2007年07月01日

原爆投下の責任は米国に問え

防衛相「原爆投下はしょうがない」 大学の講演で(産経)

 久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗澤大学で講演し、昭和20年8月9日の米国による長崎への原爆投下が、終戦を早め、旧ソ連による北海道侵攻を防いだとの認識を示した上で「原爆を落とされて本当に悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったのだと、そういう頭の整理で今、しようがないなと思っている」と語った。

 久間氏は長崎県出身だが、「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて広島と長崎に原爆を落とした。長崎に落とすことで日本が降参し、ソ連の参戦を止めることができると思ってやった」と指摘。その結果として戦後、日本が自由主義陣営に加わり、日米安全保障条約を結んだことを「わが国にとって良かった」と述べた。

 久間氏の発言に対し、野党側は鳩山由紀夫民主党幹事長が「日本国民としてとても許せない。大臣をやっている資格はまったくない」と語るなど一斉に反発し、罷免要求を含めて政府を攻撃する材料とする構えだ。

 安倍晋三首相は香川県丸亀市での会見で「米国のそのときの考え方を紹介すると同時に、原爆の惨禍の中にあった長崎について、『自分としては忸怩たるものがある』という考え方も披瀝(ひれき)されたと聞いている」と語り、問題はないとの認識を示した。

 久間氏は発言に批判が出ていることについて「原爆を落とすのを是認したように受け取られたのは残念だ」と記者団に語った。


防衛相の発言要旨

 日本が戦後、ドイツのように東西で仕切られなくて済んだのはソ連が(日本に)侵略しなかった点がある。米国はソ連に参戦してほしくなかった。日本に勝つのは分かっているのに日本はしぶとい。しぶといとソ連が出てくる可能性がある。

 日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とした。長崎に落とすことで日本も降参するだろうと。そうすればソ連の参戦を止めることができると(原爆投下を)やった。

 長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。米国を恨むつもりはない。

 勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るのかなということも頭に入れながら考えなければいけない。





 このオッサンは、もう少し考えてから発言することを学んだほうがいいですね。間もなく参院選だというのに、攻撃材料をわざわざ増やしてやるなんて愚の骨頂もいいところ。弁明してはいるものの、余計なことをしたという点において許し難いです。しかも、初めてじゃないですからねこの人は。首相を何度困らせたら気が済むのでしょうか。

 野党が「被爆者の気持ちを逆撫で」とか言ってギャアギャア騒いでおりますが、私は問題の発言の中で最も問題なのは

「長崎に落とすことで日本も降参するだろう」

というくだりだと思いますね。広島・長崎への原爆投下は、なかなか音を上げない日本を降参させるためにやったのではありません。アメリカが、原爆の威力をイエローモンキーを使って実験するためにやったのです。そのために、アメリカはそれまで日本に降伏をさせませんでした。戦争が終わったら実戦投入できなくなるからです。

 ソ連への威嚇も兼ねていた点は確かでしょう。でも、ソ連は同日に参戦し、火事場泥棒のように北方四島を含んだ千島列島を簒奪しました。北海道が奪われなかったのは、ソ連軍よりもGHQのほうが先に占領したからであって、ひとつ間違っていたら北海道は悲惨な歴史を歩むことになっていたでしょう。原爆投下がソ連の参戦を防ぐなんて意味合いは、ほとんどなかったのです。


 「戦争を早期終結させるために原爆は必要だった」なんてのはアメリカ人の言い分そのままなのですが、日本人は決してこんな理屈に納得してはいけません。いくら戦争だといっても、ほぼ死に体の敵に対してあれほど残虐な兵器を使ってよいなどということはありません。広島・長崎への原爆投下は、未だに裁かれていない最大の戦争犯罪です。

 しかし、久間防衛相のみならず、その感覚が抜け落ちている人は意外に多いのではないでしょうか。原爆投下でも、各地の空襲でも、批判の矛先がアメリカではなく日本に向かうことが多々あります。何が何でも「日本が悪い!」という論点に持っていきたがる風潮です。今回、久間防衛相を批判している野党議員の中には、「日本が戦争を始めたのだから原爆を落とされても仕方ない」と考えている人が少なからずいるのではないでしょうか。しかし、「日本が悪いのだから」という修飾語を使えば、仕方ないと言っても問題視されないのです。

 このメンタリティは、被爆地である広島にもあるでしょう。代表的なのが「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という原爆慰霊碑の文言です。

 度々、この文の主語は何なのだという論争があり、結局は「人類」だなんてことに落ち着いたりしているようですが、これは原爆投下という大犯罪の責任の所在を曖昧にするものでしかありません。広島には修学旅行で訪れる児童・生徒も多いですが、左翼的史観を刷り込まれた子供がこれを見れば、主語を「日本」だと思い込んでも不思議ではないと思います。

 結局そうなると、「日本さえ戦争を始めなければ原爆を落とされることもなかった」という結論に至ります。まあ確かにそれはそうなんですけど、この結論に陥ってしまうと、アメリカの責任なんぞ雲の彼方に吹っ飛んでしまうでしょう。そういう感覚でいる人は、今回の防衛相の発言を批判する資格はないと思います。志位や福島瑞穂に、じゃあお前はどう思ってるんだと訊いてみたいですね。彼らはただ単に便乗して騒いでいるだけです。現実に存在する中国や北朝鮮の核にも脅威を感じない人間が、何をかいわんやです。


 私のブログによく来てくださっている方はご存知でしょうが、私は「はだしのゲン」がいろんな意味で大好きです。ゲンや、作者の中沢啓治氏の思想は私とはだいぶ違うのですが、それでも左翼一辺倒ではない辺りにかなり好感が持てるのです。ゲンは、皇室制度を批判したり、君が代を嫌ったりしてはいますが、原爆についてはアメリカをかなり批判しています。中でも印象的なのが、以下に引用するシーンです。

アメリカも悪いんじゃ!
(C)中沢啓治 中公文庫コミック版第5巻354ページより



 私は、ゲンのこの考えには深く同意しますね。ゲンの「原爆許すまじ」という意思が最も強く表れているシーンだと思います。単なる贖罪史観に陥っていない点が素晴らしいです。

 久間防衛相は、「はだしのゲン」を読んだことがあるでしょうか。もし読んでいないのならば、多分麻生外相なら持っていると思うので、借りて読んだほうがいいでしょう。そして、二度と首相の足を引っ張るようなアホな発言はしないで下さい。


posted by atsu at 18:26| 東京 🌁| Comment(5) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月08日

彼らは左に傾いてないとバランス取れないらしい

JCが歴史教育アニメ 授業での上映依頼(朝日)

