかり採用するどうしようもない裁判でしたからね。いい加減、日本や島を守るために精一杯戦った元隊長に泥を被せるのは、やめたらどうかと思うのですが。




いぬばか:スザンヌ主演で今秋映画化へ ヤングジャンプの犬マンガ(毎日)

inubaka.jpg ペットショップで働く不思議な力を持つ少女の日常を描いたコメディーマンガ「いぬばか」が、09年秋にスザンヌさん(22)主演で映画化されることが10日、明らかになった。スザンヌさんは「出演させていただくことを聞いたとき、驚きとうれしさで言葉が出ませんでした。私も犬が大好きなので撮影が待ち遠しいです」とコメントしている。

 「いぬばか」は、04年から「週刊ヤングジャンプ」で連載中の桜木雪弥さんのマンガ。凶暴な犬もなぜかなついてしまうなど不思議な力を持つ犬好き少女・宮内すぐりが、都内のペットショップで働く日常を描く。コミックスは17巻で約72万部を発行している。【近藤啓文】
 




 いぬばか映画化はいいけど、何でスザンヌなんだよ。本当のバカ連れてきてどうする。

 主人公のすぐりちゃんが好きで毎週立ち読みしてますけどね、すぐりちゃんはショートカットでなけりゃ許しませんよわたしゃ。私のイメージでは、実写化するなら桜庭ななみだったわけです。なのに何でスザンヌなの? イメージ全然違うじゃんか! スザンヌは脇役で出てくるキャバ嬢の役のほうが合ってるっちゅーねん!!

 ところで、すぐりちゃんは犬のうんちを素手でキャッチするのが特技(まさに今日発売のヤングジャンプにもそのシーンがあった)なんですが、果たしてスザンヌにそれができるかな? 偽糞使ったら承知しませんからね、肛門からダイレクトキャッチしなさいよ。

 あと、るぱん役の犬を探すのはけっこう大変かもしれませんね。何といっても、雑種ですし。血統書つきのタレント犬ならいくらでもいるだろうけど、雑種で芸達者な犬というのはかなり限られてきますよ。主演がダメなら、せめてるぱんくらいはそっくりなの連れてきて下さいよ。




江口洋介、バイクで転倒し重傷…2カ所骨折(サンスポ)

 俳優の江口洋介(41)が東京都渋谷区で大型オートバイを運転中に転倒し、骨折するけがをしていたことが11日わかった。病状は「左鎖骨骨折」と「左助骨多発骨折」と診断され都内の病院で治療を行っており、完治までは2カ月かかるという。

 警視庁代々木署によると、江口は渋谷区内のガソリンスタンドから道路に出た際、右から来た自転車を避けようとして急ブレーキをかけ転倒。救急搬送され、入院した。自転車の男性会社員にけがはなかった。

 事故直後から江口の意識ははっきりとして、ファンや関係者に対し「申し訳ない」と何度も繰り返していたという。

(以下略)





 ヤフーのコメント欄を見たら、江口を褒め称えて自転車側を批難するコメントがずいぶんと目立ちました。マナーの悪い自転車が多いのは事実ですが、この事故においては批難できるほどの判断材料がないと思われます。

 事故が起きたのが夜だったこともあり、自転車の無灯火を推測するコメントもありました。どこかにソースがあるのかなと思って他紙の記事にも当たってみましたが、そのような記述はどこにもなし。携帯をいじっていたりヘッドホンをしていたり…なんてこともどこにも書かれてません。一方的な推測で物事を批判するのは、実に危険なことだと思います。

 記事に書かれていることだけを材料に判断すれば、この事故は江口の過失が大きいでしょう。ガソリンスタンドから出る際に自転車が右から来たのですから、自転車はきちんと左側通行していたことになります。歩道を走っていたのか車道を走っていたのかは定かではありませんが、いずれにしても江口が自転車を見落としたのが事故の主たる原因。必死に回避行動をしてそれが功を奏したのはよかったですが、もっと注意していれば防げた事故ではありました。

 人身事故を避けたうえに、自転車に対しても謝罪している江口は偉いです。だけど、それを褒め称えるために自転車を貶めるのは違うと思うんですよね。自転車が脇道から飛び出してきたのならそれでもいいですが、今回は明らかに違いますから。


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2009年01月08日

大江センセイおめでとう

大江健三郎氏、中国の外国小説賞を受賞(朝日)

 【北京=峯村健司】7日の中国紙、中国青年報(インターネット版)によると、中国の大手出版社、人民文学出版社などが選出する「21世紀年度最優秀外国小説」の今年の受賞作に、大江健三郎氏の小説「臈(らふ)たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ」が選ばれた。日本の作家が受賞するのは初めて。

 今月中旬に正式発表される予定で、北京で開かれる授賞式には大江氏が出席する予定。この賞は今回で7回目で、中国出版界で最も権威のある文学賞の一つ。





 大江センセイ! この度は受賞おめでとうございます!! 心よりお祝い申し上げます!!!


 いやぁ、今頃センセイは夢見心地でしょうね。涙を流して喜んでらっしゃるんじゃないでしょうか。これまで、さんざん日本を貶めてきた甲斐がありましたね。恐らくセンセイにとって、ノーベル文学賞のときよりも嬉しいに違いありません。

 この際だから進言致しますけど、これを機会に国籍も中国へお移しになってはいかがでしょうか。以前からセンセイは「日本人ではない何か」になりたがっておいででしたし、まさに機が熟したと思います。身も心も中国人になって反日活動に勤しめば、きっと中共も重用してくれると思いますよ。胡錦濤に頭ナデナデしてもらえるかもしれません。

 紫綬褒章などの日本国家からの授賞はかたくなに拒否するセンセイですが、今回の授賞式には嬉々として出かけるご様子。きっと、平成18年の北京大学における講演のときのように、中共に気に入られるための日本叩きをされるんでしょうねぇ。是非とも大いにそのような講演をして頂きたいものですが、できるならばそのまま帰国しないで頂きたいものです。どうか、大好きな大陸の地に骨を埋めて下さい!

注:このエントリは全編棒読みです。
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2008年12月02日

あのとき日本が核を持ってたら

田母神・前空幕長:戦中に核兵器あれば「やり返してた」−−外国特派員協会で講演(毎日)

 政府見解と異なる文書を懸賞論文に公表し更迭された田母神(たもがみ)俊雄前航空幕僚長(60)が1日、日本外国特派員協会で講演し「普通の国のように軍を使うことができないのは歴史認識の問題」と従来の考え方を繰り返し強調した。「(核保有を)議論するだけで(核)抑止力が向上する」などと国内外での「本音の安全保障論議」の必要性を訴えた。

 「危険人物の田母神です」とユーモアを交えつつ講演を始めた田母神氏だが、本題では「白人国家がアジアを侵略したことはそっちのけだ」などと第二次大戦の戦勝国による歴史観の定着に危機感を示した。4年前、親善訪問の場で、日本の侵略の歴史を話し続ける中国軍幹部を遮り、日本の立場を擁護する発言をしたと語った。「どんな国家にも光と影があり、触られたくない歴史がある」と述べた。

 また核武装論議をタブー視してきた現状の安全保障論議に不満を表明。欧米メディアから「戦中の指揮官で核兵器を保有していたらどうしたか」と聞かれ、「(連合国側に)落としたかと言われると、やられればやるのではないかと思います」と述べた。アジア、欧米など十数カ国の記者ら数百人が集まったが、講演は淡々と進んだ。【本多健】





 あくまで仮定の質問に答えただけなのに、マスコミはあくまで問題化したいみたいですね。だけど、残念ながら最早いち民間人である田母神さんが何を言おうと、あんたらにそれを止める権利も咎める権利もありませんよ。批判するのは自由だけど。

 そもそも、昭和20年に非核三原則とやらは存在しませんからね。使える兵器を持っていたら使う判断をしたっておかしくはないと思います。それに、田母神さんはちゃんと「やられれば」と言っているではないですか。先に落とされた場合は、反撃する術があれば反撃するのが当然だと思うんですけど。当時の指揮官だったらそういう判断を下してもおかしくないですよ。

 まあ、もしもあの時点で日本が核を持っていたら、広島・長崎に原爆が落とされることはなかったと思いますけどね。アメリカは核保有国とは戦争しませんから。昭和16年以前から持っていたら、恐らくハルノートを突きつけられることもなかったでしょう。むしろ、一緒に中国国民党を攻めて支那大陸の権益を山分けしようじゃないかと持ちかけてきたかもしれません。田母神さんにこの質問をしたイギリスの記者は、米軍のトップにも「1945年の時点で日本が核を持っていたらどうしたか」と訊いてみたらいいんじゃないですか?

