防衛相「原爆投下はしょうがない」 大学の講演で(産経)
久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗澤大学で講演し、昭和20年8月9日の米国による長崎への原爆投下が、終戦を早め、旧ソ連による北海道侵攻を防いだとの認識を示した上で「原爆を落とされて本当に悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったのだと、そういう頭の整理で今、しようがないなと思っている」と語った。
久間氏は長崎県出身だが、「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて広島と長崎に原爆を落とした。長崎に落とすことで日本が降参し、ソ連の参戦を止めることができると思ってやった」と指摘。その結果として戦後、日本が自由主義陣営に加わり、日米安全保障条約を結んだことを「わが国にとって良かった」と述べた。
久間氏の発言に対し、野党側は鳩山由紀夫民主党幹事長が「日本国民としてとても許せない。大臣をやっている資格はまったくない」と語るなど一斉に反発し、罷免要求を含めて政府を攻撃する材料とする構えだ。
安倍晋三首相は香川県丸亀市での会見で「米国のそのときの考え方を紹介すると同時に、原爆の惨禍の中にあった長崎について、『自分としては忸怩たるものがある』という考え方も披瀝(ひれき)されたと聞いている」と語り、問題はないとの認識を示した。
久間氏は発言に批判が出ていることについて「原爆を落とすのを是認したように受け取られたのは残念だ」と記者団に語った。
防衛相の発言要旨
日本が戦後、ドイツのように東西で仕切られなくて済んだのはソ連が(日本に)侵略しなかった点がある。米国はソ連に参戦してほしくなかった。日本に勝つのは分かっているのに日本はしぶとい。しぶといとソ連が出てくる可能性がある。
日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とした。長崎に落とすことで日本も降参するだろうと。そうすればソ連の参戦を止めることができると(原爆投下を)やった。
長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。米国を恨むつもりはない。
勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るのかなということも頭に入れながら考えなければいけない。
このオッサンは、もう少し考えてから発言することを学んだほうがいいですね。間もなく参院選だというのに、攻撃材料をわざわざ増やしてやるなんて愚の骨頂もいいところ。弁明してはいるものの、余計なことをしたという点において許し難いです。しかも、初めてじゃないですからねこの人は。首相を何度困らせたら気が済むのでしょうか。
野党が「被爆者の気持ちを逆撫で」とか言ってギャアギャア騒いでおりますが、私は問題の発言の中で最も問題なのは
「長崎に落とすことで日本も降参するだろう」
というくだりだと思いますね。広島・長崎への原爆投下は、なかなか音を上げない日本を降参させるためにやったのではありません。アメリカが、原爆の威力をイエローモンキーを使って実験するためにやったのです。そのために、アメリカはそれまで日本に降伏をさせませんでした。戦争が終わったら実戦投入できなくなるからです。
ソ連への威嚇も兼ねていた点は確かでしょう。でも、ソ連は同日に参戦し、火事場泥棒のように北方四島を含んだ千島列島を簒奪しました。北海道が奪われなかったのは、ソ連軍よりもGHQのほうが先に占領したからであって、ひとつ間違っていたら北海道は悲惨な歴史を歩むことになっていたでしょう。原爆投下がソ連の参戦を防ぐなんて意味合いは、ほとんどなかったのです。
「戦争を早期終結させるために原爆は必要だった」なんてのはアメリカ人の言い分そのままなのですが、日本人は決してこんな理屈に納得してはいけません。いくら戦争だといっても、ほぼ死に体の敵に対してあれほど残虐な兵器を使ってよいなどということはありません。広島・長崎への原爆投下は、未だに裁かれていない最大の戦争犯罪です。
しかし、久間防衛相のみならず、その感覚が抜け落ちている人は意外に多いのではないでしょうか。原爆投下でも、各地の空襲でも、批判の矛先がアメリカではなく日本に向かうことが多々あります。何が何でも「日本が悪い!」という論点に持っていきたがる風潮です。今回、久間防衛相を批判している野党議員の中には、「日本が戦争を始めたのだから原爆を落とされても仕方ない」と考えている人が少なからずいるのではないでしょうか。しかし、「日本が悪いのだから」という修飾語を使えば、仕方ないと言っても問題視されないのです。
このメンタリティは、被爆地である広島にもあるでしょう。代表的なのが「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という原爆慰霊碑の文言です。
度々、この文の主語は何なのだという論争があり、結局は「人類」だなんてことに落ち着いたりしているようですが、これは原爆投下という大犯罪の責任の所在を曖昧にするものでしかありません。広島には修学旅行で訪れる児童・生徒も多いですが、左翼的史観を刷り込まれた子供がこれを見れば、主語を「日本」だと思い込んでも不思議ではないと思います。
結局そうなると、「日本さえ戦争を始めなければ原爆を落とされることもなかった」という結論に至ります。まあ確かにそれはそうなんですけど、この結論に陥ってしまうと、アメリカの責任なんぞ雲の彼方に吹っ飛んでしまうでしょう。そういう感覚でいる人は、今回の防衛相の発言を批判する資格はないと思います。志位や福島瑞穂に、じゃあお前はどう思ってるんだと訊いてみたいですね。彼らはただ単に便乗して騒いでいるだけです。現実に存在する中国や北朝鮮の核にも脅威を感じない人間が、何をかいわんやです。
私のブログによく来てくださっている方はご存知でしょうが、私は「はだしのゲン」がいろんな意味で大好きです。ゲンや、作者の中沢啓治氏の思想は私とはだいぶ違うのですが、それでも左翼一辺倒ではない辺りにかなり好感が持てるのです。ゲンは、皇室制度を批判したり、君が代を嫌ったりしてはいますが、原爆についてはアメリカをかなり批判しています。中でも印象的なのが、以下に引用するシーンです。

(C)中沢啓治 中公文庫コミック版第5巻354ページより
私は、ゲンのこの考えには深く同意しますね。ゲンの「原爆許すまじ」という意思が最も強く表れているシーンだと思います。単なる贖罪史観に陥っていない点が素晴らしいです。
久間防衛相は、「はだしのゲン」を読んだことがあるでしょうか。もし読んでいないのならば、多分麻生外相なら持っていると思うので、借りて読んだほうがいいでしょう。そして、二度と首相の足を引っ張るようなアホな発言はしないで下さい。