 「日本青年会議所」(日本JC、会員約4万人)が制作し、戦後の「贖罪(しょくざい)意識」を批判的に取り上げたアニメDVDを使った上映会が各地で進められ、中学校1校で授業として実施されていたことが分かった。アニメは「いまの教科書の近現代史は自虐的すぎる」として、日清・日露戦争から東京裁判までの過程を検証する内容。日本JCの取り組みは、今年度の文部科学省の教育プログラムのひとつに選ばれている。しかし、教育現場からは「一面的な内容で違和感を持った」といった声があがっている。

 アニメは「誇り〜伝えようこの日本(くに)のあゆみ〜」の題名で28分の短編。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が「戦争で残虐行為を働いた凶悪な日本兵というイメージを日本国民に植えつけた」といったセリフが登場。こうした「洗脳教育」が「日本人から自信と誇りを奪った」と訴えている。

 今年2月27日、島根県出雲市内の中学校の5、6時間目を使った社会科の授業で、2年生58人を対象にこのアニメが上映された。生徒らは上映後、配られたアンケート用紙に、「今までずっと日本が悪いと思っていましたが、違いました」「今までは『何で日本は戦争なんかしたのか』と、とても悪いイメージを持っていました。でも、日本がすべて悪いわけではないと思いました」といった感想を書き込んだ。

(以下略)

学校、バランス確保を
西原博史・早稲田大教授(憲法学)の話(紙面のみの掲載)

 アニメは、特定の宗教観を示す「英霊」などの言葉を避け、政教分離に反しないよう配慮されている一方、「アジアの人々を白人から解放する」ための「大東亜戦争」という評価など、歴史観はかなり特殊。しかし、民間団体には独自の立場があってよい。問題は、このプログラムを取り入れる学校の対応だ。特定の考え方を持つ集団にだけ子どもたちに働きかける機会を与え、他の考えを持つ団体を退けるなら、学校が子どもの「洗脳」を手助けしているのに等しい。子どもの思想・良心の自由を侵害したことになる。バランスが確保されているか、参加したくない子どもに配慮したのかも、検証すべきだ。文部科学省が、授業内容を把握しないまま事業採択したことは無責任としか言いようがない。





 何やら、左のほうが騒いでいますけど、何が問題なのか私には分かりません。

 しかし、朝日の記事本文よりも、早大の西原教授とやらのコメントのほうがぶっ飛んでますな。後半部分はほとんど突っ込みどころで、危うく全てが大字になるところでしたよ。

>特定の考え方を持つ集団にだけ子どもたちに働きかける機会を与え、他の考えを持つ団体を退けるなら、学校が子どもの「洗脳」を手助けしているのに等しい。

 今回、恐らく日本で初めて、JCが作ったDVDが授業に取り入れられたわけじゃないですか。しかし、これまで退けられてきたのは、紛れもないJCのような団体でしょう。平和教育と名の付く左翼団体による授業は無批判に受け入れられる一方で、戦争を少しでも肯定する思想は排除されてきました。このコメントは、そういう事情を全て無視して、さも平和団体などが教育現場から退けられているような印象操作をしていますね。


>バランスが確保されているか、参加したくない子どもに配慮したのかも、検証すべきだ。

 子供たちはこのDVDを見て、「今までずっと日本が悪いと思っていましたが、違いました」「今までは『何で日本は戦争なんかしたのか』と、とても悪いイメージを持っていました。でも、日本がすべて悪いわけではないと思いました」という感想を述べています。ということは、これまでは「日本が100%悪い」という歴史観にしか触れてこなかったことが明らかです。今回、これまでとは違う歴史観に初めて触れ、彼らのバランスは前よりもよくなったと思いますよ。とは言え、今までは天秤の左の皿が完全にくっついていたのが、ほんのちょっぴり浮き上がっただけですけどね。

 「参加したくない子への配慮は?」という意見にも異議があります。例えば、修学旅行で広島・長崎や沖縄を訪れる学校が多いですけど、そういうときに

「原爆資料館なんて気持ち悪いから見たくない」
「ひめゆり部隊の話なんて辛気臭いから聞きたくない」

という生徒がいた場合、参加しなくてもいいよと配慮されることはあるんでしょうか?? それがきちんと認められているのならいいですが、もしも増田都子みたいなキチガイ教師にそんなことを言ったら、思いっきり怒られそうな気がします。そこんとこどうなんですかね?


>文部科学省が、授業内容を把握しないまま事業採択したことは無責任としか言いようがない。

 こういうことを言う人に限って、日頃は「国が教育に介入すべきでない」とか言ってそうですよね。自分たちの思想による教育は自由にやらせろ、自分たちと異なる思想による教育は国が取り締まれ、と、実に自分勝手なものです。

 結局のところ、彼らは思想弾圧をしたいのですよ。つくる会の教科書のときもそうですけど、多様な歴史観を認めようともしません。数多の学校・数多の教科書会社はサヨクの巣窟なのに、わずか1校の学校・わずか1社の教科書会社が右翼的な思想を受け入れただけで、まるでこの世の終わりのように騒ぎ立て、その思想を潰そうとします。

 今回なんかその典型でしょう。たった1校の学校でちょっとこんな授業が行われたからって、そんなに大騒ぎするほどの問題でしょうか。まったくアホじゃないかと思います。


 彼らの言う「一面的」とか「バランス」という言葉の意味って何なんですかね? 私から言わせれば、「戦争は絶対悪! 日本は絶対悪!」という思想こそ、かなり一面的だと思うんですけど。それに比べたらJCの言いたいことは、「戦争はよくないことだけど、当時はそうせざるを得ない状況だった」というものでしょう。戦争や歴史というものをよっぽど多面的に捉え、バランスも取れていると思いますよ。私はこういう教育が、学校現場に広がっていくことを祈りますね。
posted by atsu at 23:55| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月22日

安倍さんはもっとしっかり反論しろ

首相、慰安婦問題の「責任」に言及 米紙インタビューで(産経)

 安倍晋三首相は21日までに米紙ウォールストリート・ジャーナルなどのインタビューに応じ、米下院で対日非難決議が審議されている慰安婦問題に関連して「当時の慰安婦の方々に心から同情するし、日本の首相として大変申し訳ないと思っている。彼女たちが慰安婦として存在しなければならなかった状況につき、われわれは責任があると考えている」と、日本側の「責任」に言及して謝罪の意を示し、平成5年の河野談話を継承する考えを改めて表明した。