 田母神さんの論文にはいろいろ突っ込める穴がたくさんありますが、内容はともかく意見表明をしたことは評価します。できればこれが踏襲(ふしゅう)ならぬ腐臭を放つ村山談話を破棄することにつながればいいんですが、自民党をはじめとする多くの国会議員がヘタレのため、ただ単に更迭してハイ終わりになっていることは残念でなりません。だから田母神さんは、これからどんどん発言して国会のヤツラをビビらせてほしいですね。ヤツラが困ることを遠慮せず言っちゃって下さい。
posted by atsu at 22:48| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月01日

我が国の歴史認識は絶対におかしい

田母神空幕長を更迭=論文で「侵略国家はぬれぎぬ」−政府見解に異論(時事)

 航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長(60)が「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬだ」などと主張する論文を民間企業の懸賞論文で発表したことが31日、分かった。日中戦争での日本の侵略や植民地支配を正当化する内容で、浜田靖一防衛相は同日夜、「政府見解と異なり不適切だ。職にとどまるべきではない」と述べ、同空幕長を同日付で解任した。

 言動をめぐり、自衛隊のトップが更迭されるのは、「現地部隊が超法規的行動を取ることはあり得る」などと発言し、1978年に解任された栗栖弘臣統合幕僚会議議長(故人)以来。田母神空幕長は31日付で航空幕僚監部付となり、後任は未定。

 論文は「日本は侵略国家であったのか」という題で、全国にホテルを展開する「アパグループ」(東京都港区)が、第1回「真の近現代史観」懸賞論文として募集。賞金300万円の最優秀賞を受賞した。同社はホームページ(HP)のほか、11月5日発売の自社発行の雑誌にも掲載、英訳も含めた論文集も出版するという。

 空幕長は論文で、「わが国は蒋介石により日中戦争に引き込まれた被害者」と強調。「穏健な植民地統治をした」「多くのアジア諸国が肯定的に評していることを認識しておく必要がある」などと続け、「わが国が侵略国家だったなどというのはまさにぬれぎぬである」と主張している。





 まったく、我が国はいったいいつまでこんなことを繰り返すつもりなのでしょう。空幕僚長が論文を発表したことを嘆いているのではありません。このような「思想狩り」をする日本国を嘆いているのです。

 改憲を口にしただけで大臣を辞めさせられていた頃に比べれば、我が国の言論空間は健全になってきています。だけど、相変わらず歴史問題に関しては、政府がこうだと決めた歴史以外を語ると辞めさせられるんですね。これは極めて恐ろしいことだと思います。

 無邪気に空幕僚長を批判している人々は、そのことに気付いていないのでしょう。それは、今の政府の公式見解がそれらの人々にとって都合のいいものだからに他なりません。もし、大東亜戦争は自衛戦争だったという歴史認識が公式見解になった場合、彼らはどうするか。一斉に反発するのは目に見えてます。

 公職に就いている者は、やたらに政府見解と異なる意見を述べるべきでないという意見もあるでしょう。しかし、述べたからといって更迭されるのは行きすぎです。政府関係者がひとつの意見しか述べることができないなんて、まるで中国や北朝鮮のようではありませんか。

 新聞にコメントを寄せている識者たちが、一斉に空幕僚長の論文をけなしているのも気になります。「でたらめ」「低レベル」「妄言」と言いたい放題言っていますが、果たして彼らはきちんと論文を読んだうえでコメントしているのでしょうか。どうせ、朝日や毎日の記者が都合のいい部分だけかいつまんで抜粋した部分だけを伝え聞いて、深く考えずにコメントしているだけなんじゃないでしょうか。

 今回の論文コンクールの審査委員長は、毎日新聞によると渡部昇一先生です。他の識者は論文をでらためだと一蹴していますが、そんなにでたらめな論文を渡部先生が最優秀賞に選ぶとは思えません。重箱の隅をつつけば間違っている部分もあるでしょうが、大筋で間違ったことは書かれていないと思います。

 だいたい、先の戦争の責任を日本だけに押し付ける歴史認識など、稚拙以外の何物でもありません。何度も書いたので繰り返しませんが、あの戦争を経たから今の日本と世界があるわけです。あの戦争がなかったら、今も日本軍は存在しているし、東南アジア諸国の独立も遅れに遅れていたでしょう。日本を悪の帝国だと決め付けている人々は、そういうことを想像する力くらい身に付けていただきたいものです。

 そして、沖縄の集団自決訴訟も実に腹立たしいものでした。




沖縄ノート訴訟、二審も大江氏勝訴 集団自決「軍関与」(朝日)

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に「集団自決」を命じたと書いたノーベル賞作家、大江健三郎さん(73)の著書「沖縄ノート」(70年、岩波新書)をめぐる名誉棄損訴訟の控訴審で、大阪高裁は31日、原告の元戦隊長側が敗訴した3月の一審・大阪地裁判決を支持し、控訴を棄却する判決を言い渡した。小田耕治裁判長は一審と同じく、大江さんが執筆当時、軍の命令を真実と信じたことには合理的な根拠があったと認めた。元戦隊長側は上告する方針。

(中略)

 判決は、集団自決について「『軍官民共生共死の一体化』の方針の下で軍が深くかかわったことは否定できず、これを総体としての日本軍の強制や命令と評価する見解もあり得る」と認定。沖縄ノートの記述については「元戦隊長らが直接住民に命じたかどうかは断定できない」と述べたうえで「同書などの出版当時は元戦隊長が命令したとする説が学界の通説といえる状況にあり、大江さんには真実と信じる相当の理由があった」とした。

(以下略)





 勇気を出して新たな証言をした宮平秀幸氏の証言が、ほとんど検証もされないまま「虚言」の一言で片付けられました。証拠をきちんと調べる能力もない我が国の司法に、再び落胆させられた次第です。

 しかし、判決は「元戦隊長らが直接住民に命じたかどうかは断定できない」と言っているのに、被告側のはしゃぎっぷりはいったい何なんですかね。断定できるとはっきり言ってもらってから喜ぶのが、物書きというものじゃないんでしょうか。

 また、「同書などの出版当時は元戦隊長が命令したとする説が学界の通説といえる状況にあり、大江さんには真実と信じる相当の理由があった」という部分。思うんですけど、通説がそうだからといってそれを疑うこともなく鵜呑みにして作文してしまう人間は、少なくともノンフィクションを書くべきじゃないと思うんですけど、どうですかね? 曽野綾子さんは、渡嘉敷に足を運んで大勢の話を聞き、「集団自決は本当に軍の強制によるものだったのだろうか」と疑問を呈したわけです。曽野さんのやり方こそジャーナリズムであり、大江のやり方はただの作文です。よく恥ずかしくないなと思いますよ。

 岩波書店は今後も「沖縄ノート」を出版し続けるんでしょうが、そろそろノンフィクションとして扱うのを辞めたらどうでしょう。「沖縄ノート」の巻頭と巻末に「この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません」と書けば、出版継続を許してもいいです。


 我が国の歴史認識には全く失望します。いったいこの国が、この閉鎖された歴史認識から抜け出せるのはいつの日になるのでしょうか。
posted by atsu at 20:52| 東京 ☀| Comment(7) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月28日

我々が知りたいのは、命令の有無である

沖縄ノート訴訟、集団自決「軍深く関与」…大阪地裁(読売)

◆大江さん側勝訴

 沖縄戦で住民に集団自決を命じたと著書で虚偽の記述をされ、名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元少佐らが作家の大江健三郎さん(73)と岩波書店(東京)に出版差し止めと2000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。深見敏正裁判長は「集団自決には旧日本軍が深くかかわった。元少佐らの関与も推認できる」と指摘。「元少佐らが自決を命じたという記述が真実と直ちに断定できないが、記述には合理的な根拠があり、真実と信じる相当な理由があった」として名誉棄損の成立を否定、原告の請求をすべて棄却した。原告側は控訴する。

 訴えていたのは、座間味島の守備隊長だった元少佐・梅沢裕さん(91)と、渡嘉敷島の守備隊長だった元大尉・赤松嘉次さん(故人)の弟秀一さん(75)。

 問題とされた著作は、岩波新書の大江さんの随想記「沖縄ノート」(1970年出版、約30万部発行)と、故家永三郎氏の歴史研究書「太平洋戦争」(68年出版、約18万部発行)。沖縄ノートは他の文献を引用する形で集団自決を「日本人の軍隊の命令」とし、梅沢さんと赤松さんの名前を伏せ、「事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」などと記述した。太平洋戦争は梅沢さんの実名を出し、「自決せよと命令した」と記した。

 深見裁判長はまず旧日本軍の関与について検討。▽軍から、自決用の手榴(しゅりゅう)弾を受け取ったとする住民らの証言が多数ある▽沖縄で集団自決が発生したすべての場所に軍が駐屯し、軍のいない島では自決がなかった――などから「軍が深くかかわった」と認定。梅沢さんと赤松さんについても、「島では原告らを頂点とした上意下達の組織が築かれ、関与は推認できる」と指摘した。

 しかし、原告らが命令を出したかについては、命令の伝達経路などがはっきりしないため、「命令したと認定するには躊躇を覚える」と断定を避けた。

 そのうえで、「記述は原告らの社会的評価を低下させるが、集団自決に関する学説の状況、文献の存在などを踏まえると、真実と信じる相当の理由があった」と結論づけた。

 原告側は「原告らによる自決命令は住民の遺族が戦後に補償を受けるため捏造された虚構」と主張したが、深見裁判長は「捏造は認められない」と述べた。

 この訴訟は、2006年度の教科書検定で「軍による強制」の記述に意見がつく理由の一つとなり、判決が注目されていた。

(以下略)

◆判決骨子

 ▽集団自決には日本軍が深くかかわったと認められ、元少佐らの関与が推認できる。

 ▽元少佐らが自決命令を発したことを直ちに真実であると断定できないとしても、記載内容を真実と信じる相当の理由があった。

 ▽沖縄ノートの記述は、意見・論評の域を逸脱したものとは認められない。





 この判決、百人斬り訴訟における「明確に虚偽とは言えないから、真実なんじゃね?」というトンデモ判決と構造が全く同じですね。これは刑事訴訟ではないにしても、「疑わしきは罰せず」が司法の基本理念のはず。なのに、「原告がやったかどうかは分からないけど、やったと言っている人もいるからやったんじゃね?」では話になりません。地裁の裁判官は真実を見極める眼(まなこ)が完全に濁っていたようです。次(控訴審)行ってみよう。

 集団自決において、私ら軍命否定派が最も重要視しているのは、軍命があったか、なかったかなのです。なのにこの判決はその有無を判断することはなく、「関与」はあったなどというお決まりの文句でお茶を濁しました。そもそも「関与」という言葉は命令があったと断定しにくくなったサヨクが苦し紛れに言い出した曖昧極まるものだし、戦争をやっているんだから何らかの形で軍が「関与」しているのは当たり前です。そんなのは言われなくても分かっているので、命令の有無まで踏み込まなかった今回の判決は完全なる無意味と断じてもいいでしょう。

 司法がそこまで踏み込まなかったことで、原告の言い分がある程度認められたという見方もあります。だけど私はそれでは不満ですね。何の証拠もないのに、被害者の証言だけで有罪が決まる痴漢冤罪と同じ構図だからです。しかも、赤松・梅沢両氏により近いところにいて、はっきりと「死んではならない」という言葉を聞いている人の証言が完全に無視されています。直接聞いた人の証言が軽んじられ、伝聞に過ぎない人の証言が重んじられる裁判とは何なのでしょうか。

