皆様、いろいろと励ましのコメントをお寄せいただきましてありがとうございます。個別のレスは割愛させて頂きますが、ここで御礼申し上げます。
今日は、自宅待機になってしまいました。電車がマトモに動かなそうなのでいつもより早く家を出たところ、先輩から連絡が来ました。元々今日は有給ということになってたからいいですが、明日からどうなるんでしょうね。JRも私鉄も都内以外はほとんど動いてないので、明日以降も同じ状況なら社員の多くが出勤できないと思うんですが。
そんな中、先ほど小中高の同級生から連絡が来ました。実家が私の実家のすぐ近くで、今は仙台で働いてるヤツです。
彼によると、昨日石巻の実家まで行ってきたとのこと。実家周辺の水は引いていたかと訊いたら、既に引いてると言っていました。ということは、アパートの一室に避難している私の家族も、いつまでもそこに籠っているということはないと思います。きっと、近くの小学校か中学校まで移動しているでしょう。彼もまたご両親と会えたということで、お互いに喜び合いました。
昨日、グーグルアースで被災後の石巻の写真を閲覧してましたが、新たに国土地理院のサイトにも写真がアップされました。
http://saigai.gsi.go.jp/photo_h23taiheiyo-hr/ishinomaki/thumb/C04/CTO-2010-4-C04_1480.jpg この写真の上部真ん中付近に私の実家がありますが、きちんと建ってます。窪地にはまだ水が残っていますが、基本的に水は引いてると見ていいでしょう。
しかしショッキングなのは、写真右真ん中やや下にある魚市場の屋根が崩落してることですね。立派な建物だったんですが、ぺしゃんこに潰れて道路の向かい側まで流されてます。これではしばらくの間市場は機能しないでしょうから、石巻の主産業である水産加工業もダメでしょう。困ったものです。
この写真では見れませんが、母方の祖母宅は無事建ってるものの庭先に隣家が押し寄せ、前の道路に船が転がってます。旧日赤前の交差点には流されてきた家屋が積み重なり、国道398号が完全に塞がれています。TVには蛇田地区に移転した日赤病院がよく登場してますが、移転して正解でしたね。今もこの場所に日赤があったならば、市内に機能が残っている病院は皆無だったでしょう。
とは言え、こうやって高解像度の衛星写真がすぐに見られるようになる今の技術はすごいです。ありがたいものですね。
【追記】
ところで、石巻の情報は報道が少ないんで主にまちBBSの石巻スレで得ているんですが、書き込もうとすると大規模ホスト規制中と出てうちからじゃ書き込めないんですよね。これ、ず〜〜っと前からそうなんですけど、こういうときくらいホスト規制解除してくれないでしょうか。これじゃあ情報を持っている人がいたとしても、書き込めない場合が出てきちゃうでしょ? だいたいさあ、ちょっと迷惑書き込みした人がいたからってそのドメイン全部規制しちゃうってのがそろそろ乱暴ですよねえ。もっときめ細かくやってよ。
【さらに追記】
朝に千葉にいる従姉と電話していて気付いたのですが、仮に避難所に市が衛星電話などを準備したとしても、私の元へ家族からの電話が入ることはないんですよね。なぜなら、恐らく家族の誰も、私の携帯番号を暗記していないからです。私も、父親のはなぜか暗記してるんですが、母親と弟の番号は覚えてないんです。携帯を充電して携帯の電話帳を見ない限り、いくら使える回線があっても電話することはできないでしょう。
相手の電話番号を覚えないというのは、便利すぎる携帯電話のデメリットと言えるでしょうね。私はそういう場面に備えてメモ帳に家族の番号くらいは書いておいてますが、仮に家族がそういうメモを持っていたとしても、避難時に持っていたかどうか分かりません。そうなると、誰かに使える電話を借りたとしても、公衆電話が使えるようになっても、電話はできないってことになります。
これだけ物が便利になっても、こういう事態においてはほとんど役に立たないということが今回のことでよく分かりました。首都圏も輪番停電で大混乱してますが、ホント、電気がなかったら暮らせませんね。
【18:20追記】
父親から2日ぶりにメールが来た。まだアパートにいるが変わらず無事とのこと。向こうは何も情報を持っていないだろうから、近所の中学校に自衛隊が入っていることを伝えておいた。ひとまず安心。
【23:30追記】
今私はモーレツに感動してます。さっき、日曜に石巻入りした同級生(以下Eとします)と電話で話したのですが、その会話の中で、別の同級生(以下Nとします)の父親と会ったという話を聞きました。Nのお父さん曰く、まだNとは連絡が取れないとのこと。しかしEはNの連絡先を知らないので、どうにも連絡をしてあげることができない。でも、私はNの電話番号を知っているのですよ。だから、Eとの電話を切ったあとすぐにNに電話を入れました。
Eが現地入りしてNのお父さんに会ったそうだよという話をすると、Nは、
「ホント!? あーよかった!! あーよかった!!」
と泣きそうな声で連呼しました。本当にこれまで一切連絡取れていなかったようで、Nがどれだけ安心したかと思うと私もグッと来てしまいました。私は津波の直後に家族の安否が分かったからいいものの、4日目の今日まで安否不明だったんだから彼の不安はいかばかりだったかと思います。それを、友人から友人への情報のリレーで解消してあげることができて本当によかった!
昨日まではかなり意気消沈していた私ですが、石巻の状況が分かるにつれてだんだんと希望が湧いてきました。石巻は確かに今回こっぴどくやられたけど、きっと復活できると信じてます。いつまでも落ち込んでいられない。頑張っていくぞ!
posted by atsu at 09:25| 東京 ☀|
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