 一方で、首相は「20世紀は人権が世界各地で侵害された世紀だが、日本も例外ではない」とも述べ、戦時の人権侵害が日本だけの問題ではないことをにじませた。

(以下略)





 安倍首相は強制連行などを認めたわけではないし、同様の問題が日本だけのことじゃないことにも言及している。だけど、この発言がきちんと正しく英訳され、さらに米メディアが正しく報じるかどうかは全く分からない。下手に「責任」という言葉を使うと、中韓の主張する「従軍慰安婦」が史実であるという認識がさらに広まってしまうのではないかと危惧する。

 昨日の産経新聞で、ワシントン支局の古森義久記者がコラム「緯度経度」に書いていたのだが、古森記者はこの度、アメリカのテレビ局で慰安婦問題について発言する機会があったという。

 慰安婦肯定派の識者と討論形式で行う番組だったようだが、古森記者は以下のような主張をした。

(1)「ダブル・ジェパディー(二重訴追)」

個人や集団が同じ犯罪やその嫌疑を一度、すでに訴追され、裁判を受けたのに、またまた訴えられ裁かれるのは不当な事態だ。日本軍将兵による軍規違反の強制徴用は戦争犯罪として裁かれまでしたのに、いままた罰せられようとするのは、米国の憲法でも保障している一事不再理の原則に違反する。


(2)「ダブル・スタンダード(二重規準)」

軍隊のための売春制度は好ましくない事象だし、慰安婦となった個々の女性には悲劇も苦痛もあった。それを現代のモラルから非難し、反省することはやぶさかではないが、人道主義という観点からみるなら原爆投下はどうか。中国のウイグルやチベットの少数民族抑圧、法輪功弾圧はどうか。なぜ60年以上前に終結した特定案件だけが糾弾されるのか。


(3)「ティンジ・オブ・レーシズム(人種や民族への偏見の色彩)」

慰安婦問題で日本を非難するボストン・グローブ3月8日付社説の見出しは「『すみません』と言えない日本」だった。NYタイムズの3月6日付社説は「日本の政治家たちは安倍首相はじめ恥ずべき過去を克服する第一歩はその過去を認めることだと知るべき時だ」と断じた。米国はフランスに向かって、こんな口調で告げるだろうか。こうした高所からの説教調の断定には日本国民を一括して特殊に決めつける人種偏見がにじんでいる。



 特に、(1)と(2)の主張は正論だと思う。首相も、せっかく米誌に語るのならばこのくらいのことは言って欲しかった。首相としてみれば、訪米に向けて波風が立たないようにしたいのだろうが、「私はつねに『闘う政治家』でありたい」と自著で言っていたのは当の安倍首相である。最近の安倍首相を見ていると、批判を恐れて逃げ回っているとしか思えない。もっとしっかりしてほしいものだ。

 なお、古森記者が対談した相手の識者は、兵士たちが慰安婦に料金を払っていたことすら知らなかったそうだ。本当にレイプしていたと思い込んでいるのである。中韓の言っていることを無批判に信じるアメリカ人の単純ぶりも、また酷いものである。60年以上前のことよりも、中国が現在進行形でやっている残虐行為のほうに彼らは目を向けるべきである。
posted by atsu at 21:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月18日

それを言うなら、アメリカも同罪

慰安婦「強制的に売春させられた」と駐日米大使(産経)

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)によると、シーファー駐日米大使は16日、一部記者団に対し、太平洋戦争中の慰安婦について「強制的に売春をさせられたのだと思う。つまり、旧日本軍に強姦(ごうかん)されたということだ」と語った。

 大使は、二月に米下院外交委員会の公聴会で証言した元慰安婦を「信じる」と述べ、慰安婦が強制的に売春させられたのは「自明の理だ」と語った。また、慰安婦問題への旧日本軍の関与を認め謝罪した平成5年の「河野洋平官房長官談話」を日本政府が見直すことのないよう期待を示した。

 安倍晋三首相は4月下旬に訪米予定。ロイター通信によると、同大使は、慰安婦問題で首相訪米が「台無しにならないよう望んでいる」と述べ、影響を懸念した。(共同)





 シーファーさんよ、あんたはアホか。まったく、こんなのが同盟国からやってきてる大使かと思うと、情けなくて涙が出てくるやね。売春と強姦の区別もつかんのか。

 シーファーさんは、「慰安婦=強姦」だとのたまう。だがしかし、GHQだって日本政府に命じて慰安所を設置させていた。駐留米兵による強姦被害が多く発生したからだ。当時は売春は合法で、兵士が一般女性を強姦することを防ぐには慰安所が最も合理的なシステムであることは明らかである。シーファーさんはそのことを分かった上で、日本軍の慰安所を断罪しているのだろうか。

 日本軍が慰安婦狩りをしたというウソがばれてくると、従軍慰安婦肯定派は問題を慰安所というシステムがあることが悪いというふうにシフトさせてきた。だが、慰安所というシステムは日本固有のものではない。彼らの理屈でいえば歴史上に存在した全ての慰安所を批判しなければならないはずだが、彼らはなぜか日本の慰安所だけを批判する。まったくもってお話にならない。ソ連のように慰安所を設置しなかった国もあるが、そこの兵士たちがどんな蛮行をしたかは言うまでもないだろう。ベトナム戦争のときの韓国兵もしかりである。

 だいたい、戦争大好き国家アメリカの人間に、他国の過去を責める資格なんてない。シーファーさんは、日本が60年以上前にやっていた合法的行為を批判する前に、自国が現在進行形でやっていることに目を向けろ。アメリカのせいで世界はメチャクチャ、日本も巻き込まれていい迷惑だ。

 アメリカ国内で「イラク戦争にはんた〜い!」とか言ってる奴らも気に食わない。アメリカ人ってのは、戦争が始まるときは特に反対しないのに、アメリカ兵が多く死ぬと途端に戦争反対と言い出す。大東亜戦争のときも硫黄島のあとでそうだったし、ベトナム戦争のときもそう。結局彼らは自国の人間が死ぬのが嫌なだけで、勝ってる戦争なら平気の平左なのである。ヒラリーだって、今ではイラク戦争に反対とか抜かしているが、開戦時には賛成した。結局のところ、彼らは反戦を訴えているのではなくて、単に厭戦気分であるだけなのだ。最初から反対と言っていた人は尊敬に値するが、今になって「賛成したことは後悔している」と言っている人間は卑怯者である。

 閑話休題。慰安婦の話に戻るが、アメリカには批判する資格がないことを改めて強く主張しておこう。シーファー大使は「台無しにならないよう望んでいる」などと言っているが、台無しにしようとしているのはどちらなのか再考願いたい。しかし日本も、アルメニア人虐殺を認めないトルコのように強行に出られればいいんだけどね。

「そんな決議を通したら、思いやり予算を止めるぞ!」

くらいのことは言ってほしいものである。ま、それを本当にやってしまうと、中韓と北が画策する日米離間工作にまんまとハマることになるので、実際にはやらないわけだが。

※以下はイメージ画像です。

大量のコンドームは何に使ったんだ?