 控訴審では、是非とも宮平秀幸氏に証人として出廷して頂きたいですね(宮平氏については2月24日のエントリ参照)。この証言は、他の伝聞証言を全て吹き飛ばすほどの力を持っています。これを考慮に入れてもなお、控訴審でも同じような判決が下されるのなら、もはやこの国の司法は腐りきっていると嘆くしかありません。

 この宮平氏の証言は、座間味島に調査に訪れた藤岡信勝氏らと偶然に出会った宮平氏がその場で語ったものです。産経新聞が2月に報じ、その後宮平氏は沖縄県庁で記者会見も開きましたが、今をもって沖縄の二大メディアである沖縄タイムスと琉球新報では報じられていません。両紙の記者は会見場に来ていたそうですが、一切記事にはされませんでした。彼らは、宮平証言に対し完全無視を決め込んでいます。

 軍命を真っ向から否定しているのだから、本来なら「こんな酷いウソを言っている元防衛隊員がいる」と大きく報じて反論してもいいようなものです。だけど、その気配は全くありません。なぜ無視せざるを得ないかと言えば、宮平証言の信憑性があまりに高いからでしょう。

 実は両紙は、宮平氏の存在をずっと前から知っていたのです。自分たちが作り上げた虚構を揺るがす最重要人物だと分かっていたから、彼らは軍命否定論者と宮平氏が出会わないようにいろいろ画策していたのです。今回藤岡氏らが座間味を訪れた際も、沖縄タイムスの若い記者が逐一行動を監視していたとのこと。しかし、その思いも虚しく藤岡氏と宮平氏は思いがけず出会ってしまったのでした。(このあたりの記述は、WiLL5月号「沖縄戦集団自決に新証言 沖縄タイムスの『不都合な真実』藤岡信勝・鴨野守共著を参照)

 サヨクメディア関係者も、本当は軍命などなかったことを知っているのです。だけど、一度ついたウソは何が何でもつき通さなければならないので、「関与」などという言葉を持ち出して必死に誤魔化しています。今回の判決も物語っているように、今や赤松・梅沢両氏が自決を命じたと胸を張って断定できる人はいません。それほどまでに、渡嘉敷・座間味両島における集団自決の軍命令説は信憑性を失っているのです。

 控訴審ではバイアスのかかっていないマトモな裁判官に出会うことを期待して、この文章を締めくくりたいと思います。
posted by atsu at 23:34| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月24日

この証言を是非生かして欲しい

集団自決、隊長はいさめた 沖縄・座間味で日本軍強制説否定する新証言(産経)

 沖縄県座間味島で起きた集団自決をめぐり、同島の村長が日本軍の隊長に集団自決をいさめられ、自決のために集まった住民に解散を指示していたことが、当時の防衛隊員の証言で明らかになった。教科書などで誤り伝えられている「日本軍強制(命令)」説を否定する有力な証言といえそうだ。

 証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸さん(78)。沖縄戦(昭和20年3〜6月)の当初、15歳の防衛隊員として、同島に駐屯した海上挺進隊第1戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。

 宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後10時ごろ、野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の宮城初江さんが、梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。

 そこで、宮里助役らは「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、自決用の弾薬や手榴弾、毒薬などの提供を求めた。

 これに対し、梅沢少佐は「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。

 村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、梅沢少佐が「おれの言うことが聞けないのか」と弾薬類の提供を強く拒否したため、村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。

 同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、野村村長は「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾薬類をもらいにいったが、もらえなかった。みなさん、自決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、解散する」と話した。このため、住民たちはそれぞれの家族の壕に引き返したという。

 宮平さんは「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりとりと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いていた」と話す。

 その後、村長ら村三役や国民学校長らとその家族はそれぞれの壕で集団自決したが、宮平さんら多くの住民は自決を思いとどまり、翌26日に上陸してきた米軍に捕らえられるなどした。宮平さんは米軍の迫撃砲で左足を負傷し、自分の家族の壕に戻ったところを米軍に見つかったという。

 宮平さんはまた、梅沢少佐の元部下から生前に送られた手記を保存している。そこにも、村三役と国民学校長らが自決用の劇薬、手榴弾、ダイナマイトなどをもらいにきたが、与えるべき武器、弾薬類がなかったことが書かれている。

 宮平さんは戦後、これらの事実を話す機会がなかったが、「昨年、集団自決をめぐる教科書の記述が問題となり、真実を伝えておきたいと思った」と話している。





 これは昨日のニュースですが、他紙の反応を見てから書こうと思ったのでわざと温存しておきました。だけどその結果は、朝日・毎日・東京は当然のように完全スルーで、ちょっと期待していた読売も記事にしないという残念なものでした。せめて読売くらい、産経に追随してほしかったものです。

 実際、これはすごい証言ですよ。「軍命があった」とする証言は、また聞きのものが多いのですが、これは梅沢少佐のすぐそばにいた人の証言です。今まで口をつぐんでいたのが残念なくらいですが、沖縄マスコミは軍側にいた人の話を聞かないので仕方ありません。渡嘉敷にいた知念さんという人など、一切取材されていないのに「鉄の暴風」に自分の心境を勝手に書かれたくらいですから。軍に近いところにいた人は無視し、出所不明で当時はまだ幼児だった人の証言だけを重要視するのが沖縄およびサヨクマスゴミの常套手段です。

 いくつか左寄りのブログも巡回しましたが、この件についてはほとんど触れられていません。産経新聞をチェックすらしないので記事自体の存在を知らないのか、知っていても「軍にいた人間の言うことなど信じられるか」とハナから否定しているのでしょう。でも、宮平さんは正式に軍に所属していた人ではなく、沖縄の人々から募集された防衛隊員です。もしも梅沢少佐が本当に自決命令とやらを出していたのなら、沖縄出身者である宮平さんが「軍命はなかった」などと言うはずがないと思いませんか。むしろ率先して、軍命はあったと証言していると思うんですが。

 ちょっと前の沖縄タイムスの記事を見ると、つい先月末に座間味で新しい証言集の発刊記念集会が開かれたようです。新しい証言集と言っても宮平さんの証言が書かれているのではなく、「集団自決が起こった背景に日本軍の強制があったのは明白」というような証言がたくさん載っているようです。今回宮平さんが口を開いたのは、このような動きがあったせいなのかもしれませんね。同時に、狭い島の中で宮平さんが孤立しないか心配であります。(ソース:悲劇の島から史実訴え/座間味村が証言集 1月31日付け沖縄タイムス)

 宮平さんには是非、梅沢少佐や故・赤松大尉の弟らが大江健三郎を訴えている裁判でも証言して欲しいですね。集団自決が起こったのは事実ですが、少なくとも渡嘉敷・座間味の二島においては、軍による命令などなかったと改めて強く主張します。

【追記】

 先の「11万人集会(笑)」で、高校生の参加者が「おじい、おばあがウソをついていると言うのでしょうか」てなことを言ってました。宮平さんにもきっとお孫さんがいらっしゃることと思いますが、宮平さんの言っていることは沖縄ではウソをついていると言われるのでしょうか。これまで、証言こそが最大の証拠だと言い張ってきた連中が、宮平さんの証言をどう受け止めるのか見物です。
posted by atsu at 22:51| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月09日

マイク・ホンダが来日されているようです

慰安婦への謝罪「首相が主導を」 米のホンダ議員(朝日)

 米下院で昨年採択された従軍慰安婦問題に関する決議を主導した日系のマイク・ホンダ議員(民主党)が8日、東京都内で記者会見した。決議は日本の首相の公式謝罪などを求めたが、「事実を認めて明確に謝罪し、政府として歴史的な責任を負う決定が国会で支持されるよう、福田首相が主導していくことを希望する」と述べた。

 また、「米国でもそうだが、(過去の歴史について)日本の一般の人々は十分な情報を持っていない。まず情報を得て何が正しい行動かを判断してほしい」とした。ホンダ氏は今回、日韓の国会議員らとの交流のため来日したという。





 いや、よく日本に来られたなと思いますね(この「られ」は尊敬表現の「られ」ですw)。誰に会いに来たのか知りませんが、是非とも従軍慰安婦を否定する国会議員とも面会してほしいものであります。

 このニュース、ネット上では朝日と赤旗と中央日報の記事しか引っかかりませんが、産経にも突っ込んだ記事を書いてほしいですね。ここはやはり、独占インタビューでも申し込まないと。取材を受けてもらえなければそれでいいんです。「マイク・ホンダは議論から逃げた」と書けますから。せっかく来たのだから、ここは有効利用するべきだと思います。ま、保守論壇の人が指をくわえて見てるだけなんてことはないと信じますがね。

 マイク・ホンダよ。自分が持っている情報とやらが正しいと信じるのならば、否定派との議論から逃げるな。せっかく日本に来たからには、否定派を黙らせるほどの論戦をしてから帰れ。
posted by atsu at 23:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月01日

なぜ彼は、虐殺を屠殺と言い換えるのか

【コラム・断】大江健三郎の“特権”(産経)

 大東亜戦争末期沖縄での集団自決の実態再検証に世論の関心が高まっている。大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書)の真偽を巡って係争中の裁判の報道もあった。その中に、えっと思う記述があったので『沖縄ノート』を読んでみた。

 第九章にこうある。
 沖縄住民に集団自決を強制した(と大江が断じている)元守備隊長は一九七〇年春、慰霊祭に出席すべく沖縄に赴いた。それは「二十五年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会」であった。

 自決強制の有無の検証は私の任ではない。私が驚いたのは虐殺者(大江の見解での)を屠殺者になぞらえていることだ。

 これ、いつから解禁になったのか。虐殺を屠殺になぞらえようものなら許すべからざる差別表現として部落解放同盟と屠場労組の苛烈な糾弾が展開されたことは言論人なら誰知らぬ者はない。

 一九八二年、俳優座のブレヒト原作『屠殺場の聖ヨハンナ』は改題してもなお激しい糾弾に遭い上演は困難を極めた。これについて部落解放同盟などは「だれだれの作品だから差別はないと“神格化”したものの考え方を一掃したい」と言明した。