日本女性を強姦したのはアメリカ兵
posted by atsu at 19:38| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月10日

戦争があったからこそ今の日本がある

東京大空襲被災者ら、国に賠償・謝罪求め提訴(読売)

 約10万人が犠牲になったとされる1945年3月10日の東京大空襲の被災者や遺族ら112人が9日、「空襲で被災し、戦後もつらい生活を余儀なくされた」などとして、国に1人当たり1100万円、計12億3200万円の損害賠償と謝罪を求める訴訟を東京地裁に起こした。

 原告側によると、空襲による日本人被災者が集団訴訟で国の責任を問うのは初めてという。

 原告は、東京大空襲で被災し、現在は20都道府県に住む被災者やその遺族。東京都内に住む人が54人と最も多いが、北海道や広島県の人なども含まれている。

 原告側は訴状などで、「戦前の政府が戦争を開始するなどしたため、東京大空襲が起きた。国には被災者を救済する義務がある」とした上で、「戦後、国は軍人軍属らに対する救済制度を作る一方、民間人は何ら援助せずに放置した。こうした対応は憲法に定めた法の下の平等に反する」などと主張している。

 提訴後、記者会見した中山武敏弁護団長は、「法律や判例上、大きな壁があり難しい面があるが、被災者らの苦しみや悲しみは現在も続いていることを世の中に知ってほしい」と、提訴の理由を語った。

 また、原告の一人で、東京大空襲で両親ら家族4人を失い、自身も別の空襲で右腕を失った豊村美恵子さん(80)は、「62年間、心の傷を引きずってきた。裁判で国の責任を明らかにしたい」と述べた。

 厚生労働省援護課の話「当方の業務に対する請求であれば、訴状を見て対応を検討したい」





 空襲で酷い目に遭われた方は、実に気の毒だと思う。その惨状たるや、きっと私の想像を遥かに超えたものだったろう。62年前の今日、東京の下町はまさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 しかし、今回の提訴には首を傾げざるを得ない。

 まず始めに思うのは、提訴するのがあまりに遅すぎるということだ。実に62年もの時が過ぎ、被災者の多くは亡くなり、政府内にも戦時中から現役世代だった者は誰もいない。提訴するなら、戦時中から政治に関わっていた者がまだいるうちにするべきではなかったか。なぜ、戦後生まれ世代が首相になるまで待ってしまったのだろうか。

 これではまるで、戦前世代が自分らの子や孫の世代に戦争責任を押し付けているように思える。確かに戦災者たちは空襲によって大変な人生を歩んでこられただろうが、その責任をどうして彼らよりも下の世代が負うのか。国が補償金を出すということは、我々現役世代が補償金を出すということである。どうも腑に落ちない。

 次に思うのは、空襲されたのは東京だけではないということだ。さらに言えば、東京が空襲されたのは昭和20年の3月10日だけではなく、その後も断続的に山手地区までことごとくやられている。10万人規模の人間が死んだ史上最悪の絨毯爆撃という点で特別扱いされるのは仕方ないが、3月10日の被災者だけに補償を認めるわけにはいかない。ひとつ認めれば全て認めなくてはならなくなるので、原告側が勝つ要素はまずないだろう。

 まあ、原告だって勝てるとは思っていないだろう。ある意味での問題提起のため、提訴という手段を取ったのは理解できる。しかしどうも、戦災者の裏で糸を引いているであろうプロ市民団体の影がちらつくので、彼らを支持する気には到底なれない。


 ところで、折りしも戦時中の昭和天皇の肉声というものが公開された。これは非常に史料としての価値が高く、先帝陛下のお人柄がよく分かる素晴らしいものだと思う。

 まだ文藝春秋の全文は見ていないが、新聞に載っていた抜粋を読んだ限りでは、やはりあの戦争は避け得ぬものだったのだと思う。間違っても、先帝陛下が自ら望んで始められたものではない。先の戦争は、複雑に絡み合った当時の国際情勢の中で、起こるべくして起こったのである。そのことに対し、特定の個人を責任者としてあげつらうことは私にはできない。

 今の日本が平和なのは、先の戦争を経たからに他ならない。もしも、ハルノートを突きつけられた時点で日本が譲歩し、中国や東南アジアから兵を引いていたら、確かに大東亜戦争は勃発しなかっただろう。しかしその場合、日本がその後60年以上も平和を保てた保障があるだろうか。敗戦を経験しなければ護憲派が大好きな憲法9条も存在しないし、彼らが大嫌いな日本軍も現存するのである。広島・長崎への原爆投下がなかったら、米ソの間でもっと酷い核戦争が躊躇なく始められていたかもしれない。間違っても、「あの戦争さえなければ日本はずっと幸せだった」などとは考えないことである。あの戦争がなければ今日の日本はなかった。

 もちろん、戦争に対する反省をするなと言っているわけではない。この先の日本が平和を追求するのは当たり前として、いつまでも先の戦争について責任がどうの賠償がどうのと、不当に日本を貶めるのをそろそろやめて欲しいだけである。
posted by atsu at 21:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月21日

イメージしてごらん。南京大虐殺なんてないんだ

米映画「南京」は捏造! 保守系有志ら“真実”の映画製作へ(産経)

 昭和12年、旧日本軍が日中戦争で南京を攻略した際、「南京大虐殺があった」との立場で描いた映画「南京」の上映が今月18日から米国の映画祭で始まった。これに対し、保守系の有志らが「南京大虐殺は政治的陰謀のでっちあげ」とするドキュメンタリー映画「南京の真実」の製作に乗り出す。

 映画「南京」は事件当時、現地に滞在していたドイツ人ビジネスマン、ジョン・ラーベ氏の残した日記を踏まえ、製作された。映画では犠牲者の数が「20万人以上」とされている。今年はほかにも中国系米国人作家、故アイリス・チャン氏のベストセラー「ザ・レイプ・オブ・南京」を下敷きにした米英中の合作映画など、5本程度の「南京大虐殺」映画が封切られる予定だ。

 ただ、チャン氏の著作に対しては、「掲載された写真は中国国民党の宣伝担当による捏造(ねつぞう)で、南京大虐殺を証拠立てるものは存在しない」(東中野修道亜細亜大教授)など保守論壇からは否定的な見方が相次いでいる。

 映画「南京」のストーリーに反発する、衛星放送テレビ局「日本文化チャンネル桜」(東京都渋谷区)社長で映画監督の水島総さん(57)は「ありもしない『南京大虐殺』が歴史の『真実』とされるのは納得がいかない。このまま何の手も打たず、日本の国際的なイメージが悪化するのは見過ごせない」と映画の製作を思い立った。

 水島さん自らがメガホンを取り、当時の生存者の証言やフィルムなどをまとめ、今夏までに完成させる。今年は南京攻略から70年。南京が陥落した12月に合わせ、劇場公開と世界への配信を目指す。水島さんは「国内外の誤った歴史認識を改める道を切り開きたい」と話している。24日に映画の製作委員会を発足させ、製作資金の支援を一般に求める。問い合わせは同委員会準備室((電)03・5464・1937)。





 日本国内では、南京大虐殺を否定する研究が進んでいるが、国際的には中国のプロパガンダに負けっぱなしで、ほとんど既成事実と化している。その上、さらに南京大虐殺を誇張する映画が次々と作られるということで、ますますその虚構が世界中に広がることが懸念されている。しかし、さすがにもう指を咥えて黙って見ているわけにはいかないということだろう。

 ただ、この映画を世界中の人に観てもらうのは一筋縄ではいかないだろう。相当な宣伝活動が必要となるだろうが、チャンネル桜をはじめとした関係者の皆さんには頑張ってもらいたい。アイリス・チャンの本だけ読んで、南京大虐殺を史実だと思っている人たちを目覚めさせるほどのものを作ってほしいものである。

 こういう映画を作ろうとすると、言論弾圧しようと動き出す国内の反日勢力も現れると思われる。そういう人たちをも黙らせるほどのものができるといいですね。

【23日追記】

 なぜかこのエントリのみ、新たに書き込もうとするとエラーが出てしまうので、明智小五郎さまへのレスをここに書き込みます。

>明智小五郎さま

貴重なご意見ありがとうございます。
世界的に南京大虐殺の否定が受け入れられないのは、「レイプ・オブ・南京」のような虚偽の多い書物が発行されても、日本国内からそれを否定する言論が出なかったからだと思われます。中国のプロパガンダにすっかり負けていましたし、「なかった」と言うだけで左派に袋叩きにされ弾圧される時代が続いてましたから。

しかし、近年は東中野教授の研究などにより、これまで南京大虐殺の証拠写真だとされてきたものがことごとく覆されています。
仰るとおり、まだ「なかった」証明には至っておりませんが、「あった」とする側が出している証拠の信憑性はかなり薄まってきていると思います。
完全に「なかった」証明をすることは、悪魔の証明ですのでできません。次は肯定派が新たな証拠を出す番だと思うのですがいかがでしょう?

私個人の意見では、戦争中ですから多少の民間人が巻き込まれることや、便衣兵を多く殺害したことは可能性としてあると思います。しかしながら、中国が主張するような30万人説などを、ハイそうですかと信じるわけにはいきません。

>もし学会で「南京大虐殺はなかった!」などと発言すれば笑いものになる、というより相手にもされないでしょう。

そうかもしれませんね。でも、そんな人たちが黙るほどの客観的証拠を示していけば、そういう反応もなくなるのではないでしょうか。相手にされないからしないのでは、何も進みません。
posted by atsu at 22:00| 東京 ☁| Comment(20) | TrackBack(1) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月15日

私も井筒にパッチギかましたい

井筒監督にパッチギしたい¢ア編「LOVE&PEACE」主演コンビ 厳しい指導に…(15日付スポーツニッポン紙面記事より ネット上のソースなし)

 昨年度の映画賞を総なめにした「パッチギ!」の続編「パッチギ! LOVE&PEACE」の製作発表が14日、都内で行われた。

 前作から6年後の1974年の東京が舞台で、キャストを一新。高岡蒼甫(24)と沢尻エリカ(20)が演じた兄妹を、井坂俊哉(27)と中村ゆり(24)が引き継ぐ。

 タイトルにちなみ「最近パッチギ(頭突き)したいと思ったことは」と聞かれると、井筒和幸監督(54)から厳しく演技指導を受けている井坂は「悔しくて監督にパッチギを入れたかった」とぽつり。中村も「私も井坂くんと同じ」と賛同。一方の井筒監督は「安倍政権になってから曇った話ばかり。撮影中で世間と隔絶しているので、来年まとめてパッチギを入れたい」と話した。

 公開は来年5月。配給のシネカノンは前作(100館)の倍以上の規模を検討。また、韓国での公開も決まっている。





 わしも、在日論のウソばかり垂れ流すおどれにパッチギ食らわせたいわい!!

 前回に引き続いて今回も朝鮮総連全面協力の下で撮影が行われているらしいこの映画、舞台は私が住んでいるところからほど近い枝川というところである。実際にロケもそこでやってるみたいなので、井筒とんかつ和幸なんかを間違ってもこの目で見たくない私は、最近は枝川には近づいていない。井筒が近くにいると思うだけで嫌なので、とっととロケが終わってほしいものである。

 今度の映画もまた、在日のウソ歴史を垂れ流すのであろう。総連がバックに付いているのだから、向こうの言い分をそのまま流すプロパガンダ映画になることは間違いない。前作に出演した高岡蒼甫なんかはすっかり井筒の歴史観に洗脳されてしまったが、今度のキャストたちも同じ目に遭うだろう。まったく、気の毒気の毒だ。

 井筒は、姜尚中や朴一や辛淑玉のウソを100%疑いもなく信じているんだろうな。一度は、呉善花さんや鄭大均さんみたいな人とも話してみたらいいのに、マトモな韓国人or元在日には目もくれない。昔助けてもらった恩義か何かしらないけど、完全に総連のポチになってるんだろうね。

 そんな井筒に、親切な私がいい本を紹介してあげよう。この中のどれかひとつでもいいから、マトモな本を少しは拝読しろ!(意図的な敬語の誤用です)

      


 ま、読んだところで目は覚めないと思うけどね。
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2006年08月27日

渡嘉敷島集団自決はウソ確定

渡嘉敷島集団自決、軍命令を否定する証言(産経)

≪元琉球政府の照屋昇雄さん≫

 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。

 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。

 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。

 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。

 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。

 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。

 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英)

■渡嘉敷島の集団自決 沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は、縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。渡嘉敷村によると、現在までに判明している集団自決の死者は315人。