 また、一九八九年には『沖縄ノート』と同じ岩波新書の『報道写真家』(桑原史成)の中の「戦場という異常な状況下では牛や豚など家畜の屠殺と同じような感覚になる」という記述が問題にされ、回収処分となった。

 だが『沖縄ノート』は一度も糾弾されずに今も出版され続けている。大江健三郎に限ってなぜ糾弾から免責されるのか。大江健三郎のみ“神格化”される理由は何か。かくも悪質な差別がなぜ放置されているのか。知らなかったと言うのなら、それは許す。だが、今知ったはずだ。岩波書店、部落解放同盟にはぜひ説明していただきたい。(評論家・呉智英)





 さすがごちえー先生、いいところを突きますね。

 大江は先日の公判において「赤松さんや梅澤さんの実名を出してないし、軍全体を批判するために書いたものだから名誉毀損には当たらない云々…」ということを述べてましたが、この文章で赤松さんを「屠殺者」と表現している以上、名誉の毀損は明らかだと思います。だって、赤松さんも梅澤さんも自決命令なんか出してないんですから、屠殺者と呼ばれる言われなんかありません。大江の論理は完全に破綻しています。

 それに私は、虐殺を屠殺と表現する大江の神経を疑いますね。

 屠殺という言葉は差別語だから使うなと言うのではありません。屠殺とは、食肉として加工するために家畜を殺すことを指すからです。私は日々、自分が食べるものを自分に代わって殺してくれている人たちには感謝の念を抱いています。宗教によっては神聖な仕事でもあるのだから、屠殺と虐殺を一緒にすべきではありません。

 もっとも中国語では、虐殺のことを指して屠殺という言葉を使います。南京事件の記念館も、向こうでは「南京大屠殺記念館」というふうになってますから。ま、大江が虐殺を屠殺と表現するのは、彼の心が日本人ではなく中国人であることを証明するひとつの手がかりなのかもしれませんね。中国人の感覚で物を書いているに違いありません。
posted by atsu at 23:32| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月09日

大江健三郎は物書きとしての責任を果たしたか

「訂正するつもりはない」と大江氏〜沖縄集団自決訴訟(産経)

 先の大戦末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする本の記述は誤りとして、当時の守備隊長らが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店に損害賠償や書物の出版・販売差し止めなどを求めた訴訟は9日、大阪地裁(深見敏正裁判長)で引き続き口頭弁論が行われ、大江氏が出廷した。

 本人尋問で大江氏は「参考資料を読み、執筆者に会って話を聞き、集団自決は軍隊の命令という結論に至った」と述べ、軍命令説の正当性を主張した。

 今回の訴訟で大江氏が証言するのは初めて。訴訟は、来年度の高校日本史の教科書検定で、集団自決を「軍の強制」とした記述を修正した根拠にもなったが、その後、教科書会社が削除された記述を復活させる訂正申請を出している。

 大江氏は座間味、渡嘉敷両島の元守備隊長2人が直接自決を命じたかどうかについては「書いていない」としながらも住民に手榴(しゅりゅう)弾が配布されたケースがあると指摘。「当時は『官軍民共生共死』の考え方があり、住民が自決を考えないはずがない」と軍の強制があったと述べた。また、自著『沖縄ノート』について「日本軍の責任を明確にしたかった。強制において(集団自決が)なされたことを訂正するつもりはない」と語った。

大江健三郎の証言の詳細はコチラ
【沖縄集団自決訴訟の詳報(4)】大江氏「隊長が命令と書いていない。日本軍の命令だ」
【沖縄集団自決訴訟の詳報(5)完】大江氏「責任をとるとはどういうことなのか」





 注目の裁判は佳境を迎えました。私はこないだから、大江が出てきていったい何を喋るのか、果たして「物書きとしての責任(by ウソを百万遍言って真実にしちゃった鎌田先生)」をまっとうできるのか、とても期待していました。でも、やはり期待通りにはなりませんでしたね。大江には、こちらが反論できなくなるほどの「軍命令の根拠」を示してほしかったんですけど、私の心に響くようなものは何もありませんでした。

 結局のところ、彼の著書「沖縄ノート」は、「鉄の暴風」の引用本に過ぎないことが本人の口から証明されたようです。せめて、渡嘉敷か座間味を訪れて島民から話を聞けば少しはマシだったと思いますが、彼はジャーナリズムの基本である取材活動を激しく怠っています。「軍命令があった」と書いてある本を読み、その本の著者から話を聞いただけで、軍命令を確信してしまうのだから始末が悪いですよね。プロなら普通は裏を取って、それが真実なのか確かめるものですよ。

 しかも、大江の証言を読むと、時代の空気がそうさせたんだみたいなことを言っているんですよね。例えば、このあたり。以下引用。

被「陳述書では、軍隊から隊長まで縦の構造があり、命令が出されたとしているが」

大江氏「はい。なぜ、700人を超える集団自決をあったかを考えた。まず軍の強制があった。当時、『官軍民共生共死』という考え方があり、そのもとで守備隊は行動していたからだ」

被「戦陣訓の『生きて虜囚の辱めを受けず』という教えも、同じように浸透していたのか」

大江氏「私くらいの年の人間は、子供でもそう教えられた。男は戦車にひき殺されて、女は乱暴されて殺されると

被「沖縄でも、そういうことを聞いたか」

大江氏「参考資料の執筆者の仲間のほか、泊まったホテルの従業員らからも聞いた」

被…被告側代理人


引用ここまで。

 青字の辺り、軍命否定派が言っていることと同じです。軍の命令がなくても、敵が迫ってくれば自決に走る土壌が当時の日本人にはできてしまっていたわけです。私だってそれがいいことだとは思いませんけど、そういう意識を植えつけた皇民化教育からこじつけて「軍の命令」にもっていくのはかなり乱暴です。途中までは我々と同じ考えなのに、どうして結論が180度変わってしまうのか。

 さらに大江が卑怯だと思うのは、今になって赤松・梅沢両氏の実名は書いていないことを強調している点です。でも、他の資料には両氏の実名が出ていたわけだし、大江の著書には書いてないからといって責任逃れはできないでしょう。


 大江が頑なに信じる「軍の命令」とやらは、結局はそうであってほしいという願望の現われでしかないようです。だいたい、軍の命令がなければ自決はあり得ないとするならば、サイパンのバンザイクリフや樺太の真岡郵便局の説明がつきません。どうして沖縄においてだけ、軍の命令が必要だったのかの根拠を私は知りたかったです。
posted by atsu at 23:08| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月04日

冷静な反戦論のほうが心を打つ

 昨日(3日付)の東京新聞に、こんな投書が載っていました。私の考えとかなり合致する良い意見なので、ここで皆さんに紹介したいと思います。




戦争の本当の姿伝えて(3日付東京新聞掲載)
埼玉県小川町 無職 S・Sさん 84歳 女性

 昭和二十年二月、私は学徒勤労動員で工場に行きました。半年後の終戦の詔勅の日、学校に引き揚げることになった時、工場の班長が、「米軍が上陸してきたら、男は殺され女は陵辱を受けるだろう。その時が来たらこれで自決しなさい」と言って、製品に使っていた青酸カリを小瓶に入れてくれました。その時の班長の目はうるみ、優しささえあったと今でも記憶しております。

 思えば、直接戦場と化した沖縄において、軍人から万一の時には自決せよと手りゅう弾を手渡されたことは事実でしょう。しかし、その自決を「強制」という言葉だけ強調するのも真実ではないのでは、とも思います。軍人も、このまま生きていればどんなことになるか、と思って、心で泣いて手りゅう弾を手渡したのではないでしょうか。

 それを使って早まって自決した方々は、本当に不幸でした。軍人として沖縄戦を経験された方と、沖縄の戦争体験者の方々と隅ずみまで話を聞き、これが戦争だという本当の姿を素直に伝えれば、これこそが反戦教育でありましょう。

 私は終戦の年の三月、東京最初の下町の大空襲で工場に来なくなった級友の安否を調べるために、翌日その地を訪ねました。見渡す限りの焼け野原に累々と横たわる死体。ふと立ち寄った警察署に頼まれて、その日から一週間死体処理の手伝いをしました。

 また、その二カ月後、今度はわが身が雨のように降り来る焼夷弾の中を逃げ惑い、目の前で直撃を受けた人を助けることができず、踏み越えて逃れたこともあります。

 「ああ、戦争って、死ぬのは軍人さんだけではないのだ」と身にしみて怖気をふるいました。どうか、本当の戦争の姿を伝える強い国民になりましょう。





 投書主の方は、実に冷静に、戦争を振り返ってらっしゃると思います。感情的に被害を強調する沖縄の人たちよりも、こういう冷静な文のほうが私の心を打ちますね。こないだは東京新聞をたっぷり批判しましたけど、この投書を掲載したことは素直に評価します。あとは、この投書に対する感情的な反論が載らないことを祈るだけですね。

 集団自決を「強制だ強制だ」と騒いで、挙句「強制集団死」という新たな言い換えを進めているような人たちは、あまりに戦争を一面的に捉え過ぎています。やはりあの時代は、敵に捕まったり殺されたりするくらいなら潔く自決するという感覚が色濃く残ってましたし、通州事件などの影響で捕虜になったらどんな酷い仕打ちを受けるか分からない状況でした。

 沖縄の人たちも、家族が散り散りになって米軍に殺されるくらいなら、みんな一緒に死のうと思ったのだと思います。自決のために手榴弾を求める人たちに、沖縄出身の防衛隊隊員が親切心から手渡してしまうのも無理はないと思います。そういう事情を全て無視して、集団自決の全てが強制されたものだと主張するのは、ご先祖様に対する冒涜ではないでしょうか。