■戦傷病者戦没者遺族等援護法 日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した軍人や軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行。法の目的に「国家補償の精神に基づく」と明記され、障害年金や遺族年金、弔慰金などを国が支給する。サイパン島などの南方諸島や沖縄で日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人についても戦闘参加者として援護対象とされている。





 こうやって、捏造された歴史が暴かれていくのね…。

 集団自決が軍の命令ではなかったということなんか、私らにとっては周知の事実だが、こうやって当事者がはっきりと「嘘でした」と証言したことは実に価値がある。

 私としては、この照屋さんを責めるつもりは毛頭ない。当時の状況を鑑みれば、軍の命令ということにしてくれと赤松大尉にお願いしたことはやむを得ないことだったと思う。許されないのは、これを「日本軍悪しかれ」論の根拠に利用した左翼ジャーナリストたちである。特に、曽野綾子さんの「ある神話の背景」が出版されてもなお自著を修正しない大江健三郎はその最たるものだ。書いたことがウソだったと分かっても白を切り通す人間が、果たしてジャーナリストと呼べるのだろうか。

 まあ、サヨクの皆さんはこういう証言が出てきたところで、結局自説を曲げることはないだろう。

「命令はなかったかもしれないが、暗に自決を迫るような半強制性があった」

「いずれにしても、日本があんな無謀な戦争さえしなければ集団自決など起こらなかった。だから日本が悪い!」


 恐らく、こう言って逃げるんだろうなと思う。
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2005年09月03日

9条の妄信は神風信仰に似ている

「最後には神風が吹いて敵を吹き飛ばし、日本は必ず勝つ」

 何の根拠もない迷信の最たるものだが、これを玉音放送を聞くまで信じていた人は思ったより多いようである。戦争世代のお年寄りの話などを聞くと、中には敗戦を予期していた者もいたが、大半の日本人は日本が負けるわけがないと思っていたようである。戦地に行っていた人はもはや信じていなかったと思うが、情報統制下の国内にいた人はこの迷信を割と最後まで信じていた。

 最近私には、憲法9条を絶対視する人たちが戦時中の日本人に重なって見える。共産党や社民党など護憲派の人が主張している

憲法9条があればそれだけで平和は守れる

という考えについてだ。

 もちろん私は、9条の理念は実に素晴らしいものであるとは思っている。9条自体の撤廃などはまったくもって求めていない。しかし、「9条さえあれば他は何もしなくても、日本の平和は保てるのだ」という主張には、どうしても首を傾げざるを得ないのである。

 私の憲法9条に対するスタンスは「第一項堅持、第二項に自衛軍の保持を明記」である。戦争放棄は当然のこととするが、外から攻められたときにも無抵抗であれとは思わない。有事の際には、国及び自衛軍には円滑に国民を守れる体制を作って欲しい。

 護憲派の人たちは「日本に攻めてくる国などない」と言う。確かに確率としては低いが、私は東京に大地震が来るよりもだいぶ低いが、地球に小惑星が衝突するよりははるかに高いと見ている。考えうる最悪の事態に対して、じゅうぶんな備えは必要とするところだ。

 「軍備するから戦争が起こる。丸腰ならば誰も攻めてこない」とも言う。戦後60年間平和が保たれたことからくる自負なのだろうが、世界はそんなに甘くはない。戦後60年間、日本から戦争を仕掛けることがなかったのは確かに9条のおかげである。しかし、他国から攻められなかったのはそれだけが理由ではない。

 もし、昭和27年の主権回復時に自衛隊もなく、米軍が全て撤退していたら、中国かソ連が進攻してきた可能性も捨てきれないだろう。事実、ソ連はすぐそこの北方四島まで迫っていたのである。米軍が先に北海道まで進駐していなければ、北海道をソ連に占拠されていた可能性が高かった。それができなかったのは、日本に米軍が駐留し続け、自衛隊も組織されていたからである。

 残念ながら、人間を含む動物は自分より弱いものに標的を定めるものなのだ。返り討ちになりそうな相手、勝ったとしてもかなりの損害を被りそうな相手は極力避ける。最近は無差別の通り魔的殺人事件が多いが、その標的にされるのはほとんどが力の弱い女性や子供、お年寄りなどだ。「どうせ殺すなら社会のゴミを掃除しようと思って」と、暴力団事務所に行ってヤクザを殺しまくったなんて話は寡聞にして聞かない。自分より数段強そうな相手に果敢に戦いを挑んだ国と言ったら、私の知る限りは日本くらいなものだろうか。

 国防について考えない国はこの世界に存在しない。コスタリカがよく引き合いに出されるが、あくまで軍隊を常備しないということを憲法で定めているに過ぎず、有事の際には議会の承認を得て徴兵制を敷くこともできるようになっている。その場合は、国民一人一人が力を合わせて国を守るのだ。しかし、日本で自衛隊をなくせと言っている人たちに、それができるほどの覚悟はまったく見られない。共産党や社民党の議員など、有事になったらすぐに国外逃亡しそうなヤツラばかりである。いざとなったときに自分が逃げるルートだけは確保してあるから、これほど呑気なことが言えるのではないかと勘繰りたくなるほどだ。


 護憲派たちの9条に対する思いは、もはや9条神話と呼んだほうが適切かもしれない。9条さえ信じれば救われるという、まさに宗教的な代物である。その精神構造は、冒頭に挙げた「神風が吹いて日本が勝つ」という迷信を信じた戦時中の人と酷似しているのだ。根拠の乏しさという点において。

 実際に平和を守るためには、9条の精神を踏まえて国を守るという気概を持つ必要があるのだが、国を守ろうとする気持ちを持つだけで右翼思想、危険思想と言われるから心外だ。自分が生まれ育ち、これから死ぬまで暮らす大事な国を守りたいという気持ちの何が悪いのだろうか。生きるうえで、危機意識を持ってそれに対する備えをすることは必要不可欠だ。この世の中、何が起こるかはまったくの未知数であり、この平和がある日突然崩れることだってあり得なくはない。そのときに、必死になって平和を取り戻すか、それとも平和を諦めて泣き寝入りするか、どちらがいいと思うだろう。私は前者を採りたい。

平和は、自然になるものではなく創るものである。
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2005年08月28日

「日本の、これから」への反響2

 21日のエントリで紹介した、「日本の、これから」に出演した櫻井よしこへの批判投書の続報。今日の東京新聞「反響」に、その投書をたしなめる意見が掲載されていたので紹介する。

 
 先日、櫻井よしこさんの出演をいぶかしむ投稿がありました。私は以前、彼女の意見に腹を立てた一人ですが、今回は彼女の「正確な情報に基いて歴史を考えるべきだ」という主張が理解できましたし、厳密には「南京大虐殺がなかった」とは述べていません。危険な発言も予想されながら生放送を敢行した同局を評価したい。議論ができる自由な国に生きている幸せをかみしめました。
(安中市 O・Yさん45歳 男性)


 この方は櫻井よしこの意見に腹を立てたことがあるそうだから、思想的には左のほうなんだろう。しかし、しっかり人の意見にも耳を傾けることができるお方のようである。

 前回の投書を寄せた人は、自分の気に食わない意見を言う人間は排除せよという実に狭い感覚の持ち主だった。そういう偏った意見を掲載する東京新聞も東京新聞だが、今回の意見を掲載したことでこの件はチャラにしよう。

 今回の投書主もおっしゃっているが、自由な議論ができるというのはすごく重要なこと。でも一部のサヨクは、南京大虐殺や従軍慰安婦に疑いを持つことすらけしからんと考えるから救えないんだよね。民主主義を謳いながら、いつの間にか全体主義を目指してしまっている状況がホント痛々しいもの。
posted by atsu at 18:31| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月24日

明白に虚偽であると言えなければ、事実なんだってさ

 だいぶ出遅れてしまった感があるが、今日はこれを書かないうちに寝るわけには行くまい。そう、「百人斬り訴訟」で、原告が敗訴してしまったニュースである。

 まさか、今になってこんな時代に逆行した判決が出るとは思わなかった。判決内容も「さまざまな見解があり、歴史的事実としての評価は定まっていない」のに「明白に虚偽であるとまでは認められない」として原告敗訴。歴史的事実として定まっていないのに、事実として書くのは問題ないってことだそうだ。この裁判官の見識を疑う。

 でもそれ以上にすごいのは、やはり本多勝一だろう。この判決のどこを読んだら

当然の結果。この歴史的事実がますます固められたというべきだ

と断言できるのか非常に謎。ついに頭が完全にボケたか? 誰も事実だなんて言っとらんのに、この爺さんは司法にお墨付きをもらったと勘違いしたようだね。実に気の毒なことで。

 さらに、mumurさんところのコメント欄から非常に面白い画像をゲットした。毎日新聞が発行した「昭和史全記録」なる書物に載っている記述なのだが、しっかりとこう書いてある。

コレ「じじつむこん」って読むんだよね?

ところがこの記事の百人斬りは事実無根だった。

 事実無根…。しっかりと、毎日新聞自身がそう認めて「昭和史全記録」にも記載しているんだよね。なのに判決を受けた毎日新聞のコメントは

「当社の主張が認められたものと理解しています」

 えっ? あんたところの主張って「記事は事実無根」ってことじゃなかったの??? 裁判になると、途端に虚偽の記事も事実に化けちゃうのかしら? 非常に不思議ね。

 ま、これから高裁最高裁と争っていくことになるだろうが、焚書事件の判決のように最後にマトモな裁判官に出会えることを願う。本多勝一の口から

「事実を曲げる判決。これは歴史への冒涜だ!」

というコメントを引き出してあげましょうや。(それまで生きてろよ、ホンカツ)。

将校遺族の請求棄却 「百人斬り」報道訴訟 東京地裁「明白な虚偽と言えぬ」(産経)

「事実なき報道、許すのか」 「百人斬り」訴訟棄却 遺族、父の無念晴らしたい(産経)



posted by atsu at 01:20| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(7) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月21日

「日本の、これから」への反響

 今日の東京新聞テレビ・メディア欄の「反響」のコーナーに、先日NHKで放送された「日本の、これから」に対する意見が2通掲載されていた。うちの1通は「多くの意見が聞けたことが成果とみるべき。ただ放送時間が長すぎ、高齢者には酷だった」というマトモなものだったが、もう1通が電波丸出しの酷い投書だった。

 
 なぜ「南京大虐殺」はなかったと主張する女性ジャーナリスト(=櫻井よしこ)を呼んだのか。この事件は、私も中国帰りの下士官から自慢話として聞かされた。男性アナウンサーの進行ぶりや、これからの外交について分かり切ったアンケートを求めていたことにも不満を感じた。
(練馬区 N・Kさん77歳 女性)


 櫻井よしこの発言を遮る三宅アナの進行ぶりや、設問が下らないアンケートへの不満には同意する(この方の三宅アナへの不満は理由が違うだろうが)。しかし、南京大虐殺を否定するゲストをなぜ呼ぶのかというお門違いの疑問は頂けない。

 なぜ呼んだって? それは当たり前だろう。あの番組が討論形式だからだ

 はっきり言ってあの番組、櫻井よしこがいなかったら、単なるサヨクの、サヨクによる、サヨクのための自己満足番組でしかなかったんだぞ。一般参加者の中にも保守的な人はいたけど、人数が多すぎて何度も発言できる状態ではなかった。ゲストはというと櫻井よしこと町村外相以外は、中国人や韓国人の大学教授など左寄りばっかだったじゃないか。櫻井よしこが保守論客数人分の仕事をこなしていたからいいものの、本来は出演者のバランスがほとんど取れてなかった。

 なのにこの投書主は、その数少ない保守論客すら出すなと言うのだろうかね。この人は典型的な自閉サヨク。自分と違う意見を認めないのは構わないが、違う意見を持つ人の存在すら許さないと言うのは狭量にもほどがあるね。

 どうも、東京新聞の読者はこういう人が多いみたいだ。昨日の反響欄には13日のNHKスペシャル「靖国神社 〜占領下の知られざる攻防」への意見も載っていたのだが、出演者の上坂冬子さんの意見が気に食わなかったという内容だった。どうも、保守論客を見るのも嫌な方々ばかりなようだね。靖国神社についての連載記事に東條由布子が登場したときには、読者応答室に「何であんな奴の意見を載せる! もう購読を止める!!」という電話がかかってきたそうだし。これにはさすがに読者応答室も、「早とちりしないで連載記事は最後まで読んで判断して」と呆れていたけどね。
posted by atsu at 18:30| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月15日

毎日曰く「分祀はやればできる」

 終戦の日の各紙社説。産経以外はほとんど読む価値なかったが、毎日だけが逸脱。先日、民主党をズバッと斬った社説はすごかったが、今日の毎日は電波ビンビン。この浮き沈みの激しさが毎日の面白いところだよね〜〜。

 やっぱり何度読んでも、一番最後の部分が凄すぎ。

 
 靖国神社や特定の遺族だけで分祀はできないと決める資格はないはず。戦没者の扱いは全国民の関心事だからだ。分祀など靖国があまりにも歴史の短い神社なのでやったことがないだけのことだ。このたび初めて分祀すればそれがしきたりになる。


 分祀が教義上不可能だってことは、靖国神社や保守論壇が口を酸っぱくして何度も説明してるのに、まだ分祀はできるなどと言うか。しかも、分祀ができないのは靖国が歴史の短い神社だからとのたまう。だったら、長い歴史を持つ神社に、分祀が可能か聞いてみたら?