 では、もうひとつ投書を紹介します。これは今日(4日)の毎日新聞に掲載されていたものです。




丸刈りの私 手投げ弾を渡された(4日付毎日新聞掲載)
奈良県大和高田市 主婦 O・Aさん 81歳 女性

 沖縄戦の集団自決のことがいろいろ言われていますが、戦前の軍隊がどんな集団であったかは、実際に経験した人でなければ分かりません。

 私は、中国で陸軍の船舶司令部で書記をしていました。一言では言い表せない強制的な軍規も知っています。内地に帰りたいと思い、涙したこともありましたが、難しい試験を通って来たのですから、覚悟はしていたことです。

 終戦時は「女がいると分かれば大変なことになる」と言われ、丸刈りにして初年兵の軍服に日よけのついた戦闘帽、思い軍靴で、内地に戻る日を待ちました。戦陣訓にある「生きて虜囚の辱めを受けず」を守る覚悟でした。いざという時のため、上官から手投げ弾を渡されました。それを使用せず、昭和20(1945)年暮れ、無事に鹿児島港に上陸できた時は、本当に生きて帰れたことが夢のようでした。

 手投げ弾は貴重な武器です。沖縄で住民が手投げ弾を持っていたことや軍隊の性質を考えれば、軍の関与、強制がなかったと言うのはおかしいと思います。





 この投書、途中まではいいのですが、どうして最後はそういう結論になるのか不思議です。

 投書主の方はいざというときに使えと手榴弾を渡されたそうですが、幸いにもそれを使う機会は訪れませんでした。ということは、自決の強制などという話では全くないと思います。強制とは、何が何でも今ここで死ねと言われることです。手榴弾を持たされるだけでは、強制とは言えません。

 また、軍の性質を考えれば強制がなかったと言うのはおかしいとのことですが、投書主さんがいた部隊の上官は、投書主さんをきちんと守っていてくれてますよね。なぜ、投書主さんを丸刈りにして男装させたかというと、言うまでもなく強姦されないようにです。投書主さんが中国のどの辺りにいたのかは知りませんが、満州だったら鬼畜並みのソ連兵が跋扈してそれはそれは酷い状況でした。現在81歳の投書主さんは当時は19歳のうら若き乙女でしたから、ソ連兵に見つかれば間違いなく強姦されていたでしょう。でも、上官の機転によってどうやらそれは免れたようで何よりでした。

 軍人が自分たちの身の安全しか考えないのであれば、そんなことに気を回してくれはしないと思います。手榴弾を渡したのもその延長上でしょう。手榴弾は自決に使うためだけではなく、犯されそうになったときには身を守る武器にもなると思います。今から犯そうとしている娘が、手に手榴弾を持って今にもピンを抜こうとしていれば、いくらソ連兵でも一瞬怯むでしょう。「いざというとき」にはそういうケースもあり得るのではないでしょうか。


 沖縄の人たちは、今はちょっと頭に血が上りすぎているのかもしれません。その根底には、教科書から「強制」という言葉が消えることで、いずれは「集団自決」という事実まで否定されていくのではないかという不安があるのではと八木秀次さんが言ってました。でも、その心配はいりません。集団自決はなかったと言っている人は、誰もいませんから。問題は、軍による強制があったかなかったかなのです。

 教科書が不正確な記述に戻りつつあるのは残念ですが、沖縄の人たちには冷静さを取り戻してからもう一度歴史を見つめなおしてほしいですね。間違っても、本土のマスゴミやキチガイ反戦団体にいいように利用されないようにして下さい。
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2007年10月30日

鎌田慧先生のお言葉に感動

本音のコラム 見たくないのココロ 鎌田慧(30日付東京新聞特報面より ネット上のソースなし)

 ウソも百万遍いえば、ホントになるとかいわれている。九月二十九日の沖縄・宜野湾海浜公園でひらかれた、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の集会が、県内外から十一万人もあつめて、政府をあわてふためかせたが、早速、その人数にケチをつけ、検定を支持するひとたちがあらわれた。

 月刊の『WiLL』は、右派ライターの屋内運動場のような雑誌だが、十二月号では、「集団自決」の特集を組んでいる。まず、渡部昇一さんが、沖縄の新聞を、型どおり「左翼メディアの巣窟」と決めつけたあと、「…朝日新聞で『十一万人の大集会』と報じられましたが、実際にテイケイ(株)の会長がプロジェクトチームを作り、写真を拡大して一人一人、塗りつぶしながら数えるという膨大な作業の結果、二万人にも満たないことが判明しました」と書いている。

 単純な足し算もできないチームだったようだ。こんどは、藤岡信勝さんが、熊本大学生のグループの「マジックで潰して」の計算に依拠して、一万三千三十七人、と鬼の首を取ったようにはしゃいでいる。あとふたりの筆者も、一万三千人、二万人と書いて臆面もない。

 各紙がヘリコプターから撮影した当日の写真をみても、一万とか二万にしかみえない。事実を認めようとしない。見たくない人には、見えないのかもしれないが、物書きとしての責任があるでしょう。
(ルポライター)





ウソも百万遍いえば、ホントになるとかいわれている。

 いや、まったく鎌田先生のおっしゃる通りですね。ホントにそれは正しいと思います。さすが、これまでにウソを百万遍も一千万遍も言って、南京大虐殺とか従軍慰安婦とかをホントにしちゃった左派の人が言うと説得力がありますわ。先生は、自己の経験に基いておっしゃってるんですよね? いやぁ、肝に銘じたいです。

 右派勢力の弱いところはそこなんですよね。だけど、真実はひとつしかありませんが、ウソはいくつでも捏造できるから、やはり量的にいうと不利なワケですよ。だけどまあ、これからも諦めずに右派ライターがやるべきことは「真実を百万遍言ってこれまで真実とされてきたウソを暴くこと」でしょう。左派の方々を反面教師にして、今後も励んでいきたいと思います!


 ていうか、私はこのコラムを読んで、「この人頭大丈夫?」と思いました。前からこの人は「死刑を廃止しない日本は低人権国」とか、ワケの分からないことばかり言っているので嫌いでしたが、このコラムは特に酷すぎます。

 だってあなた、集会参加者数の検証は琉球新報の一面に載った写真を使って行われたんですよ。それを数えたら現実に2万人くらいしかいなかったのに、「あの写真を見ても一万とか二万にしか見えないのはおかしい」との主張はおかしいです。むしろ、実数が2万人しかいないものを、11万人いると信じ込むほうが現実が見えていないと言わざるを得ません。だったらお前もひとつずつ塗りつぶして数えてみろと。

 写真に写っていない部分にも人がいるかもしれないことを考慮し、なるべく多く見積もっても警察調べの4万人がせいぜいでしょう。11万人いるとなると、会場の中に2万人いて、外に9万人もいることになります。普通に考えたら、それはあり得ないことくらい分かるでしょう。

 写真に写っている人の実数を突きつけられてなお、どうして11万人だと言い張れるのかを考えてみました。すると行き着いた答えは、かなり非科学的なものなんですけども、鎌田先生の目には行きたくても行くことができなかった人の生霊とか、集団自決で死んだ人の霊も見えているのではないかというものです。なるほどそれなら、我々の目には見えないけれどあの場に11万人、いや20万人、いやいや140万人の人々が集結していても何らおかしくないわけです。鎌田先生は、そうした人々の思いが見えないのはおかしいとおっしゃっているのですね。なるほど、確かにそれは我々軍命否定派には全く見えませんわ。そういうことで納得することにします。


 さて、鎌田先生に「右派ライターの屋内運動場」呼ばわりされた「WiLL」(WiLLの連載陣には岡留安則や爆笑問題もいるのに、こいつらがいつ右派ライター認定されたんだ?)ですが、12月号は読みごたえ十分ですよ。特に私が目を見張ったのは、実際に集団自決が起こった渡嘉敷島で当時中隊長を務めていた皆本義博さんの記事です。

 この記事の中には、鎌田先生のような人が絶対に認めたくないであろう「真実」がふたつ書いてあります。

 ひとつは、先の県民大会に、当の渡嘉敷島から誰も参加していなかったという真実です。

 そりゃそうですよ。渡嘉敷島では、自決命令を出したとされる赤松大尉が自分たちの要請を受けて命令を出したことにしてくれたことを知っています。渡嘉敷島ではもはや、軍命などなかったことが明らかなわけです。従って、ウソで塗り固めたあんなプロパガンダ集会に行く人がいるわけがありません。

 もうひとつは、今でも皆本さんらが慰霊のために渡嘉敷島を訪れると、島民に大歓迎を受けているという真実です。

 どこの世界に、自分たちを死に追いやった人間を喜んで迎える人々がいましょうや。皆本さんも「もし集団自決が軍の命令で、住民の方々が軍を怨んでいるのならば、こんな歓迎を受けるはずもありません」と言っています。確かにそのとおりだと思います。


 まあいずれの「真実」も、サヨクはどうせ否定すると思います。そもそも彼らは、旧軍人の言うことなど信じないでしょうから。でもこれが、いちばん初めに、もっとも悲惨な集団自決が起こった渡嘉敷島における真実です。過去に赤松大尉が慰霊に渡嘉敷島を訪れた際も、島は受け入れる予定だったのに、沖縄本島で猛烈な反発を受けて結局島には渡れませんでした。当時はまだ渡嘉敷島の人も本当のことを告白していませんでしたけど、本当のことを分かっているから赤松大尉を招いたのだと思います。なのに、本島のサヨクがそれを阻んだわけです。赤松大尉はよく耐えたなと思いますね。それも、渡嘉敷島民のことを思ってのことだったわけです。終戦時、赤松大尉は今の私よりも年下の25歳でしたが、まさに軍人の鑑と言っていいでしょう。

 赤松大尉は昭和25年に発刊された「鉄の暴風」以来、まるで悪の権化のように蔑まれてきました。面識もない大江健三郎には、「あまりにも巨きい罪の巨魁」とまで言われました。それでも決して自分の口からは真実を語らず、墓場まで持っていかれたわけです。私が赤松大尉の立場だったら、すぐにベラベラと本当のことを喋って楽になろうと考えるでしょう。だけどそれを言ったら、島民が遺族年金のためにウソをついていることがばれてしまうので、赤松大尉は固く口を閉ざしました。近年、良心の呵責に耐えかねた渡嘉敷村の元職員が本島のことを話しましたが、それでもなお赤松大尉が命令を出したと信じるサヨクには閉口します。


 鎌田先生のようなバリバリのサヨクにはもう何を言ってもムダでしょうが、「軍の命令はやっぱりあったんじゃないかなぁ」くらいに漠然と考えている人には、次のように問いかけたいです。

 「鉄の暴風」のみを根拠に渡嘉敷島に一度も足を踏み入れないで「軍による自決命令はあった」と主張する大江健三郎と、実際に渡嘉敷島に行って集団自決の遺族を丹念に取材した上で「軍による自決命令を裏付けるものは何も見つからなかった」という曽野綾子さんと、どちらの信憑性が高いと思いますか?