伊勢神宮に
「天照大神を分祀できるか」聞いてみなさい。

出雲大社に
「大国主命を分祀できるか」聞いてみなさい。

太宰府天満宮に
「菅原道真を分祀できるか」聞いてみなさい。

 みんな口を揃えて「分霊という形で、神様をお分けすることはできます」と答えるだろうが、そこでもう一言突っ込んでみなさい。

「いや、そうではなくて、その神様を神社からまったく取り除けるか聞いてるんですが」

と。恐らく失笑されるだろうよ。コイツ何を言ってるんだって。

 よしりんも『靖国論』で言ってたけど、日本中の神社に東條英機らの霊を祀りたいんなら分祀をしてもいいよ。私は別に構わないし。分祀したって靖国から彼らは消えないんだからね。

 そういうことも理解せず、「分祀はやればできる」とはこれいかに? 

やればできるは魔法の合言葉


とは済美高校校歌の歌詞だが、やればできるとか、やらないからできないんだとかそういう次元の問題じゃないんだってば。いい加減馬鹿じゃないんだから理解してよ、お願いだから。(済美高校の校歌を中傷する意図はありませんので、誤解なきようお願いします)。

社説:終戦記念日 とんがらず靖国を語ろう(毎日)

[追記]

 ところで、タイミングよく731部隊についての記事が出ている。731部隊が東京裁判で罪を免除されたのは人体実験の結果と引き換えだったと言うことが知られているが、なんとGHQは金まで渡していたことが判明したという。

 私はこの件は、東京裁判というもののデタラメさを証明する新事実であると受け止める。だって、実際に戦争犯罪を行ってもその実験データがアメリカにとって美味しいモノだっただけで免訴されてしまうのだから。戦犯として裁判にかけられた人でも、財力があって賄賂を贈れば免訴になった可能性もある。やっぱり、東京裁判なんてのはデタラメだ。私はさらに確信した。

GHQ 731部隊関係者に現金(東京新聞)
posted by atsu at 21:56| 東京 ☁| Comment(11) | TrackBack(3) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月06日

核兵器と石油と、どっちが先になくなるか

 今日は60回目の広島原爆忌。今日は土曜だがちゃんと早起きして、平和式典をテレビで見ようと思っていたのですが、ふと目が覚めたら8時30分過ぎ。テレビを付けたらもう式典は終わり、本仮屋ユイカの弾ける笑顔が映ってました。

なんてことだ!

 広島市民の皆様には深くお詫び致しますm(__)m。しかし、ここ数年は必ず生で見て黙祷してたのに、60周年の今日に限って見逃すとはなぁ…。

 ところで、昨日TBSで放送されていた原爆特番。筑紫哲也が司会ということでやや不安があったが、けっこういい番組だった。様々な視点からの被爆者の証言や、CGなどを使った再現映像もリアルで見応えがあった。原爆投下までのドキュメントもよかったし、何より「アメリカは何としても日本に原爆を落として、ソ連を牽制しておきたかった」という点が押さえられていたのも評価が高い。

 そして何よりも、原爆の開発者であり、当時エノラ・ゲイにも搭乗して原爆投下の瞬間を見届けたアグニュー博士と、被爆者2人が対談した企画は息を飲んだ。

 謝罪を迫る被爆者に結局博士は謝らなかったが、無理もないかな…と思う。立場的には謝ることはできないだろう。被爆者のほうも、彼が憎いと思って謝罪を求めたわけではないと思う。最終的には分かり合えなかったような感じで終わったが、やはり歴史観を共有することは限りなく不可能に近いと思った。

 世界中から核兵器が無くなったときに消されるという、「原爆の火」の説明を聞いたときの博士の発言が印象深い。

「その前にガス欠になると思うよ」

 悔しいけど、ウマいと思った。納得してしまった。確かに、核兵器が世界中から消えるよりも石油が枯渇するほうが先かもしれない。悲しいが、このセリフに世界の現実が全て凝縮されているように感じた。

 私は、将来にわたって長く被害を出し続ける核兵器にはいちおう反対の立場を取っている。しかし、それは米国の核の傘の下で守られているからこそ言えることだとも思い、長く葛藤しているところでもある。核を持っている全ての国が、いっせーのーで全ての核兵器を廃棄できればよい。しかし、アグニュー博士も言っていたが必ずズルをする輩がいるのである。他の国が核兵器を捨てる中、捨てるフリをしてテロリストに横流しする国はないか。ここぞとばかりに他国に侵攻を開始する国はいないか。そこがやはり心配なのである。それを考えると、やはり核兵器の撲滅というものが一筋縄で片付くとは思えない。

 とは言え、核兵器を無くしたいという気持ちは大事である。しかし、あまり絵空事ばかりを述べていても結局は何も変わらない。ここ数日間で、産経を除く各紙が社説で原爆のことを扱ったが、私は読売新聞の[被爆60年]「反核の訴えは現実を直視せよ」がいちばん納得できた。やはり現実を見据えながら、実りのある活動を続けていってほしいと思う。だが少なくとも、読売が指摘しているように反核団体どうしの連携ができていない現状では難しい。アメリカの核は非難するが、共産国家の核は黙認する原水協のような組織があるのでは、この先の進展は見込めないと思う。


 話は変わるが、今日の19時からは東京MXテレビで実写版の映画『はだしのゲン』を放送していた。MXテレビだけにあまり見た人は多くないだろうが、今日のこの日にこの映画を放送したことを評価する。MXだからこそ実現した番組だろう。

 実写版は初めて見たが、かなり原作に忠実に作られていて驚いた。相違点といえば、存在理由がよく分からないアヒルがいるのと、原爆投下後にガラス屋の堀川さんが生きている(原作では原爆後は登場しない)ことくらいだろうか。漫画を片手に持ちながら見ていたが、各シーンでゲンたちが歌っている歌が原作とまったく同じなのには驚いた。実写版は続編も作られているが、ぜひともまた放送してほしいものである。また、ぜひともDVD化を希望! 
posted by atsu at 23:59| 東京 🌁| Comment(8) | TrackBack(3) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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