と。私は、足を使った丹念な取材に勝るものはないと思います。

関連エントリ:今、一番行きたくない都道府県は沖縄です(24日)


【追記】

 WiLLの皆本さんの記事のもとになったチャンネル桜の番組を見つけたので張っておきます。ごうぞご覧あれ。

posted by atsu at 23:02| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月24日

今、一番行きたくない都道府県は沖縄です

【産経抄】(10月24日)

 相撲好きの三遊亭円楽師匠がお得意だったネタの一つに「花筏」がある。ある相撲部屋が、地方巡業に出ることになった。ところが、看板力士の大関・花筏が病気になってどうしても行けない。困った親方は一計を案じた。

 ▼花筏に姿形がそっくりな近所の提灯屋に「座っているだけでいいから」と小遣いや巡業先での接待をエサに同行を頼み込んだのだ。二つ返事でついていった提灯屋、無事に千秋楽を迎えたのだが…。

 ▼今風に言えば「偽装大関」の一席だが、インド洋での給油量ごまかしから比内地鶏に至るまで次から次へと明るみに出てくる現代の偽装はまったく笑えない。福田首相ならずとも「もういい加減にしてほしい」とうんざりしてしまう。

 ▼そういえば、沖縄戦の「集団自決」に関する教科書検定が気に入らないと先月、沖縄県宜野湾市で開かれた集会の参加者数も偽装されたままだ。小紙や日経新聞(西部版)などが、警察調べの4万人強説を報じ、航空写真をもとに2万人弱説を唱える専門家もいるのに、主催者側は11万人説を訂正しようともしない。

 ▼地元紙によると、沖縄県知事は「15万人、いや20万人いたかも」と開き直っているという。防衛省は米補給艦への給油量80万ガロンを20万ガロンと過少に公表してしっぺ返しを食らっているが、事実を正直に語れないのは防衛省も沖縄県も似たようなものだ。

 ▼落語では、震えながら土俵に上がった偽装大関が、本物と思いこんで足がすくんだ村の力自慢を張り手で倒して下げとなる。今の世もばれさえしなければ、偽装した方が勝つのだろうか。いやいや、赤福のようにいつか嘘はばれる。天網恢々、疎にして漏らさず。正直こそ美徳という日本人の道徳観を失ってはならない。





>「15万人、いや20万人いたかも」

 まったく、仲井真知事もトチ狂ってますね。ありえない数字をそこまで誇示しようとするやり方には、失笑するしかありません。そのうち、どっかのバカが「真の参加者数は140万人、いや、もっといたかも。沖縄県人なら誰でも参加したいと思っていたはずだからだ!」とか言い出しそうで怖いです。

 とは言え沖縄にだって、集団自決は軍命によって起こったものではないと考える人はいるでしょう。でも、今はそんな意見は封殺されているんですよね。沖縄タイムスや琉球タイムスといった沖縄マスゴミがそういう意見を酌むわけがないし、それ以前に軍命否定論を唱えたら沖縄で生きていけなくなりそうです。今の沖縄には言論の自由がないと思います。

 ベクトルの方向が違うとはいえ、そういう雰囲気はまるでサヨクが言うところの戦前のようです。でも、きっと彼らはそのことに気付いていないのでしょう。平和のためなら、自分たちと敵対する意見は潰してもいいと本気で思ってそうですからね。恐ろしいことです。

 今月末に発売される「わしズム」は、「全体主義の島 沖縄」と題して沖縄特集を組むそうです。創刊以来しばらく買ってなかった同誌ですけど、久しぶりに食指が動きそうです。沖縄に多く配本されるように手配したとのことですが、さて、沖縄県民の反響やいかに。沖縄マスゴミは青筋立てて攻撃するでしょうけどね。
posted by atsu at 23:55| 東京 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月16日

進歩しているようで、やっぱり相変わらず

東亜日報「日帝時代、韓国は近代化」 多角的な見直し強調(産経)

 【ソウル=黒田勝弘】「日帝時代は暗鬱な時代ではなく、資本主義が根を下ろし、すべてが新しく始められるダイナミックな時期だった」−韓国が「日帝時代」と称される日本支配から解放された記念日の15日、韓国の有力紙・東亜日報が最近の韓国の学者のこんな主張を紹介しながら、日本統治時代の歴史を多角的に見直す必要性を強調する論評を掲載した。

 「日帝時代の再構成」と題するこの論評は洪賛植論説委員の手になる。「学界の日帝時代研究が新しい段階に入りつつある」とし、韓国で「植民地近代化論」として活発な1930年代研究などを紹介するとともに、解放記念日である「8・15光復節」は「日本に対する怒りを噴出し、過去を“他人のせい”にして終わるのではなく、歴史から教訓と知恵を学び、再び国を奪われないよう省察の日にしなければならない」と、日本非難より反省を強調している。

 論評は最近、学者、研究者の間で従来の「収奪論」に対抗し「近代化論」の成果が相次いで発表されているとし、たとえば日本統治時代の1910〜45年の経済指標の分析から「年平均の経済成長率3.7%は当時の先進国の1%より高く、人口も1633万人(10年)から2430万人(40年)に増えるなど(従来の貧困説とは逆に)経済事情はよかったという証拠が出され、収奪論で過去を認識してきた人びとを当惑させている」と指摘している。

 また20〜30年代の韓国(朝鮮)の新聞、雑誌の調査、分析から、韓国に近代文明が導入され韓国人が近代化、都市化によって変化する様子を調べ「日帝時代は必ずしも暗くなかった」とする学者の研究成果も紹介した。

 論評は「歴史の真実はおそらく“収奪論”と“植民地近代化論”の間のどこかに位置するのだろうが、最近の(両者の)論争はわれわれが忘れたがっている歴史に対する関心を取り戻すのに意味がある」としている。

 韓国ではメディアや政治・外交が依然、慰安婦問題や抗日独立運動などを素材に“暗黒の日帝時代”を強調している半面、若手の学者、研究者を中心に近年、歴史を多様、多角的に見ようという動きが出ている。





 ( ´_ゝ`)フーン 、やっと韓国人も、歴史を冷静に客観的に見つめられるようになってきたんですかね。いつまでも全てを日本のせいにしたところで、これ以上の進歩が望めないということに気付いたならそれはいいことだと思います。

 それでも、やっぱり韓国は韓国。このニュースの元記事を探しに東亜日報のHPに行ったら、思いがけずこんな記事を見つけました。




日本、端島の建築物の世界文化遺産登録を推進(東亜日報)

 日本の植民地支配期に強制徴用され、日本に連行された朝鮮人たちが滞在した建物を、日本の地方自治体が国連教育科学文化機関(UNESCO=ユネスコ)の世界文化遺産に登録しようとしていることが確認された。

 日本による植民地支配下の強制動員被害真相究明委員会(以下、真相究明委)は、日本の長崎市が、端島のいくつかの建築物を世界文化遺産指定を受けるため、ユネスコへの登録を推進していると14日、明らかにした。

 真相究明委は、日本の市民団体である「長崎在日朝鮮人の人権を守る会(守る会)」を通じてこのような事実を確認したと説明した。

 長崎市は、市のホームページでも、「1910年に建てられた端島の建築物は、日本初の鉄筋コンクリートの住居用建造物で、近代化の遺産であることから、世界文化遺産の登録を推進している」と明らかにしている。

 真相究明委によると、建築物の相当数は、1939年から1945年に強制徴用された朝鮮人約500人が、端島炭鉱で働き、日本人労働者とともに生活した場所だ。

 また、守る会が端島炭鉱の死亡者の「埋・火葬記録書」を確認した結果、当時、朝鮮人強制徴用者122人が端島で死亡し、死因は、頭蓋骨陥没、溺死、圧死などだった。

 長崎港から西南に約18.5キロ離れた端島には、海岸線に沿って4階から7階建の高さのコンクリートの建物が約10棟ある。

 同島にある端島炭鉱は、日本の三菱が所有し、太平洋戦争当時、日本で石炭生産量の最も多い炭鉱の一つだった。

 真相究明委側は、長崎市が朝鮮人強制徴用などの歴史的罪過をもみ消し、無人島となっている端島を観光地として開発しようと考えていると批判した。

 長崎市のこのような動きに対して、端島炭鉱に強制徴用された被害者の朴ジュング(87)氏は、「あの島は、高い防波堤と荒い波で脱出を考えることすらできない、それこそ生き地獄だった」と回想した。朴氏はまた、「朝鮮人たちは、戦争末期の危険な作業に集中投入され、炭鉱管理人たちの暴力に苦しんだ」と話した。

 真相究明委の李ジェチョル広報担当官は、「長崎市が、朝鮮人たちの『恨』と苦しみの残る端島を世界文化遺産に登録しようとすることは、日本政府の『暗い歴史を消す』ことと同じ脈絡である」とし、「今後、長崎市の動きによって、適切な措置を取る」と述べた。





 朝鮮人が働かされていた場所だから、軍艦島の世界遺産登録はけしからんとのたまってます。こういうのはまさに韓国クオリティですね。長崎市が「それとこれとは別」と突っぱねてくれればいいんですけど、韓国からのクレームが来たら即座に撤回しそうで嫌ですね。

 歴史の古い炭鉱やら鉱山やらは、それなりに負の歴史も刻んでいるものですよ。公害もあったし、過酷な労働もあったろうけど、それは日本人も同じこと。こんなことを言い出したら、近代の産業遺構なんてどれも文化財や世界遺産にはできなくなると思います。

 ま、軍艦島が世界遺産に相応しいのかどうかはとりあえず措いておきますけどね。私としてはいつかぜひ行ってみたいので、観光開発がなされればどちらでもいいんですが。
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2007年08月05日

中韓の走狗、マイク・ホンダは止まらない

次は米兵捕虜補償 中国系反日組織 ホンダ議員と会談(産経)

 【ワシントン=山本秀也】米下院で慰安婦問題をめぐる対日非難決議採択を主導したマイク・ホンダ議員(民主党)が、先月30日の決議採択後、「世界抗日戦争史実維護連合会」(GA)など、米国、カナダの中国系反日組織の主なメンバーと会談していたことが分かった。組織側は、第二次世界大戦中の米兵捕虜に対する補償問題を新たな対日活動の目標として取り上げる方針を示したほか、カナダ国会での慰安婦決議案採択も急ぐ構えだ。

 ホンダ氏は決議採択後の記者会見で、採択実現に向けた同連合会の支援に「感謝」を表明していたが、決議後の連携維持を示す会談はこれまで確認されていなかった。

 米国で発行される中国語紙「世界日報」によると、会談は国会内のホンダ議員の事務所で行われ、同連合会世界総会(サンフランシスコ)の張昭富氏らのほか、カナダで連帯活動を進めるジョセフ・ウォン(王裕佳)氏が参加した。

 出席者はホンダ氏への謝意を伝え、決議採択を「大戦の史実を示す活動にとり重要な一里塚だ」と評価。ワシントンで活動する蔡徳●氏は、米兵捕虜に対する補償問題を筆頭に、各地の組織と連携して「日本の戦争犯罪」に関する案件に取り組む考えを示した。

 さきの大戦中の日本企業による米兵捕虜の強制労働は、過去にも元捕虜による米国内での対日訴訟やこれを支援する法案が米下院に上程されているが、「サンフランシスコ講和条約で解決済み」とする日米両政府の了解や、連邦最高裁の棄却判断(2003年)で沈静化していた。

 一方、カナダの中国系組織は棚上げ状態にある同様の決議案の採択を促す署名活動を展開、同国会での採択を目指す。「日本は戦後のドイツにならい戦争犯罪を反省すべきだ」と訴えており、米下院での決議を弾みにした活動を展開する構えだ。





 慰安婦決議だけには留まらず、次は「米兵捕虜強制労働非難決議」ですか。完全に調子こいてますな、マイク・ホンダと中共の手先どもは。さしずめ、

「日本がッ、泣くまで、殴るのをやめないッ!」

つもりなんでしょうねぇ。

 しかしまぁ、米兵捕虜の扱いに関する非難を今さら出されてもねぇ。そもそも、米兵捕虜を虐待したとされる日本兵たちは、お前ら連合国によるBC級戦犯法廷でみんなリンチにされたでしょうが。それでもなお、日本が責任を取っていないとでも言うのですか? 中には無実の罪で命を奪われた人だってたくさんいるというのに。

 さすがにアメリカの議員にも、こんな馬鹿げた決議に乗っかるヤツは稀だと思いますが、日本政府もただ黙って見ているだけじゃダメですよ。コイツをのさばらせておいたら、どんどん冗長します。もう、コイツは日本を叩いて中共にヨイ子ヨイ子してもらうのが生きがいなんですから、放っておいたら次から次へと日本非難決議を出しますよ。次は南京、その次は毒ガス、さらにその次は真珠湾…と、枚挙に暇がないでしょう。
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2007年08月01日

日本人は「慰安婦決議」に対して怒れ!

慰安婦決議案採択 米下院(産経)

 【ワシントン=有元隆志】米下院は30日の本会議で、慰安婦問題に関する対日非難決議案を採択した。決議に法的拘束力はないが、日本政府に公式謝罪を求めている。決議案の共同提案者は下院議員総数435人のうち167人に上ったものの、決議案が採決された際に本会議場にいたのは、わずか10人程度。発声による投票の結果、出席者から異論は出なかったため採択された。

 ペロシ議長ら下院指導部は、参院選に影響を与えることを避けるため、採決の日程を選挙後の30日に設定した。上院には提出されていない。

 この日、ラントス外交委員長(民主党)が趣旨説明を行った後、決議提案者のホンダ下院議員(民主)らが演説した。共和党からもロスレイティネン外交委筆頭理事らが賛成演説を行った。反対演説はなかった。

 ホンダ議員は採択後の記者会見で、「決議は日本政府に対し、公式で明確な謝罪を慰安婦に行うよう求める強いメッセージだ」と述べ、日本政府の公式謝罪を求めた。

 慰安婦問題をめぐっては、安倍晋三首相が4月末に訪米した際、ペロシ議長ら議会指導者との会談で、「人間として首相として心から同情している。そういう状況に置かれたことに申し訳ない思いだ」と語った。

 ブッシュ大統領は首脳会談後の共同記者会見で、「首相の謝罪を受け入れる」と首相の対応に理解を示しており、日米政府間では事実上解決済みとなっている。

 これまで慰安婦決議案は4回提出され、昨年秋には外交委で可決されたものの、本会議では採決されず廃案になった。

 一方、下院外交委員会は31日、アジア・太平洋地域の安定強化や、テロとの戦いにおける日本の役割について謝意を示す決議案を採決する。ラントス委員長やホンダ議員も共同提案者となっている。慰安婦決議で日本非難をしたため、日本への謝意を示すことでバランスをとるねらいがあるとみられる。





 今回のことで、アメリカの下院には真実とウソの区別もできない低能議員がたくさんいるということが分かりました。私も、アメリカへの態度を考え直さねばならないと思っています。中朝韓による日米離間工作だから過剰に騒ぐなと言う人もいますが、仮にそうだとしても、中朝韓のそんな工作にまんまと乗せられる議員がこんなにいるということに失望です。

 ここは、日本人として怒らなければなりません。アメリカがこれ以上調子に乗るのならば、私の口からいつ「何で国土を削ってアメリカに基地を提供せなあかんねん」「何で辺野古の綺麗な海を犠牲にして基地を作らせなあかんねん」「何で米軍なんぞに思いやり予算をやらにゃならんねん」「何で日本がアメリカの戦争をお手伝いせなならんねん」というセリフが飛び出すか分かりませんよ。そして、「9条を改正して自衛軍を創設した後、日米同盟を破棄!」と続くわけです。もうアメリカなんぞ信用ならないから、自分トコでしっかり防衛しなくちゃならなくなるかもしれませんね。


 まあそれはさておき、骨子を見るとこの決議は酷いものです。およそ、自由を標榜する国家の議会が出したものとは思えません。

・慰安婦制度は日本政府による強制的売春

・一部教科書や公職にある者が問題を軽視

・日本政府が歴史的責任を認め首相の公式声明で謝罪すれば問題再燃を防げる

・日本政府は旧日本軍のために女性を性的奴隷にしていないとの主張を容認すべきでない

・日本政府は元慰安婦への国際社会の声に耳を傾けるべきだ

・日米同盟はアジア地域の要


 これだけ見ても、この決議を作った人間が問題の本質など何も理解していないのが分かります。問題の核は「日本政府が強制連行したかどうか」であって、それは悉く否定されているのに、そんなことは考慮もせず「強制的売春」と決め付けています。彼らは未だに、吉田清治の詐話を真実だと信じて疑わないんでしょう。吉田のホラ話なんか、出た直後に韓国の新聞によって否定されているというのに。

 しかも「日本政府は旧日本軍のために女性を性的奴隷にしていないとの主張を容認すべきでない」というのは凄すぎる要求ですよ。日本政府は、従軍慰安婦を否定する言論を弾圧せよと命じているのです。この文は、本当にアメリカで作られたものなのか怪しくなりますね。本当は中国か北朝鮮で作られたんじゃないかと。

 したがって、この決議を受け入れる日本人がいたならば、それは日本国憲法に反することになります。日本国憲法第21条には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」としっかり書いてありますから、政府が否定論を弾圧したら、これは違憲ですよ。言論の自由・表現の自由を標榜するマスコミ(特に政府が何か口出しする度にギャーギャー騒ぐサヨクマスゴミ)の皆さんは、アメリカのこの横暴に反発しないのでしょうか。これに反発しない言論人は、今すぐにその職を辞すことをお勧めします。


 この決議の仕掛け人であるマイク・ホンダも、今は念願かなってさぞかしご満悦でしょう。これで中国系団体からの献金も増え、次の選挙も安泰だとほくそ笑んでいるんじゃないかと思います。東京新聞に彼のコメントが載っていましたが、読んだら腸が煮えくり返りましたよ。




ホンダ議員『公式謝罪への議論期待』(東京新聞)

 【ワシントン=小栗康之】米下院が三十日の本会議で日本政府に従軍慰安婦問題での公式謝罪を求める決議を採択したことを受け、提案者のマイク・ホンダ下院議員(民主党)は連邦議事堂内で記者団に対し「今回の採択は日本の政治的指導者に対する強いメッセージだ」などと述べ、日本政府が決議を踏まえ公式謝罪するよう求めた。

 ホンダ議員は「安倍晋三首相がわれわれの友情の言葉に耳を傾けることを期待する」と強調。公式謝罪の実現に向け「日本国内で議論が進むこと」へも期待感を示した。

 さらに「問題はこれで終わったとは思わない」と述べ、公式謝罪の実現に向けて取り組みを継続する意向を示した。

 一方、「決議は日本国民を非難しているわけではない」と強調。「日本が謝罪すれば日米関係はさらに強まり、日本国民や日本政府に対する称賛は高くなるだろう」と日本国民の理解を求めた。





>「安倍晋三首相がわれわれの友情の言葉に耳を傾けることを期待する」

 白々しい。何が「友情」ですか。あなたが友情を感じているのは、日本じゃなくて中韓でしょうが。本当に友情を抱いている人間は、友人に冤罪をひっかぶせてまで非難したりしません。あなたがそんなことを言うのなら、日本政府は本当に友情に基いて、友人が犯した原爆投下という罪を批判し、悔い改めさせますよ。

>「決議は日本国民を非難しているわけではない」

 何を言うか。これは、日本国民全員に対する侮辱ですよ。決議は、我々の祖父・曽祖父らの世代を強姦魔呼ばわりしているわけです。私の曽祖父も中国に従軍したことがあるそうですから、もしかしたら慰安所を利用したことがあるかもしれません。もしそうだとすると、決議は私の曽祖父を強姦魔と呼んでいることになります。きちんと料金を払って合法的に利用していた軍人を捕まえて、強姦魔とはどういうことですか! 強姦魔とは、ソ連軍のような鬼畜のことを言うのです。


 日本政府はまた黙って見過ごしそうですが、このようなデタラメ決議にはしつこいくらいに反発しなければなりません。今回の決議は、日本人有志がワシントン・ポストに載せた広告のせいで勢いづいたと考える向きもありますが、今後もあのような広告は載せ続けるべきです。バカなアメリカ人議員がグウの音も出なくなるほど、従軍慰安婦問題が捏造されてきた経緯を叫ばなければなりません。

 とりあえず私は、慰安婦問題にかなり早い段階から取り組んでいる西岡力氏の最新刊『よくわかる慰安婦問題』を英訳してアメリカで出版してほしいですね。この本は、初心者にもよく分かるほど易しく、かつそれなりに調べている人にとってもおさらいとして最適な本です。これ一冊で、慰安婦問題の本質はほぼ押さえられると言ってもいいと思います。慰安婦問題を捏造してきた張本人である朝日新聞や吉見義明教授らにも読んで頂いて、反論できるならしてほしいくらいの本です。これを読んでもまだ納得できないというのなら、もう人としてダメだと思います。真実を見る目が曇っているとしか言いようがありません。

 ワシントン・ポストの広告を見て激昂し、賛成に回った議員などは、この本に書かれていることの10%も理解していないと思います。そういう方にこそ、この本は読んで頂きたいですね。もちろん、日本語が読める従軍慰安婦肯定派の方々にも是非読んで頂きたいです。読んだ上で、それでも反論があるならどうぞ仰って下さい。謹んで拝聴いたします。




 ところで少し気になっているんですが、よしりんがワシントン・ポストに出した広告のことを批判しているんですよね。何号か前の「ゴー宣 暫」の欄外にも書いていたし、WiLL9月号の上坂冬子さんとの対談においても、

「ワシントン・ポストに出した慰安婦の広告にしてもそうですよ。『ボクはやってないよ』と教室に張り出したらみんなが読んでくれるだろう、わかってくれるだろう、事実を提示すれば良心の呵責があるだろうというのは甘い考えです。」

「相手は白人ですからレイシズム(人種差別)。『サルがなんだか騒いでるぞ』くらいにしか思っていませんよ。」

とこき下ろしてます。

 しかし、よしりんはずっと慰安婦問題についてはしっかり反論しろということを言い続けてきたはず。実際にそれを行動に移したすぎやまこういちさんらに対して、こういう言い方はちょっとないんじゃないかと思いますね。自分に声がかからなかったから、面白くなくて言ってるんじゃないかとちょっと勘繰っちゃいます。

【追記】

 私は今後、従軍慰安婦問題を語るときには「(C)朝日新聞社」というクレジットを文末に付けようかと思います。これは、従軍慰安婦問題が朝日新聞や吉見義明の創作物であるということを強調するためのものです。よかったら皆さんも使ってみて下さい。広められたら楽しいかと思います。


(C)朝日新聞社 従軍慰安婦問題は、朝日新聞社の創作物です。
posted by atsu at 01:07| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月21日

「毎日新聞は人殺し!」と言われたらどうします?

発信箱:「非人間性」を問う=広岩近広(15日付毎日新聞朝刊より)

 世界広しといえども大学に平和博物館があるのは、京都市北区の立命館大学国際平和ミュージアムだけだろう。過日訪れたとき、メッセージ性を持つ博物館だと思った。満州事変から日中戦争を経て太平洋戦争が終結するまでの、いわゆる十五年戦争の展示には日本の被害と加害の歴史が刻まれている。

 私は2枚の写真に目を奪われた。ほろのないトラックの荷台に乗せられて中国大陸を日本軍と一緒に移動する慰安婦たち……。その素顔は、はかなげで痛ましい。もう1枚は軍隊慰安所で順番を待って並ぶ兵士を切り取っていた。ここにも人間の悲しさがある。

 2枚の写真を前にすると、昨今の「強制」論議など、私のなかでは吹っ飛ぶ。慰安婦を強制連行したか否かを論じる以前に、日本軍は慰安婦を伴って戦争をした。この事実はまぎれもない。どう考えても人権問題であり、女性の尊厳の問題だろう。こうしたことが公然と許されていたのが「国民精神総動員運動」の進められた十五年戦争で、ここには戦争の本質が凝集されている。

 原爆投下を「しょうがない」と発言して辞任した久間章生・前防衛相は、その講演会で当時の国際情勢などに言及し、こうも述べた。「(原爆投下も)選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと」。防衛相は戦時下の残虐行為も「しょうがない」と考えているのではないか、と疑ったものだ。

 戦争には非人間的な考えがつきまとう。だからこの平和ミュージアムは、戦争のもつ非人間性を問い、過去と誠実に向き合おうと呼びかけている。(専門編集委員)





 いささか旧聞に値する記事ですが、「25 o'clock」さんが取り上げていたのに触発されて、私もひとつ書いておくことにしました。

 当該エントリで25時さんがほぼ完膚なきまでに反論してしまっていますが、青い字で示した部分の言い草は本当に酷いです。これまで「日本軍による強制連行はあった」と散々喚いていたくせに、その立証が困難になってくると「強制連行の有無はこの際どうでもいい。慰安婦という存在そのものが悪なのだ」と論点をシフトさせるのだから呆れます。そういうふうに論点をずらすのならば、せめてその前に「日本軍による組織的な強制連行はなかった」ことくらいは認めてからにしてほしいものです。全ての従軍慰安婦肯定派に言えることですが、無責任極まりない言動と言えるでしょう。

 こんな戯言を吐く毎日新聞に対しては、いい例え話があります。

 2003年5月1日、ヨルダンの空港で、持ち込んだクラスター爆弾の子爆弾を爆発させ、空港職員を死傷させた五味宏基という元記者を覚えておいででしょうか。もちろんこれは不幸な事故であり、彼は現地で有罪判決を受けるも国王の恩赦を受け、間もなく釈放されて帰国しました。毎日新聞は帰国後に彼を懲戒解雇し、この事故の処理は全て解決しています。

 今さらこの事件をほじくり返して毎日新聞を叩くこと自体ナンセンスではありますが、もしも

「五味元記者は、毎日新聞社の社命を受けて空港に爆弾を持ち込んだのだ。その目的は、中東における日本の評判を地に落とすため」

と主張する者(以下、Aとします)が現れたらどうするでしょう。しかもそのAがヨルダンまでわざわざ出かけて、ヨルダンの人たちにそういうウソを吹聴して回ったら。亡くなった人の遺族や怪我をした人がAの言うことを信じてしまい、「毎日新聞は謝罪せよ! 賠償せよ! 五味をヨルダンに戻し、服役させよ!」という大合唱になるかもしれません。

 もちろんそれは事実無根ですし、毎日新聞は真っ向から反論するはずです。週刊誌などがこのような記事を載せたのなら、その雑誌を提訴するでしょう。いわれのない汚名を雪ごうとするのは当然のことです。

 毎日新聞は「毎日新聞社が、五味元記者にそのような命令をしたことはない。命令があったと言うのなら、その証拠を出せ」とAに言うでしょう。しかしそこでAは、「毎日新聞がそのような都合の悪い証拠を残しているはずがないので、そんな証拠は出せない。命令をしていないと言うのなら、命令していない証拠を出せ」と、悪魔の証明を要求してくるのです。どうです? メチャクチャな話ですよね?

 まあそれでも、毎日新聞はめげずに客観的な証拠を積み重ね、どういう状況にあっても毎日新聞がそんな命令を出すはずがないという結論が導き出されそうになりました。毎日新聞がホッと一息ついたとき、ところがAは次のようなことを主張するのです。

「爆発で死んだ人の写真を見ていたら、社命があったかどうかの議論など、私の中では吹っ飛ぶ。毎日新聞社による計画殺人だったかどうかを論じる以前に、毎日新聞の記者であった五味宏基が人を殺した。この事実はまぎれもない。どう考えても人権問題であり、命の尊厳の問題だろう」

と。

 こう言われたとき、このコラムを書いた広岩記者は納得できるでしょうか。同じ毎日新聞記者として、五味元記者が人を死なせてしまったことは確かに詫びるべきことであるし、広岩記者だって同じ組織にいる者としての責任は感じたことだと思います。しかし、それが社による組織的犯行だなどというデタラメを言われて、しかもその人間が自説に責任も持たず上のようなコメントをしたのならば、絶対に許すことはないのではないですか? 


 この例え話は、まるっきり慰安婦問題と構図が同じです。Aと全く同じことを、毎日新聞及び従軍慰安婦肯定派は臆面もなく言っているわけです。心の支えとなっているのは、信憑性も疑わしい元慰安婦たちの証言だけなのに、彼らにとって従軍慰安婦はいなくてはならない存在であるので、否定派がいくら客観的な証拠を出しても見向きもしません。挙句、強制連行があったかどうかが問題の核心であるのにもかかわらず、あったかどうかはどうでもいいなどと言い出す。もういい加減にして下さいと言わざるを得ません。

 肯定派の皆さんは、もしかして我々否定派が慰安婦の存在すらも否定していると勘違いなさっているんですかね? 「日本軍は神聖な軍隊なので、性欲などなかった。だから慰安婦という存在そのものがない」とか言っているとでも。彼らはろくにこちらの言論に耳を傾けませんから、そういう可能性も十分にあるなと思いつつある今日この頃です。
posted by atsu at 23:55| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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